岡本呻也著 文藝春秋刊 

ハイパー・システム

 95年秋、ジャフコの西村は相変わらず暇さえあればハイパーネットに入り浸っていた。西村が応接でハイパーネットの社員とだべっていると、板倉が「すっげえこと思いついた」と言いながらドアを開けて入ってきた。
 「インターネット広告だよ。インターネット広告。ネットに接続するプロバイダーをやろうと思うんだ。でももちろんわれわれはハイパーネットだから単純なプロバイダーはやらない。
 ユーザーには加入時にアンケートに答えてもらいユーザー属性を把握する。インターネットのブラウザー(閲覧)ソフトは当社がユーザーに配る。このソフトを起動すると、ネットに接続している間は画面の一部に別枠のブラウザーが出てきて、常に広告が流れるようになる。スポンサーがいるから、ユーザーはタダでインターネットに接続することができるというわけだ。
 その広告はデータベースセンターから流すんだが、広告主の指定した属性のユーザーのところにしか流れないというのがミソだ。極端に言うと1人にしか流さないということもできる。これによって広告主は広告効果を一段と強めることができるし、打っても無駄な相手に打たずにすむようになるから広告コストを節約することができるというわけだ。広告料はまあ、1人あたり30~50円だな。名付けて、ハイパーシステムだ。どうだい、すごいアイデアだろう」
 これこそ個別広告を可能にする画期的なプランであった。だがその場にいたものは狐につままれたような顔をして顔を見合わせている。「そんなものをつくって何になるんだろう」「だいたいそんなものつくれるのか」と表情が語っている。ややあって西村が「それはすごい、すぐやりましょう」と言った。
 「そうだろう、わかってくれるのは西村君だけだよ。でもこれ、社員が足りなくてやる人間がいないんだよ。君やってくれないかい」
 「うーん、面白そうですねえ。ちょっと考えさせてください」
 2日後、西村は転職の決断をした。
 だが、このアイデアに本当に市場性があるのかどうか、板倉は悩んでいた。11月にはラスベガスのコムディックス(コンピューター関連の大見本市)に行って、アメリカにも類似のサービスがないことを確認していた。しかしこんな大プロジェクトを立ち上げるためには人とカネが要る。
 板倉は三和銀行の高山に声をかけた。「誰か優秀な奴がいたら紹介してくれないかなあ」。「そうですか、いいっすよ」と明るく請け合った高山は仲のよかった東京円卓クラブのメンバーの中から、ペンシルバニア大学ビジネススクールでMBAを取って帰ってきたばかりの夏野剛を板倉に紹介する。夏野はビジネススクールでネット利用のビジネスに関する授業を受け、本場のeコマースの実情も見てきていた。既にアメリカではオンラインバンキングも始まっており、夏野は「ネットは社会のインフラである」という進んだ認識を持っていた。
 「板倉さん、データーベース・マーケティングがこのビジネスの核ですね」
 ハイパーシステムの話を聞いて、一発でこの事業の本質を見抜いた夏野の眼力に板倉は驚かされた。
 「これは非常に面白い。成功するビジネスモデルだ。板倉さん、すぐにでもアメリカに進出するべきですよ。市場調査は僕がやってもいいですよ」
 「よろしくお願いします。もし夏野さんにうちに来てもらえたらありがたいなあ」
 もう一人、ハイパーシステムの本質を見抜いた人間がいた。住友銀行の國重である。
 『いくら必要なんだ?』
 「銀行員にこうしたネットビジネスが理解できるはずがない」とタカを括って説明した板倉は國重の反応を聞いてわが耳を疑った。そして反射的に答えた。
 『10億円というところでしょうか』
 『NOはないよ』
 國重は答えた。
 説明を聞いた後、「次の出先までお送りします」と板倉が申し出たので國重は板倉の車に同乗することにした。國重には普通のセダンに見えたのだが、この車はBMWのM5という車好きなら誰もが知る名車だった。板倉には車の趣味があったのである。車中、板倉は國重に話しかけた。
 「國重さん、世の中には新しいアイデアや技術やノウハウを持った人間はごまんといると思うんですよ。だけどそれを集めてマネージできる人がいないんですよね。その力を持った人が成功するんじゃないでしょうか」
 「うん、僕もそう思うよ」
 板倉はマネジメント力の重要性を的確に把握していた。そしてそれを自分が持っているかどうかを試そうとしていたのだろう。

 実は國重は72年にMITへ派遣留学で行った時に「上司が経営判断するためにどのような情報を提供するべきか」という、経営情報システムの研究を行っていた。マネージャーにはタイプがあって、いちいち自分が情報を直接検証しなければ気がすまないタイプの人には具体的な情報を渡す必要があるが、一方で部下に目を細かく配り部下を通して状況を判断するタイプの人には抽象的な情報を渡した方がよい。人によって必要とする情報が違うので情報をサービスする場合には、オーダーメードの情報システム、つまりワン・トゥ・ワン・マーケティングが必要なのである。そしてそれを可能にするのはデータベースの構築だ。ハイパーシステムにはこれが組み込んであり、ユーザーが行ったページや使ったツールがわかるようになっている。これは画期的なインフラだ、ということを判断できる素地が國重にはあった。
 この経験は現在國重が社長を務めている住友銀行系のオンライン証券会社、DLJディレクトSGF証券の戦略にも活かされている。同社のサイトでは日経新聞のデータベースや時事通信、株式新聞のニュースも提供されており、口座を開いた顧客は無料で利用することができる。さらに法人契約10万円でプロのディーラーが使っているようなロイターのリアルタイムの株価情報サービスを当面は無料で、その後はせいぜい1000円で提供する。とにかく情報をふんだんに提供して、必要なものを顧客に選択してもらおうということである。情報提供力による差別化のために同社は厖大なコストを投入している。

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