岡本呻也著 文藝春秋刊 

インターネットとの遭遇

 まず登場するのはネットイヤーグループの小池聡である。穏やかな容貌と、都会的なファッションセンスが好印象を与える39歳。彼の功績は、ビットバレーのコンセプトを打ち出し、アメリカ流のネットベンチャー経営・支援の文化を広たことにある。
 中央大学法学部時代に、学生を集めてマーケティングリサーチの仕事をしていた小池は、Qネットの真田やハイパーネットの板倉より一世代前の学生事業家であった。80年頃のことである。そこそこ儲けていたので、そのまま続けてもいいなと思う一方で、しかし学生の力の限界も感じないわけではなかった。
 「これは一度、社会人になって修行した方がいいかな。しかしサラリーマンになって組織の歯車になるのは嫌だな。車輪の真ん中でプロジェクトを回すハブのうよになれる仕事はないものかな」
 と考えて電通のクリエイターに相談したら、紹介されたのが電通国際情報サービスという会社だった。この会社は電通とゼネラル・エレクトリック(GE)の合併会社で、コンピューターの共同利用や、国際回線を利用した初の国際電子メールサービスなどを業務としていた。
 「まあ、僕もよくわからない会社だけど、仕事は君たちがつくっていけばいいんだよ」
 と適当な説明を聞いて、小池の方もその時のノリで入社を決めてしまった。
 入社後は、銀行など金融機関の担当として、規制緩和に対応しながら、デリバティブなど新しい金融手法のシステムづくりや、海外店舗のネットワーク、日銀の国際決済の仕組みづくりをサポートする。
 バブル真っ最中の90年に、ニューヨークに赴任。バブルが崩壊したら日本に帰任した社長の後任が送られてこなかった。小池がCOO(副社長)になってしまい、GEとの役員会に出席したり、同社のマネジメントスクールで研修を受けるチャンスを得た。GEというのはあの発明王エジソンが作った世界最大の家電・重電メーカーであるが、最先端の経営で知られており、ビジネススクールで必修の新しい経営手法や、日本にも紹介されて書店の店頭を飾るような経営術を次々と開発している。まさにアメリカ経営学の頂点であり、尊敬に値する企業だ。GEの全体マネジメント会議に参加するチャンスなど、そう易々と得られるものではない。
 合併相手が先端技術を持っているので、小池はインターネットにも真っ先に触れることができた。GEはスーパーコンピューターを持ち、世界中に専用回線を渡り巡らしていたのである。電子メールなど、電通国際サービスでは83年当時から使っていた。パソコンのなかった時代、タイプライターのような端末を使っていたらしい。インターネットについても商用開放以前の80年代後半から情報を得て研究していた。おそらくアメリカでも一番早かったクチだろう。
 さて、いよいよ95年にはインターネット・ゴールドラッシュが始まった。93年9月にゴア副大統領が「情報スーパーハイウェイを全米に張り巡らせる」と演説しているのをテレビで見て、「これは世の中、全然変わるかもしれない」と思っていた小池だが、確かにそれまでは家に帰ると寝ころんでテレビでも見ていればすんだものが、夜中まで電子メール処理に追われるようになり、会議への出席だってメールで返事をしないと受け付けられないという始末。航空チケットはネットで買うし、子供の宿題ですらインターネットで調べて書くようになるなど、ネットがアメリカ社会を替えていく様を体感したわけである。
 ところがその時期彼がやっていたのは日本からやって来るお偉いさんのガイド役。お偉いさんは、ネット革命の現場に連れて行っても英語の説明を子守歌にしてうたた寝している。寝ていても大丈夫。彼は小池がまとめた「最新インターネット産業レポート」を、さも自分が書いたかのように本社に帰って提出するのだから。日本企業の役員の出張というのは概して儀式であり、時間と資源の無駄遣いをして株主に損害を与えているだけである。小池は本社宛にもさんざん企画書を送ったが、インターネットの大きなうねりはまだまだ太平洋を越えては伝わっていなかった。
 そこで小池は、日本企業のアメリカ現地法人に対して啓蒙活動を行い、現地法人の広告費を使ってその企業のウェブサイトを立ち上げるような力技まで使って、ここに千載一遇のビジネスチャンスがあることを知らせようとしている。日経ネットなどもその一つである。この頃、ネットとビジネスが結びつくと考える人自体が少なかったのだ。企業サイトというのは、広告予算が余ったら「じゃあつくってみようか」という程度のものだった。猫も杓子もホームページを作っている昨今とはかけ離れた先史時代のお話である。

 この後小池はGEの仕事のためにシリコンバレーにオフィスをつくり、インターネットの規格の標準を定める機関であるW3Cもつぶさに目にする。先端技術の勉強会をした後で、ニューヨークにとんぼ帰りしてコンテンツ・ビジネスに携わるという生活をしばらく送る。そこで小池は気がついた。そしていよいよいても立ってもいられなくなり、たまたまアメリカに出張してきた電通の社長に、こう直訴したのである。
 「社長、これから先はインターネットが世の中をまったく変えていくことになると思います。
 今、アメリカ人がどれだけネットで買い物しているかご存じですか。BtoCのネットビジネスはどんどん成長しています。ビジネスチャンスはいっぱいあるんです。だから、ビジネスで一番重要なアイデアという知的資源をきちんと評価して、起業を手伝えばネット関連企業はまだまだ成功するでしょう。つまりプロのビジネス立ち上げ屋さんであるインキュベーションビジネスはうまくいくはずです。
 それともう一つ、SIPS(ストラジック・インターネット・プロフェッショナル・サービス)という仕事があります。これは、サイトビジネスを支援する業態です。たとえばショッピングサイトサイトは、まずきれいで見栄えがよくないと客が集まりませんから、クリエイターが内容を考えて、デザイナーがデザインします。しかしデザイン優先でサイトを作ってしまうと、利用者が行きたいページに行くことができなかったり、行けたのはいいけれど、今度は戻れなくなったりということが起こるのです。その結果、買いたいお客さんを逃してしまうことになります。では、技術に詳しいシステム・エンジニアがサイトをつくると、ページ自体が面白くないのでお客さんが来ません。もう一つ、データベースの中では、利用者のログ解析(サイトの中で一人一人がどのように行動したかを自動的に調べる作業)をして、扱う商品を変えたり、どんどん改善していかなければ他のサイトとの競争に負けてしまうことになるのです。
 つまりホームページさえ開いておけばビジネスができるという時代はアメリカでは94年ぐらいに終わっています。テクノロジーとクリエイティブとマーケティングという、異なる要素を連動させないと、儲かるサイトはできないのです。私がいたシリコンバレーではそこに特化したサイトビジネス制作支援の会社が300社くらいできました。
 電通国際情報サービスは、GEだから先端技術がありますし、電通のクリエイティブと、マーケティングのノウハウもある。ぜひこのSIPSと、インキュベーションをやる会社をつくらせてください」
 アメリカの東西のニュービジネス地帯を股にかけた小池のプレゼンテーション能力には定評がある。普段はスマートで物静かな彼に、情熱的かつ雄弁にビジョンとコンセプトを整然と説明されるとなかなか否というのは難しい。直訴は成功して97年、小池は電通の一00%子会社として念願のSIPS(コンサルティング)、インキュベーター会社ネットイヤーをシリコンバレーに起こすことになった。

 インキュベーターというのは、要するにアイデア工場である。代表例としてアイデアラボを挙げることができる。
 同社は96年設立。ロサンゼルス郊外のパサディナ市にある。創立者のビル・グロスは、ソフト会社を2社起業し、2社とも大手企業に売却して巨額の資金をつくった上で、ネットビジネスだけを創業支援するアイデアラボを起業した。支援という意味だが、それはもうありとあらゆることを180度手助けするわけである。もし読者がビジネスのアイデアを持っていたとしよう。アイデアだけでカネも手伝ってくれる人材もなかったとしても、もしビル・グロスが「これは有望だ」と判断すればしめたものである。先立つカネはアイデアラボ・キャピタル・パートナーズというVCが出資してくれる。アメリカでは無額面で株を発行することができるし、日本のように1000万円ないと会社としてお上が認めてくれないという制度もないので、出資比率のコントロールも楽だ。
 ビジネスを勉強したいなら社員として働きながら教わることもできるし、場所も貸してくれる。財務や法務がわからなければ、スタートアップ企業にとって必要な財務法務を委託する会社があるし、営業やPR、人材募集も代行してくれる。自分が経営が苦手だと思う人のためには、経営者だって連れてきてくれる。一番ありがたいのは、十数名のきわめて優秀なプログラマーが、高度なプログラムをちゃんと書いてくれることである。
 このように雑事を代行して、アイデアを持っている人を完全にサポートし、ビジネスだけに集中してもらう。そのかわりに早くナスダックに株式公開して、株式公開益を実現させるというビジネスである。ネットビジネスはスピード勝負なので、支援して時間を稼ぐことと、アイデアラボのブランドの下にアイデアや資源を集中させて、ビジネスを成功させ、かつ株式公開をテコにして、投入したコストの何倍ものリターンを稼ぎ出すことができるわけだ。
 こうしたビジネスは日本にも2000年春以降増えてきた。日本のネットベンチャーの元祖に近い伊藤穣一が経営するネオテニーは、赤坂の有名ビル、プラザミカドを大改装してしまった。あのキャバレー「ミカド」が入っていたビルである。ここに10、20人規模の小部屋をたくさんつくっている。それぞれに、自社が支援するネットベンチャーを入居させ、人・モノ・カネの面倒を全部みて、同時にたくさん公開させる製造工場をつくった。独立系企業だけでなくコンサルティング会社なども同様のビジネスに触手を伸ばしつつある。

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