岡本呻也著 文藝春秋刊 

バンダイの参入

 98年7月のある日、バンダイ開発本部ニュープロパティー開発部長の林俊樹が、ドコモ社内の知人の紹介でiモード開発責任者の榎を訪ねてきた。林はバンダイが開発中の通信機能を持った携帯ゲーム機「ワンダースワン」の通信機能が高性能なので、これは使えるのではないかと考えて榎に売り込みに来たのだ。
 ワンダースワンの試作機を手に取った榎は一言、「これ、違うんだよね」と洩らした。
 「はあ?」
 「いや、こういうのをやってるのは隣の部署なんですよ。それはそれで紹介しますけどね。僕の方ではブラウザーの動く携帯電話をやってるんですよ。そのコンテンツをつくってもらえるとありがたいんだけど」
 「はあ、持ち帰って検討します」
 なんとも冴えない会話であるが、ここからiモードの加入者の2割が契約するという大ヒットが生まれたのだから世の中なんでもトライしてみるものである。
 ところで、そもそもバンダイの社長室長でありオーナーの山科誠の側近であった林が新商品を売り込みに来るのには、それなりの経緯があった。
 バンダイは50年の伝統を持つ玩具業界のナンバーワン企業である。そのバンダイが「ピピンアットマーク」で家庭用ゲーム機市場に参入したのは97年3月。CD-ROMで、ガンダム、アンパンマン、機関車トーマスなど、同社が権利を持つキャラクターを中心としたゲームを楽しめるものだが、その他の機能として、ゲーム機では初めて、インターネットへの接続機能を兼備していた。「キーボードが苦手な人でもインターネットができる」という点は注目されたようである。発売にあたって同社は別会社を興して事業を移管、仕様を公開してソフトメーカーを募った。全国紙に見開き広告を打っての、社運を賭した一大プロジェクトだったのである。
 だが結果は散々で、2年後には事業撤退を発表。合計で4万2000台しか売れず、万単位の不良在庫を抱えたようだ。
 バンダイは98年3月に270億円という巨額の特別損失を計上する。販売不振の原因は、ゲームもネット接続機能も中途半端であったからだと言われている。確かにネット接続に関してはキーボードがなければ、馴れている者には使い勝手が悪かった。
 ところが捨てる神あれば拾う神あり。と言うよりこれがバンダイの底力なのだろう、96年11月に発表されたポケットゲーム機「たまごっち」は歴史的な大ヒットになり、収益をぐっと押し上げた。そうした複雑な状況の中で97年1月23日、山科誠社長は電撃的に「セガ・エンタープライゼスと10月1日に合併する」と発表する。なんと家庭用ゲーム機市場のライバルとくっついて「セガバンダイ」になるというのだ。
 この構想はごく少数の役員しか知らなかったのだが、あまりの社風の違いを危惧して若手社員はほとんど反対に回り、5月には部課長からも合併反対の嘆願書が提出された。山科の側近中の側近であった林も、合併発表の3日後には反対派の先頭に立っていたというから、社内は混乱を極めていたのだろう。反対派は創業者である相談役の山科直治を懸命に説得し、社長の父親の姿勢が変わったことから合併派が有利になる。
 結局、5月27日に両社は合併断念を発表した。
「でも山科さんは大きな人ですから、正面から合併に反対するし、そんなことなら辞めるとまで言った僕を使い続けようとしたんですよ。今でも信頼関係は変わっていません。でも、僕の方が精神的にもたなくて、"異動させてください"と頼んだんですよ」
 6月、役員の大幅人事異動が行われ、山科は会長に退いた。林は広報部長に移った。彼はてきぱきと歯切れよく語るのでメディア受けもよかったのだろう。好意記事獲得率を上げていった。
 そして98年1月、ピピンアットマークの幕引きの日がやってきた。販売元がなくなったCD-ROMソフトが大量に返品される可能性がある。しかしピピンはマッキントッシュの規格でつくられているので、ソフトをそのまま売り続けることもできるのだ。手を拱いてそのまま返品されると赤字額が22億円膨らむことになる。誰が「ソフトを返品せず、継続して売ってもらえる」よう説得して歩く在庫処理の任にあたるか。誰でもこんな損な役回りは御免だ。引き受け手などいない。
 他の人事は人事異動日のかなり前に内示されるのだが、10日前になって林は突然社長から呼び出しを食った。
 「今日決まったんだけど、ピピンの件、やってもらえないかなあ」
 林は「俺もサラリーマン、ガタガタ言ってもしかたない」と考え、「決まりですか?」とだけ尋ねた。「そうだ」と社長。
 「わかりました。やります」と言って引き下がった林だったが、さすがに2、3日は悩まずにはいられなかった。だがこう考えることにした。開発から管理畑に回った林は、これまでなかなか事業系に関与できなかったが、この辛い処理をやり通せば、事業系でも活躍できるようになるだろう。とすればこれはチャンスだ。
 「本人ができるとさえ思っていれば、必ずできる」
 林は広報と兼務で撤退事業の処理を開始した。その事業部の名称がニュープロパティ開発部というのも変だが、ネット事業としては全国に十数カ所のアクセスポイントが稼動していた。古いサーバーも40台以上所有している。またブラウザーつきPHSの開発部隊など、20人ほどの人間を引き取っていた。
 ともすれば暗くなりがちな部員を元気づけるため、林は自分の机の周囲の壁に標語を書いて張り出した。
 「利益の出ない仕事は仕事じゃない」
 赤字が見込まれる商品の開発をあきらめさせるためである。しかし世の中にどれだけ利益の出ない仕事を続けていて平気な人が多いことか。
 「安定事業基盤を探そう。創ろう」
 というのもあった。撤退部門なのになぜ、と思うが、上層部にも「嫌な仕事を押しつけている」という意識があるので、「ちょっとこんな新しい仕事をやってみたいと思うのですが」という案件を持ち出すと、役員も「うん、新規投資が要らないのならどんどんやってよ」ということになる。林はそれを逆手に取ろうとしたのである。と言えば聞こえがよいが、そうでもしないと精神的に辛くてやっていられない仕事だった。それと並んでこんな標語も貼ってあった。
 「マルチメディア事業でナスダックに上場しよう」
 ここまで来るとさすがに空元気の域である。
 しかし林はこれらの標語を背負ってCD-ROMの在庫を抱えるメーカー回りを続けた。その空き時間には新事業のアイデアを出して小当たりしていたのである。そしてドコモに行き当ったというわけだ。

 ドコモで榎の話を聞いて、林は89年頃、社内論文で「ゲーム端末をネットで繋いでゲームを売るようにすると面白い」と提案したことを思い出した。当時はあまりに通信速度が遅かったので、「何言ってんだ」と相手にされなかったが、iモードを使えばネット上でゲームを売るという夢が実現するかもしれない。しかも収金代行もしてくれるという。ピピンの遺棄物資であるサーバーもあるし、サーバーの運用ノウハウもある。HTMLが書ける人材もいるから、コンパクトHTMLなら大丈夫だ。現に抱えている負のリソースが金に変わるということではないだろうか。
 榎に興味があることを伝えると、榎はわざわざバンダイまで足を運んでiモードの試作機を見せてくれた。「見当違いの話を持ち込んだ者に対して優しいなあ」と林は感激した。しかしドコモにもエンターテイメント系のコンテンツが欲しいという事情があった。
 携帯電話上のブラウザーを見ると、ちゃんと動いている。林は企画会社の社長と相談して前述のシェアモデルをつくり、企画立案をスタートした。

 バンダイがiモードのスタート初日から投入した番組は「どこでも遊べガス」という。毎日メールでクイズが出題され、持ち点を賭けながらクイズに回答して架空の通貨を増やしていくという、クイズとゲーム性を兼備したものだ。「東西吉野家対決」といって大阪と東京の吉野家で牛丼を注文してどちらが早く持ってくるかを競わせたり、「今日上野のパンダは1日に何回あくびをするでしょうか」と出題して一日中パンダを見張っていたり、というおふざけクイズを真面目にやっている。月額料金は300円。
 林はこれを企画する際、いつものように外部のブレーン会社を使ったのだが、今回に限っては企画の買い取り方式を採らなかった。彼にはある信念があり、それに基づいてやってみたいシェアモデルがあったのだ。
 「日本では、外国では当たり前のことが、当たり前でないということが多いと思うんですよ。高速道路がタダじゃないとかね。
 著作権についての考えがいい加減というのもそう。人様が一生懸命考えたものが価値を生むのであれば、その汗の対価が正当に支払われず、買い取られたアイデアで発注側が利益を独り占めするというのはおかしいですよ。アイデアやグラフィックがお金に変わるというのは当然のことなんです」
 そこで林は親しいブレーン会社の社長に、「今回の仕事は買い取りと違う形にしたい。うちと折半でリスクを取ってもらえないですか」と告げた。相手は社員数20人くらいの中小企業である。買い取りで10本企画を頼む場合、あまり本気でつくってくれない。だから当然、面白くない。利用者からそっぽを向かれたらコンテンツ商売はおしまいである。「それなら、お互いリスクを分け合い、コストをかけて本気で仕事に取り組みましょう。その代わり儲けが出たらリターンはありますよ」という提案である。"下請けを使う"という発注側の意識がそのままでは、この図式は成り立たない。良質のコンテンツをつくるために同じ立場でパートナーとして共闘できるかどうかだ。
 「"わかりました、おたくと折半でリスク処理しますよ"と社長に言ってもらった時は嬉しかったですねえ。これ、やってみたかったんですよ」
 と林は振り返る。先方も適当にやっつけ仕事で出してくる企画を10本もらうより、費用を負担し合って根性の入った企画を25本つくるほうが絶対に質のよいコンテンツができるはずだ。それまでは客としておだて上げられていたバンダイの若い担当者の意見も、なかなか通らないようになってきた。双方が本気で取り組むプロジェクトとなったのである。
 バンダイのコンテンツは成功を納め、この企画会社は現在では月に数百万円の報酬をバンダイから得ているようだ。
 林のシェアモデルは、夏野が考えたWin-Winモデルの原型である。従来の企業の取引関係というのは、発注側が利益を独占し、受注側は下請けに甘んじるという傾向があった。日本企業は戦艦大和型で、必要なものは印刷会社から病院に到るまで自前で装備しなければならないという通念があった。大企業の場合これはメンツに近い。生産関係も、全て系列構造の中に包摂し、関係の継続性を重視してきた。これでは徒にコスト負担が増大し、技術などの環境変化に柔軟に対応できないというのはよく指摘されることである。だが、それ以上に、このシステムは大きな問題を抱えている。関係が固定された2者間では、継続的に新しい"知"を生み出していくには限界がある。しかし、"知"こそ新しい価値を生み、ビジネスの優位性を生む源泉である。林のシュアモデルは、従来の桎梏を破り、協力会社との間に対等のパートナーシップを築くことによって、競争力のある質の高いアイデアを手にするための新手法だった。

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