岡本呻也著 文藝春秋刊 

ビットスタイル

 4月22日木曜日、月例会になった最初の「ビットな飲み会(後のビットスタイル)」が、渋谷の東急文化村地下1階のカフェ「ドゥ・マゴ」で開催された。
 「ドゥ・マゴ」はパリにあるカフェで、サルトルがボーボワールを口説くのに、「現象学を使えば、ここにコップがあることをちゃんと説明することができるんだよ」などとやっていた店と言えば、学生時代に読んだ哲学書を思い出してピンと来る向きも多いのではないか。そのドゥ・マゴの提携店であるしゃれた店を、ネクタイを締めた若者たちが占拠した。その数100人以上。年齢は30歳を中心にして、プラスマイナス10歳くらいに分布していた。そしてこの場に顔を出した人の中に、後のビットバレーの名士として著名人となる人が多数いたのである。機会に飢えていたのであろう、地方からわざわざ出向いてきた人も少なくなかった。100人程度であれば、ざっとみれば知り合いの顔も見つけられるし、「なるべく多くの人と名刺交換しよう。中には面白い人もいるかもしれない」という気にもなる。
 この店は東急文化村の中庭にも椅子やテーブルを出していたのだが、この日はあいにく雨模様で中庭が使えなかった。そこで参加者は屋内に固まることになり、ドゥ・マゴの店内は立錐の余地もなくなった。そして人に揉まれながら名刺を交換している参加者も、主催者自身も、こんなに大勢の人が来たという事実に一番驚いていた。
 「ビターバレー」という言葉になんとなくつられて、何年も顔を合わせていなかったような同業人が、口コミで参加してくる。「渋谷」という言葉によって、アンテナを張っている先端人たちの、「自分たちが参加すべきイベントだ。乗り遅れちゃいけない」という反応を引き出すことができたのである。結果として「ビットバレー」という言葉は、「ネットの仲間は全員集まれーっ」を意味する言葉になった。たいした参加者意識もなく来た者でも会場の熱気によって、自分たちの力を初めて認識することができた。
 パーティー会場というのは若干狭くて主催者が「いやぁ、人が来すぎちゃいました」と詫びて回っている状態の方が参加者も満足するし、不思議に「また来よう」と思うものだ。人もカネも情報も、本来はさびしがり屋なので、仲間のいる所にどんどん集まりたがる。この後のビットスタイルの会場で、参加者を収容して余裕があった試しはなかった。
 第1回のビットな飲み会は、アマゾンの西野と電脳隊社長の田中がスピーチをして散会した。

 第2回はパルコのレストランに200名弱を集めた。第3回は山手線をまたいでROOMSに移り200名。いずれも申し込み制で、予め参加予定者リストが配信されるので、そのリストに並んだ業界有名人の名前を見て開催当日になってから「すみません忘れてました」と申し込んでくる不届き者が相次いだ。
 この間、金曜日にはビットフライデーも数回開催されたが、人数が集まりすぎて、一部のメンバーは度々店から追い出されるはめになる。
 5月31日には「ビットバレー・マガジン」という週刊の電子メールマガジンの発行がスタート。この冒頭に松山大河は「インターネット=ネットビジネスではない」という一文を寄せている。インターネットは商売の種だけに使うものではなく、低いコストで多くの情報やサービスを伝えるコストはボランティアにも使えると説く内容で、NPO的文化を持つビットバレーの気風をよく表している。彼はショーペンハウエルの次の箴言をもって擱筆している。
 「人間は、自分の頭脳や心を養うためよりも何千倍も多く、富を得るために心を使っている。しかし、私達の幸福の為に役立つものは、疑いもなく人間が外に持っているものよりも、内に持っているものなのだ」
 彼はその後考えをさらに進め、「ネット企業は株式公開後にNPOに移行すべきだ」と主張している。そのサイトの大多数の株主がユーザーであれば、会社としての利益よりも、サイトの利便性を追求することが株主に対するリターンの最大化につながるのではないかという極端な発想である。
 ビットスタイルは既に、アメリカのニューズウィークやNHK、日経新聞に取り上げられていたが、これはマスコミの若手でネット関係に関心が高い人も、メーリングリストなどを介してビットスタイルの存在を知っており、それが報道につながったわけだ。BVAでは一度もメディア向けのプロモーションをしなかったがマスコミはよろこんでビットスタイルを取り上げた。
 運営者側の姿勢としては、メディアにかかわらず誰に対しても、「ぜひお越しください」と言っているわけではない。「場はつくったので、来るなら来て、後は勝手にやってください」という態度だ。なぜこんな強気な立場を事務局がとれるかというと、彼らには「自分たちは儲けが目的でやっているわけではない。社会に対して何かの価値を提供したいからやっているだけだ」と開き直っていたからである。10年前のヤンエグだと、ディスコに人を集めて、出し物もすべて自分たちで用意して、参加者はそれに魅かれて集まり、受け手としてその場に参加させてもらうというスタンスであったのだが、ビットスタイルでは事務局が用意しているものは何人かのスピーチと、ボランティアの人がつくってくれたビットバレーのロゴマークの投射といった演出のみである。
 ビットスタイルの中身は、参加者本人が各々つくっていくということだろう。ヤンエグ以前の世代では、これはなかなか難しかった。個人という概念が希薄だったからだ。日本人はどこかしら、自分が属する組織と、自分のパーソナリティを一体化させてしまっているので、パーティーの席で話していても「わが社では……」などと会社を代表するような表現を使っていて、かつそれに違和感をまったく持っていない人が多い。これでは限界的な部分での意見交換はできない。そもそもそういう人は本音を言うつもりもなければ情報を開示するつもりもない。これをフリーライダー(ただ乗り)と言う。このタイプの人が多いと、パーティーをやって人を集めてもお互い得られるものがないので長続きしない。
 「ビットバレーの実態はね、志を持っている人たちの相互扶助なんですよ。お互いを助け合うというのが趣旨です。だからそのための最低限のインフラ(会場の場とメーリングリスト)は整備するけど、そのあとは勝手にやってくださいということです」
 と西川は語る。これは理想的な形態だが、サラリーマンでは意識的についていけない人の方が多い。ところがネットベンチャーは、独立不羈なので、人前で裸になることをいとわない。ネットのルールでは、情報を出したほうが得ということを知っているからだ。自分の事業計画を語らなければ出資も受けられないし、アライアンスもない。むしろ、こうした場を必要とする人びとなのである。
 ビットスタイルはホテルの宴会場を最後まで使わなかった。 
 「他の異業種交流とは一味違った、ネット関連のセンスある若者の集まりである」というイメージを認知させる戦略的意図があったからだ。そのため事務局は毎回「人が多すぎる」という苦情に悩まされ,会場探しに苦労することになった。事務局はまた、ビットスタイルの運営者の存在をあまりはっきりと打ち出そうとはしなかった。正体不明にして自然発生的なコミュニティであるイメージを演出したかったようである。

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