住吉神社例大祭 宮神輿宮出し

 佃島にこんなにたくさんの人がいるのは初めて見ました。
 落語の「佃祭」に出てくる住吉神社の例大祭。02年は3年に一度の例大祭の年です。

 佃島には高さ18メートルの大幟(五反幟というのだそうです。「住吉神社」とか「住吉大神」とか大書してある)が6本翻っています。寛永年間に幕府の許しを得て始めた(旧日本的!)というたいへん立派なもので、安藤広重の版画にも出てきます。すばらしい材ですよね。

 8月4日(日)午前6時30分、 宮神輿宮出のために住吉神社の狭い境内は担ぎ手と見物人がひしめき合っていました。担ぎ手が境内に突入して御輿を担ぎ上げると、金色の鳳凰が高層マンションの谷間に舞い上がりました。境内の小さな神楽舞台からの、佃ばやしの生演奏に合わせて狭苦しい境内を40人ほどの担ぎ手に担がれた八角神輿が練ります。この御輿は芝大門通の万屋利兵衛によって製作され、天保年間(1838年頃)に奉納されたと言うからたいへんなものです。
 八角神輿というのは珍しい。高御座に擬したという説がありますが、八坂神社にもあると聞きますし、私の田舎の近所だった阿沼美神社では四角と八角の喧嘩神輿があって、よく学校の帰りに見に行ってたなあ。最近また死人が出たようなことを聞いたが……。

住吉神社例大祭 獅子頭宮出し

宮神輿の宮出しは、3つの町内で9年に一度しか回ってこない大イベントなので、みんな張り切ります。
 神輿の担ぎ手の間にも、獅子頭の時と同じようなルールがあります。40~50人が担いでいるのですが、棒の間に入るのに良い場所と悪い場所があるのです。やはり目立つ前の方はいい場所とされているし、棒と棒の間は他人とぶつかったり足を踏まれたりするので、あまり良い場所とはされていません。
 担ぎ手が途中から割り込もうとするとき、その人が祭りのために貢献している人であれば、スーッとよい位置に入ることができます。そうでなければ、なかなか良い位置で担ぐことはできません。また役員などの口ききがあれば、さっと良い位置に入ることができます。
 神輿自体は、担ぎ上げるだけなら10人もいれば担ぐことができます。しかし40人ということは、一方向に力をまとめて向かっているのではなくて、みんながおのおの勝手な方向に向かっていて、無駄な動きをしているわけです。なので担ぎ手はくたくたになります。

 担いでいるときは死ぬほど重いそうです。だから本当は早く楽になりたいのですが。それを意地になって担ぐというところに、地元の見物人は神輿の面白さ美しさを見ているのです。しかし獅子頭の時と同じように、大若い衆はそれがわかっているので、手ぬぐいでたたいて早く境内から追い出そうとします。それに対して抵抗して担ぎ続ける若い衆を、また地元の見物の人はほほえましく見ているわけです。
 このようなコードは地元の人には共通の常識として理解されているわけですが、なかなか部外者にはそれが伝わりませんし、またそれを伝えようとする努力を一切していないというのも面白いところです。隠してるわけでもないのでしょうが、そういった暗黙知の共有がコミュニティをまとめる力になっているのかもしれません。
 また、神輿の面白いことのひとつに、全員に非常に大きな重みがかかっているのですが、しかしひとりが肩を抜いても神輿は落ちないということがあります。非常に集団主義的な文化を感じさせることです。
 それと神輿を横に動かすベクトルは意外と小さいので、ひとりでもできないことではありません。かといって誰もがひとりで動かそうと頑張ってもなかなか動かせるものではないということもあります。神輿の棒に手をかけて神輿を動かそうとする人が、人望のある、皆に信頼されてる人であれば、ひとりでも簡単に担いでいる神輿の方向を変えることができます。その場合その人は、みんなの心を束ねられているので、神輿全体を動かせるわけです。
 従って神輿を動かす時は、体力だけではなくて精神的なものが問われることになるわけです。

 獅子頭の鼻を取ったり、神輿の良い場所につくことができる人は、偉い人なわけですが、全員の間に「祭りに対して情熱のある人、汗をかいている人が偉い」という共通の認識があります。
 宮元である佃1丁目では、祭りのすべての準備を住人たち自身の手で行います。佃住吉講がこの祭を仕切っている実質的な主催団体です。他の町では神輿の御座所などを、外部の作業の人を頼んで作っていますが、宮元はすべて自前でやるところが非常に大きなポイントです。これ全体を含めて祭なわけです。むしろ宮出しの前日になったら、「今回の祭も終わったな」という感慨を持つ人すらいるのだそうです。
 事前作業は、2年前から始まっていますが、実際に大幟を掘り起こしたりする作業を行うのは祭り本番の2カ月前から、毎土曜日曜に寄り合いが開かれて準備が進められます。これについては参加は全くの自由なのだそうです。この時に毎回参加をしている人、早くやってきて最後まで残っている人、洗い物などをして貢献している人は、みんな見ていないようでちゃんとチェックしていて、早く年寄りに名前も覚えてもらえるし、明示化はされませんが、だんだん講の中での位が高くなっていきます。
 1年目の人は、こき使われるそうです。講の中で一番偉いのは講元で、講元の命令は絶対です。役員年寄、大若い衆、若い衆という序列があるので、祭りの最中1年目の人はお酌して回ったり、夜警をやったりとたいへんです。偉さは貢献によって決まってくるので、たとえ60歳を越えた人でも最初に参加したときは一番の下っ端からスタートです。今回あるIT企業の60代の社長さんが参加されたそうなのですが、お酌や夜警をこなされていたと聞きました。また、講は外部にも開かれていて、佃以外の人も参加できるそうです。
 そのように祭の準備に貢献し、2次会の時に勘定を持ったりしている人はだんだん位が高くなるので、獅子頭の鼻を取らせてもらえたりするということです。

 人手に担がれた神輿はまるで生きているようで、境内が一気に「ハレ」の空間になります。
 三島由紀夫のエッセイ『陶酔について』を思い出しますね。

  「幼児から私には解けぬ謎があった。あの狂奔する神輿の担ぎ手たちは何を見ているのだろうという謎である。担いだ私はこの謎を容易に解いた。彼らは青空を見ているのだった」
  彼はそれ以前にも『真夏の死』でも神輿を描写しています。

 でもこの神輿はあんなに暴れません。20分ほどおとなしく境内で練ってから、小さな鳥居をくぐって狭い路地を担がれて隅田川に向かいます。辻には小屋掛けがあって、そこでも神楽が演奏されています。この神楽は、太鼓以外は余所の人が演奏しているそうです。住吉大社の分神霊に聞かせているわけです。
 数百人も見物がいるのに、ガイジンがいないというのも珍しい。

【06年5月補筆】

船渡御へ進む


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これはあくまでも個人的な備忘のための旅行記であり、ここに書かれている情報を利用したためにどのような不都合があったとしても、当方は一切関知しませんので悪しからず。