岡本呻也著 文藝春秋刊 

秋葉原の9坪のマンションで

「正直言うと、何でわからないの、ばかじゃないのかと思いますよ。絶対に伸びる市場なのに。ここまで言ってもわからない人は、ぼくから言わせると、もう勝手に堕ちるところまで堕ちてくださいという感じですね」
 くっきりとした眉の下で、きょろきょろと黒目がよく動く。快活に話すこの青年には厭味はまったくない。ビズシーク社長の小澤隆生は27歳。ネットビジネスの世界の住人である。
 彼はそう簡単に言うが、ビズシークが展開している「リバースマーケットシステム」はかなり独創的な商売だ。彼自身は成功を固く信じている。全てを賭けている者の心に疑いが忍び入る余地は絶無だ。
 彼の会社は、日本最大の電気街秋葉原から、若者の元気な足でなければうとましい距離感をやや感じさせるほど離れたところにある。マンション5階のたった九坪ほどの小さな空間だ。
 三面に大きな窓がとってあり、ブラインドを閉めていても明るい光が室内に満ちている。その窓に向かって5、6台のパソコンが一列に並び、小澤と同世代、すなわちまだ贅肉や養毛剤に無縁の四人の若者が黙々とキーボードを打っている。内装はクリームホワイトが基調で、装飾的なものは何もない。唯一、不動産会社が営業用につくった「ビットバレー地図」が貼られているくらいであるが、これとて愛想のないものだ。
 静かである。ネットベンチャーのオフィスはどこでもそうなのだが、彼らの主な仕事はパソコン上で完結するので、静謐がオフィスを支配している。本棚には、バイオレンスや格闘技を主題にした劇画本がズラリと並んでいるが、この趣味は全員一致しているらしい。「自分たちはオタクだから秋葉原にしたんですよ」。小澤はくつくつ笑いながら言うが、理由はそれだけではない。いざシステムが故障ということになると銀行で預金を降ろして秋葉原で部品を買い、さっさと直してしまうのだ。5時間もあれば、パソコン一台を組み立てることができる。メーカーのサポートセンターに電話してイライラしながら復旧を待つようなことはしない。それが彼らにとってもっとも信頼できる方法なのである。
 もうひとつ秋葉原にいる理由がある。小澤は、千葉で家業のホテル、生コンクリート業を手伝っており、ネクタイを締めてホテルのフロントに立つこともある。他の社員は池袋近辺に住んでいる。出勤時間は毎朝10時だが、就業時間は終電の時間となる。JR山手線と総武線の乗換駅である秋葉原はどちらにとっても便利だ。彼らは仕事を苦にしていないので、時間がある限りパソコンに向い続ける。
「ぼくはここに住んでいます」と、突然パソコンに向かっていた一人の若者が手を挙げた。
「えっ、君の家はこのオフィスってこと?」と思わず聞き返す。
「そんなに驚くことないじゃないですか。みんな朝が弱いので、誰かここに住んでくれると電話番になるので助かるんですよ。彼には、ここにオフィスを開いたときに、借家を返してもらって、車も駐車場がないから売ってもらって、荷物だけ持ってきてもらいました。昔の呉服屋やそば屋はそうだったんでしょう。家賃光熱費がタダ。悪くないですよ」
 と小澤。まるで丁稚である。小さなボストンバックに納まった彼の荷物を見せてもらう。言っては悪いがガラクタの類である。それとハンガーに掛かった洋服が若干。夜はソファベッドに寝るという。言われてみると、部屋の片隅に社員のコートや荷物置き場になっているくたびれたソファが一つ。ここで安眠するというのは、私にはちょっとできかねれる芸当だ。
「忙しくて外に遊びに行く暇もないですけど、ストレスなんかぜんぜん感じませんよ」
 と当人は涼しい顔である。

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