岡本呻也著 文藝春秋刊 

再会

 嵐のような日々の中で98年が明け、2月、真田はひさびさの休日に、芝公園を歩いていた。リョーマの社員でQネットの役員を務め、その後リクルートに入社し、ゲーム業界を研究してゲームの雑誌「じゃらん」の創刊に携わった高橋信太郎の結婚式が、東京プリンスホテルで行われるというのでめかし込んでやってきたわけだ。
 ホテルの宴会場に着いてみると400人を超える人が集まっている。派手好きで人脈も多い高橋が、友人を総動員したのである。しばらくの間にこのような集まりに顔を出すことの絶えてなかった真田としては、久し振りの晴れの場だ。沈没していた彼がやっとこういう場に出られるようになったというのは、すっかり前向きに生き始めた証左である。
 会場は着席型ではなく立食で、あっちこっちに人の塊ができてヤアヤアと旧交を温め合っている。誰おるんやろう。よく見ると、学生時代からの懐かしい顔ばかり。よくもまあこれだけ集めたものである。
 この場に、「携帯電話にインターネットを載せよう」というキャリアとの交渉に行き詰まっている堀主知ロバートを、「たまには東京に出て気分を変えよう」と岩井陽介が引っ張って上京してきていた。岩井が学生時代以来に会う真田を見つけて懐かしげに喋っているのを見て、堀は「こいつ、誰やねん」と思った。
 「この顔はむっちゃよう知ってる顔やねん。誰やったっけ……」。真田とは学校で会うことはなく、もっぱらミナミのディスコで顔を合わせていただけだった堀は岩井よりも真田との間に距離があった。しばらく2人の会話を聞いていた堀は、
 「ああ、真田さんやん、むっちゃ久し振りですね。今、何やってんですか。僕らは携帯電話のビジネスを考えてるんです」
 真田は浪人しているので堀より年上だ。年長者に丁寧な堀の言葉につられて、真田は「ああ、それなら僕は……」と言わなくてよいことを話してしまった。
 話を聞いて堀と岩井は驚いた。既に11月からJフォンが携帯電話を使った電子メール(ショート・メッセージ)のサービスを始めていたが、どうやら東京のキャリアは本気で携帯でのネット接続を考えているらしい。しかも真田は技術的な知識を完璧に身につけているようだ。
 堀は一方的に、「こんなサービスはできるだろうか」と質問し、真田は差し障りのない範囲で答えたのだが、真田は真田で、彼らが携帯でのネットビジネスを考えて2年間もキャリアを動かそうと悪戦苦闘していたことを聞いて驚きを禁じ得なかった。
 堀と岩井は、「自分達の2年間はいったい何だったのだろうか」と思いつつ新幹線で帰阪した。
 帰途、堀は思った。
 「真田さんさえいてくれれば……」

 数日後、真田はiモード端末に載せる閲覧ソフトの価格最終交渉のために某エレクトロニクスメーカーを訪ねていた。交渉は500円の提示額から始まり、100円を切る切らないというところまで値切られてしまう。
 携帯電話閲覧ソフトやコンテンツ提供にビジネスチャンスを描いていた彼は思った。
「ちょっと待てよ、これじゃ商売にならんやないか。数が売れる他の携帯端末なら500円以上するものが数十万台は出るはずの携帯電話だと話が全然違う。
 幾ら売れてもグロス収入が違わないのだ。これはひょっとして、組み込みソフトの価格は、メーカーがソフトを自社開発したらかかるコストを売れる台数分で割った金額に、限りなく収斂していくということなのではないだろうか。それでは開発費以上に儲かることはないことになる。
 これがソフト屋というものか、1台で2年間は使う携帯電話の閲覧ソフト代をつくっても1回こっきり数十円にしかならない。それならそのソフト上に情報を送ることで毎月百円ユーザーからもらうことができるコンテンツ・プロバイダーのほうがよほどいいじゃないか。売り切り商品は儲けにならん。
 これはどうも、サービス側のことも研究したほうがよさそうだぞ」

 翌週、真田はドコモの研究所に紹介方を頼んで、ドコモのゲートウエイビジネス部を訪ねた。「コンテンツ担当チームと一度ディスカッションさせていただきたい」と申し入れたのである。彼は横須賀の研究所にしか通っていなかったので、ついぞ本社に足を向けたことはなかった。真田はこの時点では独立起業などということは考えもせずに、単に勉強させてもらうつもりでゲートウエイビジネス部の門を叩いたのである。
 応接室で待っていると、ぞろぞろとチームの面々が4、5人入室してきた。端の人から深々と頭を下げて挨拶し名刺交換をしていく。
 「アクセスの真田でございます。ははあ、よろしくお願い申し上げます」
 丁寧に、慇懃に。これこそ大企業の流儀である。
 やがて最後の人と挨拶し、お互いの名刺を指先でつまんだところで、2人とも弾かれたように顔を上げて正面にいる相手の顔をまじまじと見つめたまま固まった。
 「お、お前なんでここにおんねん」
 「お前こそ……」
 7、8年前に東京円卓クラブで激論を交わしていた好敵手、夏野剛であった。年末に潰れたはずのハイパーネットにいたはずの夏野が自分にあまりに近いドコモにいたことに真田は意表を突かれたが、夏野は夏野で、Qネットが潰れて以後ほとんど雲隠れしたように消息を聞かなかった真田が突然目の前に姿を現したことに芯から驚いていた。
 「ちょっと待ってね。マリさん呼んでくるから」
 夏野が席を外して松永を呼んできた。
 「ほら、マリさん、あのQネットの真田ですよ」
 「ああ、あのときの真田君。久しぶりねえ、何してたの」
 それからしばらくは昔話に花が咲いた。この場で真田はiモードによるコンテンツビジネスの可能性を確信することができたのである。Q2ビジネスでの経験を考えると、iモードへの情報提供は十分商売になるはずだ。真田は事業計画を練り始めた。

 一方、関西に帰った堀も携帯コンテンツビジネスの事業案を固めつつあった。企画についてはこれまで3年間岩井と考え抜いたプランが貯まっている。事業収支計画も数限りなくつくってきた。必要なのは金主だ。しかも信用のある大企業で、かつ特定のキャリアと取引関係があってはならない。まず、立石琢磨に相談する。
 立石は「それはめちゃおもろいん違いますか」と答えた。堀は「オムロンさん本体に出資話を持ちかけたいんやけど」とおずおずと尋ねる。「それは僕は立場が微妙なので、担当部署を紹介しますから相談してもらえますか」。
 携帯でインターネットというのはまだ夢物語の時代である。しかし堀はこの時のために磨き上げてきたかのような説得術でオムロンを説き伏せ、ついに出資を得ることに成功する。堀にはオムロンのような大企業の後ろ楯がなければ、弱小ベンチャーがキャリアと取り引きするのは難しいとの深慮遠謀があったのだ。
 後はアクセスにいる真田を引き込めばよい。堀の側の起業準備の進展状況は逐一電子メールで彼に知らせてあった。

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