岡本呻也著 文藝春秋刊 

成功の予感

 翌22日午前9時、iモードのサービスは静かに始まった。サーバーのディスプレイを見ていると、1人、2人と登録ユーザーが増えていくのがわかる。
 「オォ、来てる来てる」
 「37人を越えましたよ」
 「なんだこの、1日で登録解約した奴は」
 「ああ、それは同業者が偵察に来てるんだと思いますよ」
 開発陣はアクセス数に一喜一憂していたが、経営の困難を考えていた堀にはこの日の記憶はあまりない。これまでに乗り越えて来た障害、現状直面している危機、そしてそれを回避したとしてもこの先やらなければならない多くのことを考えると、オープンの瞬間というのはエキサイティングなものでも何でもなくなる。特別な瞬間ではなく、ただの通過点に過ぎないのだ。それは、iモードの他のプレーヤーも全く一緒だった。
 関西の商人の家系に生まれた堀は、川久が人手に渡っただけでなく、これまでに彼の周囲で没落していった多くの人々を身近に見ていた。『平家物語』の世界を体感していたのである。
 「事業というのは結局、毎日毎日出てくる問題を一つずつ、どのように乗り越えていくかということだと思います。それを諦めた時に、余裕のある会社なら進歩がなくなるし、余裕のない会社は潰れてしまうわけです。
 大きな問題が出てくると、猪口才な解決策をやってしまうと、たいがい駄目になる。自分のドメインの中で前向きに取り組まないといけないんです。そうするとサイバードでは携帯電話によるネット接続の中で回避方法を考えるしかありませんでした」

 堀はコミュニケーションサイト企画の活路を考えた。そして4月1日から、既にネット接続サービスを始めていたDDIポケットでコミュニケーションサイトをスタートする交渉に成功する。というのも、それ以外のキャリアには、課金の仕組みはなかったからだ。
 「銕君、今度は4月までにDDIポケット向けに出会いサイトをつくってください」
 「えっ、1カ月しかないじゃないですか。企画はまとまっているんですか」
 「いえ、これから細かい部分は決めていきます」
 岩井と銕のチームはまた寝ずに働いてエイヤッとばかりに「AJA@出会いチャンネル」を4月1日にスタートさせてしまった。
 この3月までのサイバード第1期売上高はわずかに300万円。
みんな、この時点までは将来に対する言い知れぬ不安を拭いきれなかった。
 「どのくらい会員が来るかな」
 「初日の登録数は800人です」
 1週間で100万ヒット。
 堀たちの顔に明るさが戻った。これはいける。やっと復活したという思いがあった。

 超特急で仕上げられたAJA@であったが、そこには強力な競争力を持つ仕掛けが盛り込まれていた。
 出会い系サイトは掲示板に男女が好きな文句を書き込み、その書き込みに対して返事が出せるようになっているのであるが、AJAは健全なものしか掲示しないという方針で、この書き込みを審査して不道徳で過激な文章は排除するのである。
 スクリーニングの方法は2段階あって、まず第1段階でワードチェックをかけ、不適切な言葉が入っている書き込みは自動的にハネてしまう。このワードチェッカーの第1版は堀が書いた。やばそうな単語を列挙していったのである。それを真田が一人でプログラムを書いてソフト化した。「社内で使うソフトだから、少々バグがあってもええやろ」。アクセスでの勉強の成果である。しかし文章というのは面白いもので、組み合わせによってまったく違うことを表現することができる。17歳の女子高生が「いっしょにお風呂入ろう?(ハート)」と書き込んでいた場合、これは単純に風呂に入ることを意味しない。しかし、「いっしょに」も「風呂」も一単語としてはまったく問題のない言葉である。そこで次の段階では、ウェブマスター(サイトの全権を持つ管理者)が文章を読んで、不健全なものは排除するようにした。そのため4月に2人社員を増やしたのである。
 他の出会い系サイトの場合、掲示板の文章チェックがない。そうすると書き込みの内容はほとんどが下ネタだけになる。女性はそうした荒れてしまった掲示板から、落ちつけるサイトを求めてAJA@に逃げてくる。すると女性がいなければ意味がないので男性もAJAに移ってくる。そうやってナンバーワンサイトになり、ブランドも確立できれば後発の参入者が容易に近づけない存在になる。こうしてサイバードのAJA@は揺るがぬ地位を得た。
 ここにネットワーク・コミュニケーションの運営の本質がある。全参加者に利得がなければコミュニティは成り立たない。全員に価値を与えるために運営者は、全体のレベルの設定と、利益を独占するフリーライダーや秩序破壊者が出ないように調整を行う必要がある。運営者がしっかりとした信念に基づいた価値基準を持たなければネットワーク・コミュニティは決して存続しない。

 AJA@は順調に会員数を伸ばし、それに応じた現金収入が入ってくるようになったが、サイバードは苦戦を続けていた。AJA@のシステムが安定しないのである。銕は5月の連休を潰して複数のサーバーで管理する形にしたが、どうにもならない。マイクロソフトに問い合わせを出したら、7月になってやっと「OSのバグ(ソフト上の不具合)でした」と詫びてきた。それを潰して直すまでは、銕には休みはなかった。
 岩井の方はクイズやゲームのコンテンツの企画を書いてはせっせとキャリアに持ち込み続けたが、ドコモにはまったく通らない。
 「このくらいのアイデアなら、すぐ真似されるし、そのレベルの人をみんなメニューに入れなきゃいけないじゃないですか」
 と夏野は渋い。
 一方バンダイは6月1日から、「ハローキティ」などの人気キャラクターを毎日日替わりでiモードに配信するサービス「いつもでキャラっぱ!」を投入。初日から3000件の新規登録が集中してサーバーからダウン。夕方復旧して登録を再開しだか、不具合として報道される騒ぎになる。この時のiモード加入者数は、まだ25万件だった。
 8月8日、iモードの契約数は6月の新端末投入以来急進して100万人を突破。さらにその勢いを加速していた。「波伝説」のユーザーも2万人を突破。これだけで月600万の売り上げである。「iモードは凄いぞ。これは本物だ」みんな目の色を変えて仕事に取り組むようになった。
 8月に占いの第一人者をネタ元に頼んだ「鏡リュウジの心理占星術」の企画を見た夏野は、「これならもう、このままでいけますね」と評価した。岩井はやっとスランプを脱した。この後はどんどん企画が通るようになる。それは他のキャリアについても同じだった。

b.pnga.png

サイト運営者は桜内ふみき氏をサポートしていますサイト運営者は桜内ふみき氏をサポートしています




人間力★ラボ
人間力★ラボ




人間力営業
人間力営業



「人間力」101本