岡本呻也著 文藝春秋刊 

iモード開発指令

 97年1月、ドコモ法人営業部長の榎啓一は、社長の大星公二から「携帯電話を使った非音声通信のビジネスを研究せよ」と下命された。既にポケットボード(メール専用端末)やノートパソコンを使ったネット接続はあったので、「次は端末単体でやれということだな」と榎は受け取った。
 そして「このビジネスは面白いし、いけるに違いない」と直観した。論理的帰結ではなく、中高生の長女長男がポケットベルやテレビゲームで遊んでいるところや、小さなゲーム機を嬉々としていじっているところを見て、彼らの世代なら携帯にネットを載せてもついてくるという確信を持っていたからである。
 とにかくチームをつくらなければならない。まず社内公募で「わけのわからないニュービジネスをやってもいい」という若者を5人ほど集めた。それからマッキンゼーの知恵を借りる(オンラインオークションを手掛けるDeNA社長の南場智子がいたチームである。同社はリクルートのポータルサイトISISEの立ち上げのための助言も行っていた)。マッキンゼーは、「このビジネスの成功の鍵はどのようなコンテンツをつくるかにかかっている」と言う。ではその開発を誰がやるか。
 ドコモはインフラ商売の体質なので、まちがいなく電話を繋げるという地味な仕事が淡々とできる人間は多いが、その上に乗せる情報をどうコントロールするかについて知っている人間などいない。ではそれも社外に求めるしかない。
 榎は賭けに出ることにした。賭けても構わないと思った。どうせ自分もコンテンツのことなどわからない。20年間技術屋一筋だったのだから。そもそもこの仕事について榎に白羽の矢が立ったのは、電々公社の空気を吸ってきたものとしては変わっていると思われているからだし、変に打たれ強いと周りに思われているからだろう。それなら自分の考え方を根底から引っくり返してくれた人の意見に盲従する方が筋が通っている。
 榎が連絡したのは、熊本にある印刷会社、印刷協業組合サンカラー代表理事の橋本雅史だった。橋本は今から16年前、35歳だった榎が熊本電話局にいた時に2代目経営者の集まりの代表として密度の濃い付き合いをした、というよりベンチャー魂を叩き込まれた師なのである。
 当時は電々公社が民営のNTTに衣替えした頃で、各地の威勢のいい経営者たちが、これで電々公社と取り引きができるぞ」と窓口に殺到していた。「電々ファミリー」という言葉がしぶとく残っているように、電々公社は特定の企業としか決して取り引きしようとしなかったのである。その看板が書き替わったからといってその軛が簡単に外されるであろうなどという甘っちょろい考えを商売に長けた経営者連中が持つはずもないが、「ここはこいつをオルグして、あわよくば商売に結びつくかも」というよいターゲットになったようだ。榎は3年間の赴任期間中毎日呼び出されては橋本に説教を食らった。
 「あんたらNTTは詰まらないね。入社試験を通ったら、何歳で結婚、何歳で課長、どこに社宅があって、天下り先はどこということまで決まっとる。墓立てるとこまで決まっとるでしょう。俺ら中小企業は明日をも知れん。だから毎日が面白いんだよ」
 この調子である。榎は自然独占、定型仕事のNTTの中にあって、橋本に会って初めて外の世界を知ったのだ。
 橋本は卓越したマーケティングセンスを持っていた。印刷会社は頼まれた仕事で印刷機を回しておればよいという時代に、彼は積極的に前工程に打って出た。デザイナーを採用し、「優秀な社員を採用するなら入社案内をつくった方がいいですよ」と提案営業して歩く。同業他社がその方向に気づいて同じようなことを始めたと見ると、今度は後工程に目を向ける。「入社案内をつくったら、発送リストをいただければウチで発送作業をやらせていただきますよ」
 これで20年間、好不況に関係なく増収増益を続けているのである。日本初の地域ポケベル会社九州ネットワークシステムは、この橋本がつくることになる。

 榎の考え方は橋本との付き合いが深くなるにつれて自然に変わっていった。
 「売ってナンボ、客が喜んでナンボなんだ。技術者がつくってできたモノを客の好みに関係なく売るというプロダクト・アウトの発想じゃあダメなんだ」
 これは民間では当たり前の考え方だが、NTTの中はさぞ歩きにくかったに違いない。とはいえ天の配剤、ネットに接続できる携帯端末開発の天命は彼に降り、本人はそれをいいことに橋本に人選をお伺いを立てようとしていた。外部からの人材登用の内諾は大星から得ていた。
 「誰かネットのコンテンツのわかる人はいないもんですかねえ」
 橋本が指名したのは雑誌編集者。編集経験22年、リクルートの女性転職雑誌「とらばーゆ」編集長を勤め、当時は「ワークス」編集長だった松永真理。明るい性格と企画力で、短大講師やテレビ出演、政府の審議会委員もこなす、40歳をやや回った名物編集者である。松永は地方政治家出身の2人の代議士、細川護●、岩國哲人の共著書『鄙の論理』を読んで、熊本の若手経営者の話を取材するため熊本を訪れ、その機会に橋本と知り合っていたのである。
 97年3月、上京した橋本は飯倉のイタリアンレストラン「キャンティ」で、松永を榎に紹介した。「橋本さんの紹介だから才能のある人なんだろう」というイメージが、松永の話を聞くにつれて、榎の中で、「この人の言ってることが当っているかも」とサッと変化していった。
 「この人に来てもらおう」。

b.pnga.png

サイト運営者は桜内ふみき氏をサポートしていますサイト運営者は桜内ふみき氏をサポートしています




人間力★ラボ
人間力★ラボ




人間力営業
人間力営業



「人間力」101本