岡本呻也著 文藝春秋刊 

インターネットは知恵の架け橋

 携帯電話にゲームなどのコンテンツを提供するベンチャー企業、サイバード社長の堀主知ロバートは、南紀白浜の名門旅館川久の血筋を引く、根っからの起業家であり商売人だ。20代の彼は、周囲から見ればおそらく狂気と紙一重の起業意欲で突っ走っていた。どうしても自分でビジネスをやりたいのだ。
 ベンチャー起業家はなぜ会社をつくるのか。私の見るところ、彼らがビジネスをやる最大の動機は、「自分の正しさを証明するため」であろう。起業は彼らにとっての自己表現の方法なのである。起業家は普通の人から見ると奇抜とも思える発想力をもっている。堀の場合はそのため、高校時代に周囲と摩擦を起こすことも少なくなかった。普通人とうまく噛み合わないのである。
 23歳の時、関西学院大学卒業後留学していたロンドン大学から、起業のため留学を切り上げて帰国。彼が最初に手がけようとしたのが任天堂のソフトをアメリカに売る商売だ。起業には金主が要る。でも親に資金を頼むのはどうしても嫌だった。なぜなら彼の親はビジネスの面白さを堀に教えておきながら、一方で世の中がままならないものであるというジレンマも教育していた。学生時代は門限5時という抑圧の中で彼は「では俺も一人前に商売ができることを証明してやろう」という意地とないまぜになった起業の動機を膨らませていた。
 そこで堀は「会社四季報」を手にして、1ページ目の最初の会社から代表番号に電話をかけ始めた。受付嬢に「社長さんをお願いします。関西の堀ですが」と電話をかける。片っ端から電話をして、四季報の会社が尽きるまでには話を聞いて出資してくれる経営者もいるだろうという、とんでもない算段である。しかし百社電話すれば、どの社長でも1人2人は関西に堀という知人がいるもので、2、3社は社長本人に話しが繋がった。
 社長が電話口に出たら「すいません」とまず詫びを入れる。
 「実は僕、どうしてもビジネスがやりたくて、資金を出してくれる人が必要なんです」
 たいていはガチャンと電話を切られて終わるのだが、数社の社長は堀を社長室に招いて話をきいてくれたそうだ。熱意を込めて「利益は折半させていただきたい」と話す堀の姿を見て、涙を浮かべながら「応援してやろう」と言ってくれた社長もいたそうである。純粋に商売をやりたがっている青年の姿を見て共感を示すのは、自分も起業家として同じ思いを持っていたからだろう。
 起業に理由はない。自分を表現する舞台をつくるため「俺はこれをやりたいんだ。やってみたいんだ」と損得を考えずに行動するのが筋金入りのベンチャー経営者なのである。

 なんとか金主は見つけたが人が集まらずビジネスの立ち上げに失敗。失意の堀は東京に出て原宿でおもちゃ屋を開き繁盛店にするが、今度はスポンサーが倒産。若さに任せた当たって砕けろの挑戦にはあっけなく決着がついた。90年、25歳の時に祖父を手伝って川久の新築を手伝う。最高の建築素材を求めて世界中に足を伸ばした。その中でシャンデリアはヴェニスのガラス工房に依頼したのだが、イタリア人の通弊で待てど暮らせど注文が出来上がらない。電話で督促しても居留守を使われてしまう。かといってヴェニスまでは居催促に行く時間の余裕はない。使える道具はファクシミリしかない。堀はどうしたか。
 彼は英文の督促状を書いて5枚プリントアウトし、それを1枚ずつ張り付けて長く繋げ、ファクシミリでヴェニスの工房に送り始めた。相手が受信したところで既に送信されて出てきた部分の頭と、まだ送られてない部分のお尻をセロテープで貼り合わせる。督促状はぐるぐると循環しているので、先方では延々と同じ督促状がファクシミリから吐き出されてくるという按配だ。さすがに音を上げた工房から電話がかかってきた。
 「すぐに仕事にかかるから勘弁してくれえ」
 1年半後、再建なった川久は建築的に高い評価を受ける。92年、ロンドンのハイドパークで乗馬を楽しんでいた時に知り合ったドイツ人がやっている、運動生理学を使った競走馬の栄養管理メソッドの輸入を事業化、JRAの競走馬の餌を管理するエクイストロールを設立する。この会社のノウハウの提供を受けた馬は99年に10勝している。

 94年、堀はインターネットに出会う。゛ピー、ガー゛と間抜けな音をたててモデムでインターネットに接続するパソコンを苦心して設置した堀は思った。
 「うわぁ、これやん、俺が求めていたものは。パソコンが繋がればソフトをいちいち手入力する必要がないし、世界中のいろんな情報を取りに行くことができる。他人と知性が共有できる。
 こんな凄いことができてくれてありがとう」
 ネットが他者の知恵との架け橋であることを堀は見抜いていた。
 そこで堀は猛烈にネットの知識を吸収した。彼が手引きを受けたのは、京都に日本で最初のインターネット・カフェ(インターネットを使えることを売り物にした喫茶店)を開いたファースト・サイバースペース・コーポレーションの川端保正だった。川久の仕事で繋がりがあった建築家高松伸の秘書が川端の友人だった。彼らと、以前からの遊び仲間だったオムロン社長立石義雄の次男立石琢磨らを川久に招き、ネットの勉強会をやったり、母校の理学部の教授のパソコンを触らせてもらったり、海外から関連図書を取り寄せたりして、堀は次第に次のビジネスをネット周辺にフォーカスしていった。母親のやっている建築コンサルティング会社を手伝いながら彼は打って出る機会を伺っていたのだ。
 頭の中がネットで一杯だった堀は、やはり大学時代から遊び仲間だった岩井陽介と苦楽園辺りのレストランで食事した時に思わず打ち明けてみた。
 「インターネットって知ってるか。こんなんらしいで」
 「うわっ、ごっついなあ。そんなんできるん。そんなおもろいとは思わんかったわ」
 「じゃあ、一緒にやってみん?」
 と、話はたわいもないところから始まるものである。彼らは組んでサイトビジネスを始めることに合意したが、それが花開くまでには、これから5年間もの長い苦難の道程が待っていた。

 岩井陽介という男もやはり、関西学院大学時代は企画サークルを自分でつくり、西武百貨店などの販促の仕事を請け負ったりしていた。また当時関西学生会を仕切り、後にQネットを起業する真田哲弥の下で、学生向けクレジットカードの企画づくりに参加していたこともある。特典をつけたカードを学生にもたせて潜在顧客の囲い込みと青田刈りをちゃっかりやろうという企画である。その後、堀主知とBICという学生企業を運営する。ゴルフのトーナメントへの学生動員や、サークル雑誌をつくるのが仕事だった。
 うまく行っていたので事業は後輩に譲って88年、リクルートコスモスに入社。内定数日後に発覚したリクルート事件真っ只中、堀は広報室に配属され、マスコミ各社からかかってくる電話はすべて新入社員の岩井が受け、上司にメモを回す羽目になった。その後サブリース部門に移動、同僚に大阪有線の御曹司で、三田倶楽部に出入りしていた宇野康秀がいた。
 そして2年後、岩井はBICの全身だったパレットクラブの創立者、佐々木雅彦に誘われて、佐々木が携わっていたヒロ松下のレースのマネジメント会社に移籍し、関西に戻って堀との旧交を復活していた。ヒロ松下というのは松下幸之助の孫で、本田宗一郎の息子本田博俊がつくった無限エンジンを搭載して、当時はアメリカでインディカーレースに参戦していた。

 ではインターネットを使って何をやるか。堀と岩井は知恵を絞り合った。
 「やっぱり女の子と知り合えなあかんやろ。eメールがはやってるから、文通できるんがええやん。こちらでeメールアドレスをあげられるようにしよう」
 「知らん人からメールが来たら女の子怖がるやろ。だから相手のこと知らんと」
 「だったらとにかく写真が欲しい。それと個人のプロフィールも充実させよう。住んどるエリア、年齢、職業、趣味を書き込んでもらうと」
 「それを検索する機能をつけたら、自分の知り合いたいタイプが探せてええな。自分のホームページが持てて、異性とも出会える」
 「名前はと。情報がどんどん広がっていくというネットの発想がおもろいやん。楽園を広げていくいうことで、゛パラダイス・ウェブ゛いうんはどう?」

 彼らは資本金1500万円でパラダイス・ウェブを設立。知人のつてを頼ってオラクルにサーバー制作を発注し、サーバー代で資本金はほとんど底をついた。半年後の96年夏、出会い系サイト「パラダイス・ウェブ」がスタートする。最初の50人はサクラで登録した。学生の人材派遣をやっていたくらいだから、美人を集めるなんてお手のものである。口コミだけで、すぐに2000人の登録者を獲得、1日に10万ページビューという類似サイトを凌駕する成功を納めた。
 だがまったく喜ぶわけにはいかなかった。課金する方法を思いつかなかったのである。当時はサイトへの課金のシステムが存在しなかったのだ。
 「じゃあバナー広告をいれよう」と、広告を1本5万円で募るが売り方がわからす掲載希望者はゼロ。これでは干上がってしまう。並行してやっていたネットカフェのフランチャイズ事業に期待を繋ぐ。こちらの方は普通の喫茶店の一角にパソコンをおいてネットカフェにすることができるというアイデアで、「パソコンと設置運営費を含めて165万円でできますよ」という彼らの呼びかけが96年5月に日経産業新聞の1面に出たのだが、結局1件の申し込みも来なかった。
 それでも懲りずに、今度は「マリッジ・ネット」というのを考案した。
 結婚したカップルは自分たちの写真を他人に送りたがる。ではホームページをつくって結婚式の様子や新婚旅行の写真を掲載するサービスを行おうというのである。それをまた虫のいいことに、結婚式とセットにして結婚式場に売らせようと、関西最大手の結婚式場紹介業者に営業を頼んだ。「写真10万円、ビデオ10万円」の見積もりに「ホームページ10万円」を加えさせる腹である。ところが紹介業者も自分たちが理解していないネットのサービスなど売ることはできない。ついに匙を投げられて「結婚予定のカップルが式場を選びに来るブライダル・フェアにブースを出して、自分たちで売ったらどうか。出店料はタダでいいから」と言われてしまう。
 堀と岩井はネクタイを締めて、ブライダル・フェアの会場に座って営業してみた。10回ブライダル・フェアに参加して成約は1件もなし。既に3回目くらいには「かなわんなあ」と事業自体に嫌気がさしてしまった。結婚する前のカップルは式場やケーキ、ドレスのことで頭が一杯になっていて、式の後のことなどに頭が回らないのである。おまけに本業では堀も岩井もちゃんとしたビジネスをやっているのに、幸せなカップルをボッーと眺めながら手持ち無沙汰に座っている自分が情けない限り。2人して顔を見合わせて「これ、やめよ」ということになった。

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