岡本呻也著 文藝春秋刊 

下りのジェットコースター

 成功を信じて疑わなかった板倉。ジェットコースターは最高地点を上がり切った。ここからは一直線の下り坂が待っていたのである。
 6月19日、ハイパーシステムは本格稼動をスタートしたが、7月の売り上げはわずかに300万円。広告が入らないのだ。9月に3000万円になったが、事業計画上では億単位の売り上げになっていなければならなかった。だがこの数字は、実は国内のインターネット広告獲得数では、文句のないトップだった。つまりハイパーネットの敗因は、ネット広告の需要を読みまちがっていたという点にあるわけだ。
 板倉は写真転送、リンク機能のついたブラウザー・ソフトの「モザイク」を見た瞬間に「これは決定的だな。家庭のパソコンは端末になる。ホストコンピューターから情報やソフトを送るネットワーク・コンピューターや、ASPの時代がくるに違いない」と閃いたという。
 「ネットをやるなら広告しかねえだろう。ニフティを追い抜き、ヤフーをぶっち切り、日本全体の広告シェアの50%取ってやる。これは1兆円ビジネスになる」
 という絵を描いて、それに見合ったコストを投入したのだ。同時に海外市場にも手を伸ばした。彼が考えたのは、民間のテレビ放送とよく似ている。民放は、広告を流すことで、視聴料を取らなくても番組を成り立たせ、大きな収益を得ている。ハイパーネットがインターネット上の民放を独占するとすれば、その構想の大きさに圧倒される思いがする。民放キー局の総売上高は1兆円を超えている。
 もしハイパーネットの資金が続いて、日本人の使うパソコンのほとんどにハイパーネットのブラウザーソフトが組み込まれるようになっていたら、そして通信と放送が融合してパソコンが情報摂取端末の代表になっていれば、板倉は孫正義と並ぶネット界の帝王になっていたかもしれない。
 しかし96年当時のネット広告市場はまったく小さく、当初見込みの売り上げ達成は絶望的だった。99年の国内のネット広告市場でも241億円の規模である。ハイパーネットはコストのほとんどが固定費だったので、資金的には非常に厳しい状況に陥った。
 現在日本で活動中の無料プロバイダーにライブドアがある。ライブドアのためにアメリカのVCが用意した資金は30億円以上。これを食いつぶしながら1年間で100万人の会員が獲得できればなんとかなるというビジネスモデルだ。これと比べれば4年も前にハイパーネットの選んだ道の厳しさが想像できる。
 しかし板倉は増資をせず、銀行借り入れ20億、リース10億に頼り続けていた。ハイパーネットUSAはシステムの構築と営業にかなりの投資を行っていた。社員数は20人。稼動前にもかかわらず、大手企業からの引き合いも多い。10月にコンピューサーブとの提携は破談になったが、強気の板倉は「アメリカでは自前でプロバイダーを事業展開する」と決定した。

 ナスダック公開のための準備会議は野村證券渋谷支店の大会議室で、証券会社担当者や弁護士、監査法人など20人ほどの人間を集めて、すべて英語で行われた。こうした準備に板倉の時間が割かれる一方で、本業ではトラブルが続出。まずIMS事業で電通と揉めてしまう。100万円の慰謝料を請求されたが、板倉のプライドは支払いを許さなかった。3カ月後、電通のマーケティング子会社からの受注はゼロになった。
 9月にはハイパーシステムにトラブルが発生。2週間もの間、広告の履歴データが全く出力できなくなる。ほとんどの広告クライアントが10月からの出稿を見合わせ、売り上げはゼロになってしまった。勇ましい構想の割には、ハイパーネットの足元はガタガタであった。
 社員数は80名に膨れ上がっていたが、この頃を境にハイパーネットからは神がかり的な部分が徐々に消えていった。事業を立ち上げる時にははっきりした目標があるので社員は死に物狂いになって働く。モチベーションがあれば人は動く。だがいくら営業が頑張っても、ネット広告の売り上げは期待していた数字には届かない。「俺たちはやっている。初年度から売れないのは当然だ」と営業部隊は思っていた。事実、市場環境から考えればベストの働きをやっていたのである。ナスダック上場のために営業部門と管理部門にファイアーウォール(境界)をつくったのも、社内が一枚岩でなくなる原因だった。
 一方で自己中心的な板倉は無理難題を押し付けてくる。自分のわがままを聞かない社員は無慈悲に切ってしまう。彼はさながら織田信長であった。本人は、「ぼくは社員には愛情を持っていた」と言うのだが。
 「板倉さんは基本的には愛情がない人なんですよ。前向きでポジティブだし、ある意味では尊敬しますが、人間としてそれで幸せなんですかと言いたい。ベンチャーとしてポッと出で名を上げるなら、人間的に未熟でもいいかもしれない。でも、大きくなるには人間的に成長しなきゃいけなかったんじゃないでしょうか」
 ある元社員は回想する。社内はガタつき始めた。

 しかし世間にそんなことは伝わらない。12月の初旬、ハイパーネットは「データベースおよびネットワークを利用したパーソナルマーケティングサービス」で、ニュービジネス協議会のニュービジネス大賞、通産大臣賞、会長賞を受賞する。
  この年、最高に注目された有望ビジネスとして評価されたわけである。この時、主役の板倉に一歩も2歩も譲った形で、「インターネット接続サービス」でIIJの鈴木幸一が特別賞を受賞している。表彰式は12月10日ニュービジネスメッセ‘96で行われる。その当日、板倉は会場のパシフィコ横浜で、マイクロソフトCEO、ビル・ゲイツの講演を聞いていた。
 というのも、このパソコン界の帝王から、板倉に「会いたい」という連絡が来ていたからである。板倉が考案したハイパーシステムは、遂にビル・ゲイツの目にとまったのだ。だが彼は単に「お友だちになろう」と言ってくるほど暇人ではない。ハイパーネットを買収する気か、それとも潰す気か、提携を申し込まれるのか。板倉は一冊の本を座右に置いていた『シリコンバレー・アドベンチャー』である。著者の、ジェリー・カプランはペン入力の携帯型コンピューターをつくるGOを起業、6年間で7500万ドルも投資を受けたが、ビル・ゲイツと敵対して潰された。
 『これは他人事ではない』
 その日、CSK会長の大川功から板倉は賞状とトロフィーを受け取った。

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