セブ~マニラ豪華客船の旅

ほとんど日本では紹介されていないフィリピンの「格安船旅情報」。皆さんもぜひお試しあれ

  2000.10.11 セブ・マクタン島

 7:30PM 闇マーケットに寄って円を両替する。闇マーケットの方がレートが良いし、お姉ちゃんが両替してくれるので気持ちがいい。タクシーの運ちゃんは、「闇は税金がかからないからねえ」と言う。

 タクシーの運ちゃんいわく、「フィリピンは交通標識もわからないようなドライバーが多いんだよねー。だって、警官にカネを渡せば免許がもらえるんだもん」と愚痴を言っている。

 7:45PM PIER4に滑り込む。シャトル(と言ってもただのトラック)に乗り換えて埠頭に向かう。日本人は特別扱いで、助手席に乗せてもらう。
 プリンセス・オブ・ユニバースという、これ以上の大風呂敷は拡げようのない名前の怪しげな豪華フェリーである。1万5000総トン。1987年日本で建造。
 ターミナルなどという贅沢なものはない。タラップの下のブレハブ小屋で切符を売っている。愛嬌のある丸顔の若者に「個室をくれ」と言うと、「1850ペソ」とのこと。安い。喜んで払うと、4人でああでもないこうでもないと議論している。「この部屋は2人部屋だから2人分払え」と言うのである。「それでは飛行機より高いから嫌だ」というと、またもめていて、「じゃあ乗ってからアップグレードしろ」と言う。この丸顔の男はKENTである。このやりとりですっかり仲良くなった。
 とりあえず1350ペソで上甲板に通してもらう。「俺、お前のポーター」と勝手に宣言した若者が、私のトランクを軽々と頭の上に載っけて横っ飛びにタラップを駆け上がっていった。遅れないように着いていき、船室で20pほどチップをやる。
 それからレセプションに行って35ペソ払って個室に移動する。4人に100ペソの残り65pをチップでやるというと、すっかり愛想が良くなった。

 8PM 出航。

 出航後すぐに検札に来た。「一人だよね」とKENT。ははあ、とすると、マニラに安く移動しようとして、一人前の料金しか払わないという客を警戒しているのだな。日本人がそんなことするか! なんせ3000円豪華客船個室の旅なのである。

 船室に大型テレビもあって、海賊版ビデオを流している。なかなかの優れものである。特にタイ製の現代版西遊記が、特撮がチャラくて泣かせた。
 さすがに船中に一人も日本人の姿はない。シャワーを浴びて、ビールを買ってきて呑んで寝る。船内にはディスコもあり、盛んに踊って行けと言われたが、一人では興が乗らない。


 10.12 マニラ近海

 館内放送で目が覚める。「飯を食え」といっているらしい。シカトしていると、従業員がノックで知らせに来た。時間を見ると6:55分である。なんて奴らだ。しかたないので、ラウンジに行って飯を食べる。白米と豚の煮たものとソーセージと目玉焼きしかない飯である。しかしこれが意外にうまい。お代わりしてしまう。
 部屋に帰って寝ようとするが、とても寝付けない。とにかく良く晴れた日で、空は青く、海はもっと青く、島の緑が目にしるけく飛び込んでくる。部屋の中でメールを整理する。よく晴れていて、四海波静か。鏡のような内海をしずしずと進む理想的な航海である。甲板に出ると、みんな早速バスケットボールで遊んでいる。この国ではこのスポーツが大流行である。
 10AM 突然船長の館内放送が飛び込んでくる。緊急放送である。「突然速度を落としたのでおかしいと思われるかもしれませんが、海上保安庁の命令でして……」。なんだろうと思って甲板に出てみると、白い大型フェリーボートが船火事である。白い煙がもうもうと上がっている。上甲板の全員が、この様子に釘付けになっている。
 「ほんとにこの国は何でも有りだなあ……」と絶句する。「海戦って、こんな感じなんだろうな……」。
 持っていたデジタルカメラで、この様子を撮る。

船火事
 後から得た情報では、ここはバタンガン付近で、火災は5:45に発生。けが人はいなかったらしい。先に到着したマニラ発ダバオ行きのフェリーに全乗員1300人が収容されたらしい。船長はもちろん最後だったとか。
 周囲にはタグボートや水中翼船を含めて6隻が遊弋している。

 「操舵室を見たいか」というKENTに誘われて、操舵室に向かう。1万5000トンもの船の操舵室には入ったことがない。かなり広い、立派なものである。船長に挨拶。やたら日本のことを知りたがる冗談好きの船長だ。子供の頃本で読んだようなぶっきらぼうだが人好きのする船長のイメージそのままの男だ。

船長 とりあえずヨイショしておこうと思って、「こんな立派な内航客船は日本にはない」と言うと、「この船は日本製だ」とあっさり言われて何の効果もなかった。「日本はどんなだ」と聞くので、「僕の田舎はちょうど内海があって、こんなきれいな感じだ」と応える。操舵室から正面を見ると、波は平らかで、白い船体が島を左右に見つつしずしずと進む様子が良くわかる。
 船火事のことを尋ねると、なんの情報も知らないようだ。原因も、けが人も知らないという。「船が燃えているのに、その横を全速力で突っ切るわけにはいかんだろう。だからスピードを落としたんだよ。でもこれから全速力を出すから、定刻通りマニラに着くよ」
 礼を言って、辞去する。

 11:30、確かに船はスピードを上げ、やや揺れを感じるようになった。KENTが船室に遊びに来る。館内放送があって、昼飯を食べる。

4PM、マニラ

 4PM、マニラに到着、KENTがドアをノックする。タクシーまで連れてってやると言う。助かるなあ。
 マニラの埠頭も、セブ同様なんとも汚いただの波止場で、やたら人だけが多い。うんざりするような場所である。タラップを降りる途中で気がついたのだが、私が乗っていたのは上甲板で、その下層にはエコノミーの客室があるのだが、これが天井の低い吹き抜けの蚕棚で、甲板も何もない。「ルーツ」に出てくる黒人奴隷運搬船と変わらないようなつくりのものである。そこにまた怖ろしいほどの人数が乗っていて、一緒に下船する。かなり神経に障る光景だ。
 KENTがチューターをしているという若者にトランクを引かせて埠頭を抜け、道でタクシーを拾ってもらう。名刺を交換して別れる。彼は人なつっこいナイスガイだった。

 運ちゃんは「明日から専用の運転手で雇え」とうるさい。しかし、こいつは頭がよい。
 「フィリピンではいろいろな風が吹く。50年ほど前には、この島の北部で"カミカゼ"という風が吹いた」と気の利いたことを言う。
 「カミカゼってなんだ?」と聞くので、「THE WINDS OF GODというのは、700年前に日本に中国が攻めてきたときに台風がやってきて、全ての敵船を沈めた。それも2度だ。それ以来日本人は、やばいときには天が自分に味方して風を吹かせると信じた。しかしそれは迷信で、WW2では風が吹かなかったので、日本人は自分で風を吹かせることにした。それがカミカゼだ」と説明する。
 「おお、そうだったのか。それから"トラトラトラ"というのもあるぞ」
 「それはだな、真珠湾を奇襲したときの攻撃成功を司令部に報せる暗号だ。トラはタイガーなんだけど、なぜトラなのかは知らないな」
 「ああ、それはトラは狩りをするときにこっそり後ろから獲物に忍び寄って襲いかかるからだよ」と運ちゃん。これには私の方が唸らされた。
 さらに「ニイタカヤマノボレというのもあるぞ……」と際限なく話しながら車はホテルに近づく。こういう奴だと雇えば楽しいのだろうが、そんなに時間がない。運ちゃんに「マニラで一番読まれてる新聞はなんだ」と聞くと「マニラ・タイムスだ」と言う。

 5PM、ホテルのフロントで「部屋あるか」と聞くと、「あるぞ。1500pだ。安いだろ」と言われた。これには恐れ入った。部屋で電話帳を調べてマニラ・タイムスに電話。ところが引っ越したらしく、かかった先の人からマニラ・タイムスの電話番号を教わり直してかけ直す。
 「船火事の写真要るか?」と電話に出た人に言うと、「明日持ってきてくれ」と暢気なことを言う。「明日は予定があるからダメだ。これから持っていく」とビル名を聞き、パソコンを持ってタクシーに乗り込む。

 6:30PM 今度の運ちゃんはまぬけで、30分以上かかってやっとマニラ・タイムス近辺にたどり着く。あまりに運ちゃんがまぬけなので適当に切り捨てて、自分でビルを探すことにする。リザール公園に面して建築中の超高層ビルがあって、どうやら話を聞くとここらしい。門衛に階数を聞いてビルを上がり、やっとマニラ・タイムスにたどり着く。
 入り口入ってすぐのところに座っているデスクは女性である。この人を訪ねるように言われていたので、たどたどしい英語で何とか「船火事の写真を持っている」ことを伝えると、彼女は担当記者に写真がないことを確認、すぐ編集長に取り次いでくれた。

 編集長のジョーの個室に通されて、パソコンで写真を見せる。彼はすぐ他紙に持ち込んでいないことを確認して掲載を決定する。人払いをして値段の交渉をしようとするので、「俺は旅行者だから稿料はいらないよ」というと、ずいぶん喜んでいた。どこの国でも、編集長という人種を喜ばせるのは簡単だ。
 彼は今度は同紙のコンピューター技術者を呼んで、ibookから写真が取り込めるか確認する。OKということで整理部に異動。なんとこのマニラ・タイムスではG3マックで制作を行っているのだ。フロアにはG3の青いモニターがずらりと並んでいる。

マニラタイムス
 USBでハブに繋いで、ファイルを取り込む間に、今度は記事を書く記者にいろいろと尋ねられる。新聞社でもすでに情報は入手しているのだが、細かいところはよくわからないらしい。でも私はもっとわからない。まあしかし、死人やけが人は出なかったらしい。記者君は「今週はニュースが多くて大変だった」とこぼしていた。エストラーダ大統領の不正疑惑で、首都はひっくり返るような騒ぎになっているのである。ツツ大司教が反エストラーダの姿勢を示しているので、日曜日のミサの後暴動が拡がる可能性があるらしい。「このビルはずいぶん新しく見えるな」と言うと、「なんせまだ作ってるからねえ」。もう私も、たいがいのことではちっとも驚かなくなっていた。

 「全部終わったよ」とにこにこしながら編集長がやってきた。記念写真を撮り別れを言ってマニラ・タイムスを後にした。

 下が、掲載された写真である。因みに気の利いた他紙は、軍関係者がヘリコプターから撮ったビデオの映像を掲載していた。ちゃんとクレジットも載ってるし、これで私も国際ジャーナリスト!

掲載紙


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これはあくまでも個人的な備忘のための旅行記であり、ここに書かれている情報を利用したためにどのような不都合があったとしても、当方は一切関知しませんので悪しからず。