岡本呻也著 文藝春秋刊 

第4章 誕生 ビットバレー

ビターバレー構想

 99年は、渋谷における市民革命の年、ビットバレーの年であった。だが意外にも、ビットバレーは銀座からスタートした。
 ニューヨークのネットベンチャー群の支援団体に接した経験から、その日本版設立のために1枚の宣言文を起草した小池は、1999年2月21日日曜日夜、西川、宮城ら10人程度のネットベンチャー経営者たちに招集をかけた。場所は銀座のとあるサロンである。場所柄から、小池の気負いが読みとれる。だが、当時のネットベンチャーというのは、今とは違ってひ弱な存在であった。金に縁もなく、社会的認知度も低い。

 この場には、何人かの重要人物が出席していた。
 松山大河。この長髪の若者は74年生まれ。早大卒業後、アンダーセンコンサルティングに入社。西川が発行していたメールマガジン(「週刊ネットエイジ」、富士通総研の調査で発見した興味深いアメリカのビジネスモデルについてネットベンチャー向けの啓蒙を行ったもので、業界ではかなり読者が多く、1年間で発行部数は4000部になっていた)を見て「面白そうだ」と思った松山はいきなり西川を訪問し、そのままネットエイジに居ついてしまう。そこで彼が携わったビジネスが、自動車の見積以来を販売店に紹介するネットディーラーズだった。
 松山は、孫正義の実弟で、インディゴ社長の孫泰蔵と友人であった。インターネット関連ビジネスへの参入を考えている大企業から個人までに、経営面、技術面、財務面での支援を行う企業で、検索エンジンのヤフー・ジャパンの開設(96年4月)に参加する形で創業し、学生100人を動員してヤフーのデータベースを構築。この2人のラインで、立ち上げて2週間足らずでネットディーラーズのソフトバンクへの売却がまとまった。その後松山は役員をつとめていたネットエイジを去り、ビットバレー・アソシエーションの役員となる。

 小池はこの日、顔を揃えた面々にA4大の紙を配った。そこには、「ビターバレー構想」と書かれていた。

Bitter Valley 構想

<設立趣旨>
近年の米国におけるネットワーク・エコノミーの興隆は、シリコンバレー(北カリフ ォルニア)、シリコンアレー(ニューヨーク)、デジタルコースト(南カリフォルニ ア)、ルート128(ボストン)といった地域密着型コミュニティーにより発展して きました。日本においても官公庁、大学、研究機関、ベンチャー・キャピタル、 民間企業、各種団体等の協力を得ながら情報の共有化、教育を行い、また海外と の交流を図りながらインターネット関連ベンチャー・ビジネスの創出、育成が急務と なってきています。
東京でも若者の町として現在も多くのインターネット関連ベンチャー企業が集中する 渋谷区周辺地域をBitter Valley(=渋谷)と命名し、日本におけるネット・ビジネ スのメッカとして多くのベンチャー企業を誘致し、投資を呼び込み、情報の共有化と 競争によりベンチャー企業の底上げを行うことを目的とします。

<オープンな相互支援組織>
この組織は、オープンな相互扶助を基本とする組織でなければならないと思っています。New York New Media Associationも起業家、学生、大企業、弁護士、会計士、ベンチャー・キャピタル等色々なメンバーが自由に参加しています。それぞれビジネス上のメッリトは大いに求めてWin-Winのシチュエーションを作るべきだとは思いますが、閉鎖的な組織にはしたくありません。シリコンバレーもスタンフォード大学周辺から広がって地理的には、かなり広範囲に広がっています。たまたま渋 谷=Valleyだった訳で、象徴的な名称として使うことはあれ、渋谷区に限定する必要はありません。東京以外の人、企業でも入会は自由であるべきだと思います。

<海外との交流>
ニューヨーク、シリコンバレー等の団体との交流も重要です。各種団体との提携も図っていきます。また、起業環境の違いから米国での企業も促進して行ければと思います。シリコンバレーでもイスラエル、中国、インドなどから多くの起業家が渡米し事業を起こしています。日本人も殻に閉じこもらずにもっと世界に出るべきだと思います。

 この宣言がこのあと1年間続くお祭騒ぎの出発点であった。ここには、渋谷=ビター(渋い・苦い)・バレー(谷)を日本のシリコンバレーとし、「企業の相互扶助組織」をつくるということが明快に謳われている。
 小池は、並み居る起業家たちの、若いが、しかし自分自身と事業の将来性を信じてキラキラと輝いている顔を見渡しながら、自分の認識を彼らにぶつけた。
 「ベンチャー成功の秘訣は、自分が"これだ"と思ったアイデアに集中して、それをしっかり育てていくことにあります。
 しかし今の日本のベンチャーは、とにかく食べていくことが先にたって、来た注文を全部受け、何でもウェブ屋さんになっているところが多い。これでは自分のやりたいことに集中なんかできない。みんな学生からそのまま商売の世界に飛び込んで、やり方もわからず右往左往している。
 これと全く同じ状況が、94年のニューヨークにもありました。NYNMAが結成されたのも、そうしたベンチャーがより集まって仕事のために必要な資金調達や法務の情報を共有し、提供し合っていこうということから始まったんです。
 それともう一つ、インターネットというのは非常にバーチャル(仮想的で現実感が乏しい)と思われていますが、ネット企業についてはそれは逆で、西海岸にも東海岸にもフェイス・トゥ・フェイス(直接顔を合わせて話し合う)の場があります。そうしたオフの付き合い(オフ会=オフライン・ミーティング。ネット上の付き合いをオン、直接会うことをオフと呼び習わす)の場に起業家が集まっていると、そこに弁護士や会計士、VCも寄ってきて、人、モノ、カネが集中し、競争も起こって自然とそこが活性化されていくという仕組みです。僕はそれをこの目で見てきたので、東京でもやはり同じように起業家が地に足をつけてビジネスを勉強できるコミュニティをつくらなければならない。東京にもネットベンチャーのメッカをつくるべきではないでしょうか」
 「東京にシリコンバレーをつくろうということですね」
 と参加者の一人。
 「そうです。東京のネットベンチャーは渋谷中心に分布しているので、僕はシリコンバレーに対してビター・バレー(渋い・谷)と名付けるのがよいと思います。
 小池の話に、我が意を得たりと参加者は顔の輝きを増した。
 「僕もそういうコミュニティを求めていたんです」
 「では、ここにいるみんなから、ネットを使って知り合いに呼びかけて行こう。日本にシリコン・バレーをつくろうと」
 ここからさざ波のように、「渋谷に日本のシリコンバレーを」という想いが広がっていった。もともとみんなが何年も前から考えていてできなかったこと、しかもなかなか接触できない研究機関やVC、会計士と会うチャンスができるかもしれないとなると、起業家たちの関心を高めるには十分であった。この後、この構想を伝えて他のネットベンチャーを勧誘する電子メールと、賛意を表す返信が飛び交うことになる。

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