戦跡コレヒドール島 (4)

戦跡コレヒドール島 (4)


記念公園
 島の頂上の辺り、司令部や士官クラスの居住区があった場所には、記念公園があります。ここにはなんとワシントンのアーリントン墓地と全く同じ装置があるのです。
 当時の武器や写真が展示してある博物館があり、その横に大きなドームがあって、そのドームの下に巨大な無名戦士の墓があるわけです。「ここでは帽子をお取りください」と書いてあって、その墓碑銘には、「自由を守るために太平洋に散った戦士たちよここに眠れ」とか書いてあるわけです。
 その向こう側に、太平洋に突き出すようにして、モールが伸びていて、その両わきに墓石のように、真珠湾から始まって沖縄戦までの戦いの名前が書き連らねてあります。それを両側に仰ぎ見ながら海の方に歩いていくと、たいしたことはないモニュメントがあって、その両脇で星条旗とフィリピンの国旗がはためいています。「なあんだ、フィリピンは、やはり日本よりもアメリカと仲がいいんじゃん」ということが非常によくわかる場所になっています。
 これらの施設は、1967年に当時の金で300万ドルという大金をつぎ込んで建てられたものだそうです。私はハワイに行ったことがないので真珠湾にこうした施設があるのかどうかよくわからないのですが、太平洋地域におけるアメリカのアーリントン墓地というのは、実はこの島にあるということなのです。

記念公園

モニュメントの登壇口には'TO LIVE IN FREEDOM`S LIGHT IS THE RIGHT OF MANKIND'と書いてある。これは「日本人は人間ではない」と言っているのと同じだ。

 また、アメリカ人の慰霊碑以外に、アメリカのために戦って死んだフィリピンの軍属の墓や記念碑も同じように立っているのですが、やはりその墓碑銘にも、アメリカを真似してのことなのでしょうが、「自由を守るために死んだ兵士たちよ安らかに眠れ」と書いてあるだけです。
 これらを見ていて感じたのは、おそらく英語ガイドのボブは、そういう墓碑銘を見ながら、「ここにアメリカの自由と独立を守るため、そして人類が築いた最高の理念を守るために戦死した人たちが眠っているんだ。こいつらがいたから今の我々がいるんだ、我々の自由が守れたんだ、この自由を守るためにフィリピン人の同志たちもここで死んでいったんだ」ということ、涙ながらに説明しているに違いないわけです。

 一方、日本人墓地もちゃんとあります。九州の熊本とか鹿児島、それから和歌山の師団の人たちがこの島の守りについていたようです。アメリカ人の記念碑とは反対側の方に、つつましやかに日本人の慰霊団がつくった戦没者慰霊碑があり、名前のわかっている人については、ちゃんとを遺族がその名前を刻んだ墓石をつくっていて、その回りに花が咲いていたりするわけです。そうしたものはきちんとつくられていました。


「慰霊」「慰霊」 ただその慰霊碑になんと書いてあるかというと、「慰霊」「鎮魂」と書いてあるわけです。鎮魂とは何かと言うと、荒魂鎮めなんですよ。「いろいろお腹立ちのこともありましょうが、ままここはひとつお気を鎮めていただいて、成仏してくださいまし」という話です。
 彼らは何のために死んでいったかというと、大元帥陛下のために死んだわけですよ。宸襟を安んじ奉るため、天皇を中心とした帝国を守るために死んだわけです。ところが、その帝国は死んでしまった。それがために、彼らは何のために死んだのかわからないことになってしまったわけです。ありていに言うと、「あなたはここで犬死したのだから、化けて出ないでくださいね」と言っているのと同じことなのではないでしょうか。そうすると、その墓を見に行った現代の日本人たちも、「ああ、この人たちはかわいそうだな。僕たちはこういう時代に生まれなくてまったくラッキーだった」としか思わないことになってしまいます。

 一方、アメリカ人たちの方は、自分たちの記念碑・墓碑銘を見ていて何と思うかというと、「そうだ! この人たちは我々の自由を守るために死んだんだ。真に普遍的な価値を守るためにその身を捧げてくれたんだ、そしてわれわれもこの価値を守っていかなければならないんだ」というふうに、彼らの死は意味づけられ、そしてまた自分たち自身に投影されるわけです。

 「同じ人間の死でありながら、彼我の間には絶対的な懸隔がある」と思わずにはいられませんでした。

 大元帥陛下を押し立てて進んでいく社会システムをつくったのは一体誰なのか。
 そのような怒りを覚えるわけですが、さて実は、ここにさらに大きな怒りを呼び起こす問題がありました。


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これはあくまでも個人的な備忘のための旅行記であり、ここに書かれている情報を利用したためにどのような不都合があったとしても、当方は一切関知しませんので悪しからず。