岡本呻也著 文藝春秋刊 

法人登記

 雑誌に紹介されたり、口コミで伝わって仕事はうまく進んだので、小澤はこれを会社にしたいと望んだ。
 そもそも彼が起業を志したのは、子供の頃から憧れていたポルシェに乗りたかったがためである。このスポーツカーは1500万円はする。すると普通のサラリーマンではとても手が届かない。「よほど儲かる会社の社長にでもならなければ。じゃあ会社をつくらないと……」という単純な動機である。バブル期に実家のホテルが30億円かけて改築した時、小澤は「30億も、30億1500万円も変わらないのだから、ポルシェを買ってくれ。どうせ返すのは俺なんだから」と親に懇願したが買ってもらえなかった。
 こんな経験も小澤にはひとつの教訓となった。個人でやる商売の限界をすでに経験していたので、誰か有力な後ろ楯が欲しかった。

 2年間、様々な人に手紙を出し、ベンチャーキャピタルを歩いて自分のビジネスを説明した。『超整理法』の著者である野口悠雄東大教授や、当時ハイパーネットというネットベンチャー企業を起こして脚光を浴びていた経営者の板倉雄一郎、果てはinfo@softbank.co.jp (これはソフトバンクの一般問い合わせ用メールアドレス。こんなところにビジネスプランを送っても相手にされるわけがない)なんてところにまでメールを送って理解を求めたのだが、まず相手にされなかった。
 ベンチャーキャピタルには「とにかく君の言っていることの意味がわからない。市場規模も読めないし、参入障壁もないじゃないか」と体よく追い返されるのが常であった。ベンチャーの世界に生きる専門家たちでも、アメリカで現実化しているビジネスと比較して判断するしかない。「消費者主導」という、小澤が自分の頭の中からひねり出したオリジナルのアイデアは、この時代の日本ではやや高等すぎたようだ。
 ある経営者の前でビジネスプランを説明する機会を得た小澤は、「まずこのプランの欠点をきちんと説明し給え」と言われて、「なぜ天下を取ろうという商売のシステムを説明するのに、欠点から説明しなければならないのか」と席を蹴って立ったこともあったという。ビットバレーが社会的な盛り上がりをみせる前には、ベンチャー志望の若者は概してこういう仕打ちを受けたものである。

 99年4月、小澤の目は日経新聞のある記事に釘付けになった。
「ネットエイジ カーディーラーズをソフトバンクに売却」
 自動車見積もり販売という消費者主導のビジネスをすでに立ち上げていて、しかも数億円で売却までしてしまった人がいるとは。驚くより先に、「この人ならきっと自分のアイデアを理解してくれるに違いない」と思った小澤は、ネットエイジ社長の西川潔に自分のビジネスモデルを紹介する電子メールを送りつけた。小池と西川が後述する「ビットバレー宣言」を発表した少し後のこことである。
 すでに3万人の会員を持っていたイージーシークのサイトを見た西川は、瞬時にこのネットビジネスとしての卓越性を理解し、「このビジネスは面白そうだ。ぜひ会いたい」と返信した。初めて小澤のアイデアに専門家が価値を認めた瞬間だった。こうしてめでたくビットバレーの盟主西川潔の後ろ楯と10%の出資を受けた小澤は、99年8月、ビズシークを法人登記し、オタクの町秋葉原に居を構えたという次第である。

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