岡本呻也著 文藝春秋刊 

MBAの会

 西川は95年に、社会人ビジネススクールを経営するグロービスの堀義人とも出会っている。ウィークリーマンションを経営するツカサ社長の川又三智彦に招かれて堀が講演したときに会場で堀に「私もベンチャーをやりたいと思っているのですが」と声をかけた。話を聞いた堀は、早速、堀が主催するMBAベンチャー研究会に西川を誘った。
 MBAベンチャー研究会とは何か。当時のベンチャーを取り巻く環境をイメージしていただくために説明しよう。
 そもそものきっかけは日本人MBA取得者を集めた大パーティーだった。ハーバード大学ビジネススクールを94年に卒業した内古閑宏は、当時東芝のパソコン企画部門に勤めていたが、MBA(経営学修士号)取得者のネットワーキングをやろうと考え、95年に「MBA94、95の会」を、六本木に近いアメリカン・クラブを借りて開催した(この集まりは、その後もMBA 90s Reunionとして内古閑を中心に運営されている)。会場には120人ものエリート・ビジネスマンが集合した。そこに堀義人をはじめとする、ハーバード大学ビジネススクール91年卒業生のベンチャー経営者を3人招き、3分間スピーチをしてもらうという趣向である。内古閑はその後東芝のエリートコースを打ち捨て、ソフトバンクに移籍。孫正義の近くに座を占め、ジオシティーズ(ネット上の仮想コミュニティ)の運営に当たった後、現在では独立して技術系ベンチャー企業ヴィジョネアーを経営している。ゲストの選定はそうした内古閑のベンチャー志向の現れだろう。
 会場で堀は内古閑に声をかけた。
 「なんか最近MBAの人はすごいなあ。僕も刺激を受けたよ。今度この辺りの人たちを誘ってMBAでベンチャーに興味を持っている人の勉強会をやろうと思うんだ」
 美男の堀が喋るとなんでも爽やかに聞こえるが、彼にしてみると「自分は住友商事を辞めて独立起業したのに、後に続くMBA出身者が少ない。みんなまだ大企業にしがみついている。それは大いに問題だ」という意識があった。経営を学んできたはずのMBA取得者がベンチャーに携わらなければ、誰が新しい産業を興すというのか。堀はそう考えて月に一度、グロービスの教室で起業のためのノウハウを勉強するMBAのベンチャー研究会を設立しようと考え、友人たちに声をかけ、第1回目の集まりを開催したわけである。平日の夜に集まったのは10人程度。
 当時堀はベンチャー・キャピタルに強い興味を示し、実際にグロービス・キャピタルというVCを自分で立ち上げている。そういう面で、ベンチャーとは切っても切れない資金面への目配りも含めた構想を描いていたのだとすると、現在のインキュベーターに近い支援体制を構想していたのかも知れない。
 研究会では各々がビジネスプランを持ち寄って叩き合いをしたり、起業の初期に投資するようなベンチャーキャピタリストを呼んできて資金集めについての勉強を行っている。講師にはハイパーネットの板倉雄一郎も登場した。
 参加者の一人で94年スタンフォード大学MBAの江端浩人は現在、デジプリ社長。彼のビジネスは、デジタル・カメラの画像を普通の写真のように印画紙に現像したり、ネット上で画像を保存するサービスを提供するものだが、当時、伊藤忠商事に勤めていた江端はこの事業プラン「デジタルプリント構想」をMBAデジタル研究会で発表することにした。発表前には参加者全員に機密保持契約への署名を求めたという。その場で好評を得たことに勇気づけられた江端は翌年伊藤忠を退社し、デジプリを起業する。
 西川自身も、自動車仲介サイトであるカーディーラーズの事業プランをMBAのベンチャー研究会で発表した。

 この勉強会で、西川は、後にネットエイジの社外取締役となる仮屋薗聡一(グロービス初期の卒業生)や、西野伸一郎(ニューヨーク大学MBA)と知り合うことになる。そしてこの2人が第2期のMBAベンチャーの会を切り盛りし、ビットバレーにも深く関わることになる。また後述する松山大河、メールマガジンの広告代理店であるメールニュースを起業する才式祐久などもここに出入りしていた。それまで日本では日陰者だったベンチャーだったが、この会は、アメリカ直輸入のベンチャー文化が情報共有される貴重な場となった。さながら、グロービスはビットバレー自体のインキュベーターであった感がある。
 ある時2次会で麹町の堀の家に転がり込んだ面々は、ピザをぱくつきながら議論をしていた。その時堀は、「この辺を日本のシリコンバレーにできたらいいのになあ」と希望を洩らしている。一方、西川のシリコンバレーに対する憧憬も相当なもので、三鷹の自宅のトイレには、シリコンバレーの地図が張ってあり、彼は彼で「中央線沿いを日本のシリコンバレーに」と言っていた。いずれにせよ、「なぜ日本にシリコンバレーがないのか」は、彼らにとって解決されなければならない課題であったのだ。
 西野伸一郎は、西川と組むことになる。彼はニューヨーク大学在学中に日本人コミュニティからはみ出していたおかげで、インターネットの隆盛と、マンハッタンにおけるマルチメディア関連ベンチャー企業の興隆を目のあたりにして95年に帰国。NTTに戻ってマルチメディアビジネス開発部に配属された。
 非主流派のことを「平家、海軍、国際派」と呼び慣らすように、国際感覚は日本企業では邪魔にしかならない。そこでいかにソフトランディング(軟着陸)して国際感覚をいち早く取り戻すかというのが、帰国したサラリーマンの処世の知恵となっているが、西野の場合にはまったく逆で、シリコンバレーの企業に出資したり提携したりする仕事を与えられた。上司に代わって提携企業の役員会に出たりする機会も少なくなかったので、シリコンバレーのベンチャーの起業家精神にすっかり感化を受けてしまう。しかも悪いことにNTTの本社は、西川が勤めるAOLが入居する東京オペラシティの隣にある。西野は徐々に、夜になって仕事が終わると吉祥寺のホライズンに出入りするようになった。西川も会社を辞めて自分で事業を起こしたくて仕方がない。
 そんな時、あるメールマガジンで富士通総研が「インターネットビジネス最新事例集」の調査レポートを募集している記事が目についた。レポートを一件幾らで買ってくれるという話で、彼らにしてみると自分の知りたいことを勉強しながら、お金がいただけるというありがたい仕事だ。2人のアメリカ時代の知り合いがどんな仕事をやっているのかを問い合わせたり、インターネットのサイトを調べまくってネットビジネスのパターンを何百件もレポートしていった。
 ある時彼らはアイデアラポという会社のサイトを発見した。宝の山を発見してようなものである。なぜならそこには何十ものネットビジネスの種が掲載されていたからだ。
「これでレポートの件数が稼げるぞ」と喜んだ2人だが、次にアイデアラボのようなビジネスをやってみたくなった。アメリカのネットビジネスをリサーチした結果、無限に近いアイデアでこの2人の頭の中は膨れ上がっていたのである。「インターネットには確実にビジネスチャンスがある。とにかくやってみたい」という動機が彼らを動かしていた。
 西川が書いたネットエイジの事業計画書には、具体的なプロジェクト名は書かれていなかった。「この頃までに"プロジェクト1"を立ち上げる。次に"プロジェクト2"を起こして、その次に……」と時期だけ書いてあって、どのプロジェクトを選ぶかは膨大なアイデアの中から選べばいいだろうという、いささか乱暴な話ではある。
 97年末、西川はAOLを退社するのだが、その前に重要な人物と出会っている。「面白い人が集まるワインの会がある」と聞いた西川は、ワイン好きでもなんでもないのだが出掛けていった。そこでシリコンバレーから帰国中のネットイヤーの小池聡に出会ったのである。西川の話を聞いた小池は、西川がインキュベーターというベンチャー育成ビジネスについてしっかりしたビジョンを持っていること。当時日本ではあまり知られていなかったアイデアラボについいて西川がちゃんとした知識を持っていることに驚いたという。
 「では日本のことはネットエイジで、アメリカの方はネットイヤーでやろう」という協力体制を築くことになる。小池は98年10月にネットイヤーの経営権を手にした直後、ネットエイジに出資した。同社の株は小池と西川で50%超を保有しているのである。

 小池の後ろ楯を得た西川は、年が明けた98年2月にネットエイジを起業。一橋大学を出たばかりの新人1人を技術者として雇って、アイデアの事業化に取り組み始めた。
 アイデアは山ほどあっても、人を雇うカネがない。では社員を雇わなければよいのである。パソコンが使えて、ある程度ビジネスの交渉ができる学生アルバイトがいればそれで十分だ。ホライズンは350人ものパソコンに習熟した優秀な学生を抱えていた。彼らは、その辺の大企業に就職して甘やかされている新入社員よりよほど役に立つ。
 西川が最初に事業化したネットビジネスは、「スペース・ファインダー」。ここのサイトに新年会や商品発表会などホテルの宴会場を使いたい企業の担当者がアクセスすると、宴会場のリストが載っていて、希望先を入力すると自動的に見積もりが返信されるというサービスである。目論見どおりうまく成功し、現在ではイー・ベントという別会社として独立させている。
 そのスペースファインダーのためにホテルを懸命に回って商品となる宴会スペースを取ってきたのは、学生アントレプレナー連絡協議会(ETIC)という組織からインターンとして派遣されてきた女子学生だった。アントレプレナーとは、事業を自分で立ち上げたい起業家のことである。それが学生であるのだから、真田や板倉のような学生企業家と同じようなものだと思われるが、この時代の学生企業のあり様はやや彼らの頃とは違っていたようだ。

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