宮神輿巡行



 一名、もんじゃストリートと呼ばれる月島西仲通り商店街にこんなに大勢人がいるのは初めて見ました。

 日曜日の夜を御旅所で過ごした宮神輿は、月曜の朝から、勝鬨、月島三~月島二~月島一~新佃~元佃と、各町内を巡行して住吉神社に戻ってきます。
月島の歴史は佃島に始まって、明治になってからずっと南のほうに埋め立てられていったのですが、その過程を遡上してくるわけです。

 月曜日午後3時半、西仲通り月島一丁目と二丁目の交差点で待っていると、遙か向こうの方からソイヤッ、ソイヤッのかけ声に担がれて、八角の宮神輿が揺れながら近づいてきます。鳳凰が真夏の日の光を反射して輝きを放っています。



 両脇の商店から、ホースで水をかけるだけではなくて、ポリバケツに水をくみ置きしておいて、そこから桶ですくって担ぎ手たちにザハザバかけています。なんせ炎天下ですからね。これが信仰に由来するものか、単に暑いからだけなのかは判然としません。。
 山車太鼓もにぎやかに叩き始めました。

 神輿が交差点につくと、床几を出してきて神輿を鎮座させます。ここで宮神輿が月島二丁目から月島一丁目にバトンタッチされるわけです。
 半被の背に「二」と書いた月島二丁目の担ぎ手たちが三三七拍子をやった後、神主が祝詞をあげて、みんなで柏手を打ち、町役人以下数名が神輿に巻いたさらしに榊を刺し、むにやむにゃ唱えて拝みます。それから三三七拍子を打って引き継ぎの儀式は終わり。
 ハンドスピーカーを持った人が、「まず町内会の役員の浴衣を着た人が清澄通りの向こうまで担ぎます、半被の人はその後。くれぐれも揉め事を起こさないように」と注意して、浴衣の担ぎ手が神輿をよいしょと揚げるのですが、年輩者やご婦人ばかりでさっきまでの威勢はない。それでもソイヤッソイヤッって動き始めました。祭とか儀式というのは、社会秩序の確認という機能を持っています。若者は「自分たちは重んじられていないのだ」ということを知るわけです。ややあって、山車太鼓もドンドコ叩きながら神輿を追います。

 こんな風流なことを一日中やりつつ、宮神輿は佃、月島の通りをくまなく練って、午後7時過ぎに佃住吉講の人たちの手に戻ってきます。8時頃には宮神輿は住吉神社の境内に入り、また佃ばやしの生演奏を背景に境内を練り、参加者をおおいに盛り上げます。やがて電気が全て消された中で御霊移しを終えると、三日間続いた祭が終わります。

 いやあ、江戸の正統派の祭りを堪能させていただきました。ありがたいことです。佃や月島が、都心にありながら独特のコミュニティを継承しているのは、この祭を続けているからなんだなと実感しました。


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これはあくまでも個人的な備忘のための旅行記であり、ここに書かれている情報を利用したためにどのような不都合があったとしても、当方は一切関知しませんので悪しからず。