岡本呻也著 文藝春秋刊 

キラー・コンテンツ

 サイバード起業のため上京した堀は、拠点として西麻布の第23森ビル10階に100平米の部屋を見つけた。森ビルなら有名だし、この部屋からは東京タワーがよく見える。家賃も50万円と高くはない。
 堀は頭からこう決めていた。
 「サイバードは、どんな大企業とでも普通に話ができる一流の会社にする。学生企業のノリではだめなんだ」
 そうでないとビジネスがなかなか前に進まないというのがパラダイス・ウェブでキャリアと交渉してみて学んだことだった。一段階上に背伸びしようという意識である。
 そこでオフィスの備品、什器も安物の机でなく特注品を気張ったので、駆け出しのベンチャーにしては随分立派なピカピカのオフィスができ上がった。しかしリース関係は株主からの優遇を受け、余計なカネはびた一文使わない覚悟である。9000万円しかないのだ。人件費、家賃、開発費を考えると決して多い金額ではない。
 当初は堀、真田、オムロンからの出向者と事務員という4人のスタートだった。岩井はやや遅れて参加した。iモードのスタートまで3カ月しかない。寝る間もない日々が始まった。
 5人の脳みそは一つになっていた。ワイガヤやっていくなかで、アイデアはどんどん形になっていく。
 堀も真田も岩井も企画マンなので企画は山ほど考えつく。なんせ岩井には足掛け3年間、携帯向けコンテンツを練ってきた蓄積がある。真田はQネット以来10年の経験だ。Qネットの経験から行くと、まず儲かるのはコミュニケーション、占い、スポーツであることは明らかだ。
 こうした企画について、ユーザー数のパターンを変えた収支計画を書きまくった。堀はサーバーの手当てや対外接渉、岩井は企画書をまとめてキャリアでのプレゼンテーションに忙しい。真田もコンテンツ企画を立案し、キャリアからOKをもらった企画を開発するのに忙殺されていた。
 岩井が書いた企画書をキャリアに持ち込む。まずJフォンでやっていたショート・メッセージ(簡易文字通信)向けコンテンツ「小ネタ/ジンクス」の企画が通った。次が宴会芸。関西人の集まりだけに自分たちのネタを出し合ってつくってしまう。これで12月からわずかだが現金収入が入り始めた。次はドコモである。コンテンツ担当の責任者は夏野だが、夏野の壁は厚かった。企画の1割も通らないのだ。厳しいようだが、夏野の理屈はこうである。
 「ドコモがリンクを張るということは、われわれのおすすめメニューであるということです。ということはわれわれが自信を持てないものは載せられません」
 サイバードはゲームの企画を10個出したのだが、一つとして通らなかった。一方でバンダイは、「ドコでも遊ベガス」の開発をスタートしていた。これがサービス開始時の唯一のゲームになった。
 その他サイバードはドコモの便利ダイヤルなどを受注したが、これも制作費程度しか回収できない。だが希望はあった。彼らは切り札を持っていたのである。それは真田がQネットでやった、そして堀と岩井がパラダイス・ウェブでやってきたコミュニケーション・サイトである。
 iモードでもこれが一番の人気サイトになることはまちがいないと彼らは踏んでいた。これさえ押さえることができればサイバードの将来は明るいはずである。メーカーの携帯端末の生産が遅れているので、iモードのスタートは3カ月遅れて99年2月22日となった。それまでには間に合うようにサイバード側も準備が進んでいた。

 もう一つ、有力なコンテンツがあった。冬の木枯らしが吹き始めた頃、真田はリョーマを営業譲渡した先の元CSE社長椚座信の思わぬ来訪を受けた。10年ぶりである。Qネットに人材を引き抜いたため空洞化したリョーマの穴を埋めるため営業譲渡を受けた企画会社の元社長は、会社を人手に譲った後、10年近くサーフィンに明け暮れていたという強者で、元Qネット社員で日広社長の加藤に聞いて電話をしてきたらしい。
 あまりにも海が汚れていることに苛立ちを募らせていた椚座は、「これはなんとかしなければ。草の根で海の浄化運動に取り組もう」と考え、日本のサーフィン界の大御所たちに相談した。もちろんみんな「それはよい考えだ」と賛意を表すが、問題は先立つものである。
 「大丈夫、いい考えがあります。僕の友人で真田君というのがいます。彼は今、ダイヤルQ2サービスの最大手の会社をやっていて、随分儲かっているようですから、彼の所に波の状況についての情報を提供して情報料を取り、その一部を資金にすればいいんですよ」
 「それはいい、ぜひやろう」という話になり、椚座はサイバードにやってきた。
 「……それで真田君に相談しに来たんだ」
 「いやだなあ椚座さん、Qネットは6年前に潰れてるんですよ」
 「えっ、そうなの。それは知らなかったなあ」
 「浦島太郎みたいに浮世離れした人ですねえ。でも僕らは今、携帯電話に情報配信する商売をやってるんですよ。今からやるんなら携帯ですよ」
 真田はすばやく計算して言った。Q2の経験で、スポーツで売れる情報は競輪競馬、プロレスと、サーファー用の波情報のみ、と相場が決まっていたからだ。サーフィン人口はごく少数に過ぎないのだが、海岸にどのような波が立っていて、人出がどのくらいあるかという情報を求めている人は確実にいる。
 「携帯電話? なんじゃそりゃ。おおっ、これはいいかも」
 「サーフポイントの波の情報はどうやって取るんですか」
 「それは簡単だよ。藤沢にあるサーフレジェンド社が"波伝説"というのをファクシミリで流しているから、それをそのまま流せばよい。
 ところで何で堀君が真田君と一緒にいるの?」
 実は彼は、大学時代の堀の兄貴分でもあった。この浦島太郎は金の卵を持ってきてくれた。

 ドコモに持っていくと、「やってみよう」ということで、企画が通った。サーフレジェンドの、ダイヤルQ2時代以来の長年の実績がモノを言った。
 「技術者が一人要るなあ」
 「じゃあパラダイス・ウェブのデザイナーの西林さんに探してもらおうか」
 西林から「携帯の情報サービスをやる会社をちょっと手伝ってやってくれないかなあ」との話を受けたのは、現在の技術部シニアマネージャーで、中小企業向けにサイトのシステム構築の仕事をフリーでやっていた銕高弘である。技術者魂を内に秘めた一匹狼だ。彼は災難なことに、クリスマス・イブの夜7時に呼びつけられた。
 銕がサイバードに入っていくと、世間はクリスマスで浮かれているというのに、みんなやけに難しそうな顔をして何か話をしている。
 やがて真田が「こっちに来てくれますか」と部屋の隅にある応接に銕を呼び、人を試す目つきで「HTTPってわかりますか」と質問を投げかけた。銕は「なんだ、素人に聞くような質問だなあ」と不満ながらも口頭試問に応えた。一通りの質問に答えると、真田は「待っててください」と座を外し、堀としばらく話してから戻ってきて「じゃあ採用させていただきますので」とボソボソっと言った。
 まったくその気で来ていなかった銕は「ちょっと待てよ、今のが面接かい」と思ったが、「まあ堀の気心も知れてるし、小さな会社も好きだから、来年30歳になるところで会社勤めでもしてみようか」と思い直した。
 真田は、「ここの会社の技術部門は全部見ていただきます」と言う。銕は「どうせ300人程度へサーバーから情報配信するのだろう」と思い、「訳ないですよ」と答えた。
 この12月、まだiモードのサービスが始まってもいないのに、ドコモの夏野は早くも次世代端末には動画を載せたいと考え、JAVAという標準的な技術を持つサンマイクロシステムズと提携するためのシリコンバレーに飛んだ。
 サイバードの堀、真田、岩井もiモードの成功を確信して準備にいそしんでいたが、夏野は夏野で、自分が考えたiモードのコンセプトを現実にするために、わき目も振らずに邁進していた。だが世間では、この新サービスが大化けするなどとは誰も想像だにしていなかったのである。

 年が明けて、99年1月4日、この正月を生まれて初めて買ったウインドウズマシンをいじって過ごした技術屋の銕は、サイバードに初出勤した。まず最初に真田から「2月22日までに波伝説をつくってください。はいこれ、iモードの仕様書だから読んどいてね。明日会議だから」とぶ厚い仕様書をポンと渡された。
 翌日の会議を一日中聞いていてわかったのは、サーフレジェンドから全国のサーフポイントの情報が1日に3回配信される。それをサイバードのサーバーからiモードに配信するということである。
 iモードはインターネットと同じパケット信号なので、各端末とiモードセンターはずっと繋りっぱなしの状態で、送受信するときだけ情報料に応じて課金される仕組みである。1パケット0・3円なので、最低で20字を0・9円で送信することができる。Jフォンとツーカーは回線交換方式なので回線を繋いでいる時間で料金が決まってしまう。操作が苦手な人はパケット式の方が安上がりだろう。
 それで「波伝説」の技術的な問題は、ファクシミリで送っている大元のデータのままではサイバードのサーバーに入らないということである。これでは話にならない。銕は藤沢まで何度も行ってサーフレジェンドのパソコンの入力データベースをつくり直した。その一方でその情報を携帯電話側のブラウザーで文字に変換するソフトの構築をオムロン・ソフトウエアに依頼した。
 ところが、銕が苦労しつつ一から作業を進める横で、サイバードにとっては驚天動地の事態が起こっていたのである。

 1月7日、神奈川県警捜査一課は藤沢市の専門学校生が平塚市のOLに睡眠導入剤を飲ませ、金品を奪った上屋外に放置し凍死に到らしめたとして、23歳住所不定無職の男性を逮捕した。
 被害者たちは全て犯人と伝言ダイヤルを通して知り合っており、この事件は「伝言ダイヤル殺人事件」として社会面に大きく取り上げられた。そのニュースを見た真田の心にも何かひっかかりがあったのだが、忙しさにかまけて忘れてしまっていた。
 1月下旬、「折り入って話したいことがあるんだ」とサービス開始間近で忙しいはずの夏野がサイバードに姿を見せた。夏野がやって来るということは、どうもいい話ではないなと予感したが、彼の言葉を聞いた瞬間に真田の背筋を冷たいものが走り抜けた。
 「伝言ダイヤル殺人事件を報道するマスコミの論調は"けしからん"って調子だったよね。もし万が一iモードでそんなことがあって、iモードサービス全体が危険だと世間に思われたら、iモードにとっては致命的だ。
 本質的には仕組みが問題ではなくて、ユーザーの使い方の問題なんだけど、世の中は全て結果論だからね。iモードのイメージが下がると、われわれが目指しているWin-Winの関係どころではなくなっていまう。
 ついては、iモードではコミュニケーション系のサービスはやらないと決めたんだ」
 真田の目の前が真っ暗になった。このサービスがサイバードのビジネスの目玉だっただけに、既に数千万円を投入してシステムはほとんどでき上がっている。それで売り上げの見込みが立たなくなってしまうとは。
 それ以上にキャリアの方針変更でこんなことが起きるようでは、このビジネス自体に欠陥があるということだ。NTTの規制で倒産に追い込まれたQネットの悪夢が真田の眼中にまざまざと蘇った。堀も事態の深刻さに衝撃を隠せない。岩井は「これはもうだめかもしれない」と感じた。まだ勝負が始まる前に、彼らのビジネスは致命的な痛撃を食らったのである。

 今のところコンテンツも何もない。サイバードはまだ実質的にゼロの会社だった。もう後がない瀬戸際である。「波伝説」だけが頼みの綱だ。
「銕君、波だけは2月22日のドコモのサービスインに間に合わせてくださいよ」
「はあ、わかりました」
「そりゃ、やれと言われれば黙っていてもちゃんと期日までにやりますよ。でもこんな何の意味があるかもわからないものに大の大人が血相変えて、何をやってるのかね……」と思いながら技術者気質の銕は黙々と仕事を続ける。
 2月初めにはHTML形式でサーフレジェンドのデータが送られてくるようになった。この情報を本棚の下段に置いてある2台のパソコンサーバーから配信できるようになったのがサービス開始1週間前のこと。
「真田さん、できましたよ。でもiモード上のメニュー画面とどう繋がっているのかわからないんですよね」
 ポータルからの入り口として会員用のページと、見本用の画面が必要だということがわかって慌てふためきつつ見本ページを完成させたのが前日のことである。なんとか駆け込みで間に合った形だ。

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