岡本呻也著 文藝春秋刊 

小池聡の呼びかけ

 99年2月初め、シリコンバレーにいたネットイヤーの小池は、帰国中に東京ビッグサイトを訪れた。通産省の肝煎りのニュービジネス協議会が毎年開催している「ニュービジネスメッセ‘99」に誘われたからである。東京ビックサイトの巨大な展示スペースには、ベンチャー企業群がブースを出してひしめき合っていたが、シリコンバレーの感覚でそのブースの間を歩いてみて、小池は愕然とした。
 「何だこれは。ベンチャーといっても、フランチャイズと村起こしばかり。この時代にネットベンチャーの姿がまったくないじゃないか。僕のところには、アメリカで成功して次は日本を狙いたいというベンチャーからの相談が山のように来ているというのに、これでは根こそぎやられてしまうぞ。まずい。これはまずいなあ」
 滅入りながら歩いてると、会場の中に大学生のような若者がパソコンを並べて座っている一角があった。小池は吸いよせられるようにそこに近づいていった。金のかかったパネル展示も一切ないブースだったが、広い展示場の中でそこだけにネットベンチャーの趣があった。
 この一角は、主催者であるニュービジネス協議会が無償でETICに貸したものである。このメッセの運営自体にもETICは大勢の学生を派遣しており、ブースの企画自体を依頼するという企業も少なくなかった。そういう繋がりで「学生企業家にも出展してほしいからアレンジを頼む」とニュービジネス協議会から要請されたわけだ。
 そこで宮城はインディゴ、イエルネット、電脳隊、ホライズン・デジタル・エンタープライズ、スリープロ、クララオンラインズ(社長の家本賢太郎は17歳)に声をかけ、ブースを出してもらった。といっても展示に金をかけられないのでチラシを配って集客するという学園祭のノリである。おそらく他の参加者からは異様な集団とみなされたことだろう。しかし小池の目には、彼らこそ本物のベンチャーに映った。話を聞いてみると非常に面白いアイデアを持っている連中だ。やる気もある。しかし金は集まらない。親兄弟からせいぜい300万円借りて有限会社としてやっているのだ。
 「キミたち、埋もれているんじゃないか」
 そこから小池と彼らのつき合いが始まった。
 「ひょっとしたら、彼らを中心にして、日本にもシリコンバレーをつくることができるかもしれない。
 小池はニューヨークにいた時に出席していたある集まりを思い出していた。


ニューヨーク、シリコンアレー


 マンハッタン半島先端部の金融街やタイムズスクエア近辺は、まさに天を摩す高閣がぎっしり立ち揃って壮観だが、41丁目から南の方、さらには23丁目より南側は、やや低層の古い建物が並んでいる。
 この地域を、92年頃から西海岸のシリコンバレーに対してシリコンアレー(アレーとは路地とか裏道の意)と呼ぶようになったのは、そうした裏通りに面して建つ古い工場や倉庫(ロフト)をアトリエとして使っていた芸術家たちに、90年代初めからニューヨークにある大手メディアがCD-ROMの制作を依頼するようになってきたからである。特にソーホーと呼ばれる芸術家が多く住んでいた地域には、そこにマルチメディアの注文が殺到するようになり、人を大勢雇って会社として急成長する芸術家も出てきた。しかし94年ごろにはこのブームはいったん終息し、放漫経営の会社は潰れしまう。芸術と経営は相反する語彙である。そしてCD-ROMと入れ替わるようにして、商用開放されたインターネットのサイト制作の仕事がやってきた。
 「アメリカ人は、常にキャリアアップするために、虎視眈々とチャンスを狙っている。インターネットゴールドラッシュがやってきた時,自分の周囲にいたビジネスマンたちはどんどん会社を辞めて起業したり、インターネットを使って成功するビジネスモデルをどのようにつくるべきか、会社のつくり方や資金の集め方について試行錯誤していた。彼らは日本人みたいに考え込まずにどんどん動いていく」
 と小池は、アメリカ社会のダイナミズムを驚きを持って振り返る、そうした企業家たちが誰ともなく集まって始めた勉強会に、まだ十数人しか会員がいなかった当初から顔を出していた。その会合の名はニューヨーク・ニューメディア・アソシエーション(NYNMA)という。メンバーの持ち回りで、毎月一度、メンバーの会社を開放して交流会を行ったのだが、だいたいどの会社も古い製造業の倉庫を改造してオフィスにしていたので、天井も高くパーティーには打って付けだった。現在でも毎回500人もの企業家が集まり、ビールを片手にワイワイやっているようだ。ウォールストリート(金融街)のベンチャーキャピタリストと知り合って話がまとまり、出資を受けるなどという幸運な出会いも期待できるという。
 他方、30人くらいで企業家を囲んで成功の秘訣を聞いたり、会社に必要なVC(ベンチャーキャピタル)、弁護士の話をじっくり聞いたりと言う勉強会も行っていた。ほぼ同時期にグロービスの堀が麹町でやっていた勉強会と同質のものであろう。
 NYNMAの運営形態はNPOである。ここでいろいろなことを勉強し、人脈も広げることができた経験から、小池はNYNMAをモデルにした"地域密着型コミュニティー"を日本でもつくることができないかと宮城たちに相談した。

 ここから、瓢箪から駒で「日本にシリコンバレーを」という誰もが望んだ構想が現実のものになっていく。シリコンバレーは名前の通り、半導体関連企業など技術志向の会社が多い。それに対してシリコンアレーはコンテンツ制作からスタートした企業が多いだけあって、日本のネットベンチャーはこちらのほうに近かった。シリコンバレーにも同様のベンチャー支援NPOはあるが、NYNMAはまさにうってつけのモデルだったのだ。
 この流れを受けたビットバレーは、「理念が社会をつくる」ことを証明した貴重な事例となっていくことになる。

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