岡本呻也著 文藝春秋刊 

ゴキブリ

 だが債鬼というのはひょんなところから飛び出すものだ。NTTはQ2の回線契約を2年契約にする規制をかけていたが、1年ほど契約が残っているパーティーラインの電話番号が何百本かあったので、整理屋経由で1500万円ほどで暴力団系のテレクラ業者に売ったことがあった。その後真田はすっかり忘れていたのだが、NTTは「この番号は移転の手続きに1年くらいかかります」とやってしまったのだ。騙されたと思った業者は手を回した。
 ある日真田が一人で残業をしていると、いきなり事務所の扉を乱暴に開けてヤクザ風の男が3人、どかどかと侵入してきた。凄みのきいた声で「ちょっと来てくれ」と言ったかと思うと、有無を言わせず真田の両腕を強引に抱え上げて事務所から連れ出し、そのまま前に停めてあった黒塗りのベンツに押し込んだ。車は歌舞伎町の事務所に滑り込み、真田は拉致監禁されてしまったのである。
 眼の前を刃物がチラつく。「なんで連れて来られたのかわかってんだろうな。ここから永久に出られると思うなよ」と凄味のきいた声で散々恫喝されながら、腹に何度もパンチを食らった。
 「殺されるのかな」と恐怖にかられていた真田だったが、相手が腹しか殴ってこないところを見て「ははあ、こいつら経済ヤクザだ。こいつらは賢い。目的はカネだな」と覚り、かえって冷静になることができた。
 「わかりました、電話を貸してください」
 と震える手でプッシュボタンを押して、知り合いの社長に事情を話し、なんとかカネをつくって来てもらってやっと監禁から解放された。
 「そうか、わかったよ。俺は徹底的にゴキブリやって生きてやるよ」
 杜子春である。25歳にして売上高14億の会社を切り回し、外に出ればチャホヤされる。「真田さん、真田さん」とみんなが寄ってくる。女にもてる。そうした華々しい光景がなんの前触れもなく暗転して、自分を取り囲んでいた人々が潮目を引いたようにいなくなり、今度は暗いじめじめしたところで既に敗残者の烙印を押されているのだ。しかもどうやら楽しかったことの方は幻で、こちらの方が現実らしい。

 真田は東京円卓クラブのような集まりにも一切顔を出さなくなった。昔の自分を知る人になど会いたくないのである。だいたいどのような顔をして以前羽振りがよかった頃には適当にあしらっていた人たちに会えばいいというのだろうか。
 真田は債務処理に目途がついた92年頃、やっと冷静に過去を振り返ることができるようになった。ようやく自分の誤ちを認めることができるようになったのである。
 「コケたのはひとえに自分の失敗、放漫経営の一言なのだが、特にまずかったのが、"もしうまくいかなかったら"と想定せずに行け行けドンドンで金を使ってしまった甘さだ。俺はビジョンや戦略を描くことはできる。今でもQネットセンターのようなインフラをつくることができると思っているし、当時はマジで思い込んでた。
 ひょっとすると俺は経営をする人ではないのかもしれないな。とにかく一つ一つの点で経営下手だったことは認めざるを得ない。
 それと撤退の下手さ。今だってQ2で儲けている会社があるのだから、やばいとわかった時点で、2ショットとアダルト番組に絞れば生き残ることはできたかもしれない。でも全面的な転進はできなかった。"いや、俺は金だけ儲けてベンツに乗れればそれでええ"という気にはなれなかったな。新しいものをこの手でつくりたかった。それでは経営者失格なのだろうか。
 70人近くもいた社員には迷惑をかけてしまった。みんな頑張っているかなあ」
 事あるごとに反省しきりの真田であったが、前向きに生きようと思っても自己嫌悪が先に立って落ち込むだけで、ますます内向した。この程度の反省では、運命は一時の真田の増上慢を許さないのであった。真田はさらに転落していく。
 Q2の会社は資金ショートで閉鎖。知り合いの会社に机を置いて、オフィスコンピューター関係のシステムの設計を手伝ったり、英字新聞翻訳の会社をつくったりしたのだが、類は友を呼ぶで大阪でQ2をやっていた友人が会社を潰して、真田のアパートに夜逃げで転がり込んできた。
 このまま地獄を這いずり回っていてもしかたがないが、できるのはやはり2ショット系のQ2ビジネスしかない。また懲りずに2人でQ2をやり始めたのだが、今度は大成功した。なぜか。真田の周囲のQネット出身者でQ2ビジネスにのり出す友人が増え、彼らからノウハウを教えてもらうことができたからである。
 彼らのビジネスは真田のそれよりも堅実で間違いのないものであった。経験者の話では1億5000万円程度広告を打てば、赤字になったとしても必ず黒字転換するということだった。真田はその友人の帳簿を金主に見せて納得させて出資させ、セオリー通りにやって成功した。
 93年頃2ショットのQ2サービスで月商1億というのは珍しい話ではなくなっていた。そこでこのビジネスに目をつける者も少なくなかった。ヴィヴィッド・インターナショナルの熊谷正寿もその一人であった。
 Qネットを吸収した徳間インテリジェンスネットワークは東京タイムスという夕刊紙を受け継いだFAX新聞をつくったりもしたのだが、赤字を埋めることができず親会社の徳間書店の経営悪化もあって業務を縮小、玉置や西山、加藤は1年ほどで徳間を去った。その彼らは熊谷のQ2ビジネスを手伝っていた。この会社は後に、Q2利用のインターネットプロバイダー、インターキューとして大きく羽ばたくことになる。
 板倉雄一郎の国際ボイスリンクはこの時期ハイパーネットと名前を変え、Q2を使って伝言とファクシミリ情報を組み合わせて送るハイパーダイヤルを開発したり、パソコン通信サービスを1分間10円で提供するといった、到って真面目なQ2利用を事業化していた。
 なんとかQ2ビジネスから抜け出したいとあがいていた真田は、94年、経営を友人に譲り、今度は同年から始まった携帯電話の売り切りに伴う電話のタダ撒き営業に飛び込んだ。電話会社は携帯電話をタダで配って、通信料で元を取るのである。
「携帯電話のような高額のサービスを使いたがるのは不動産業者。そして彼らがいるのは都心の盛り場のクラブだろう。ボトルキープした人に携帯電話をプレゼントすることにすれば女将も乗ってくるに違いない」
 真田は「1台売れたら3000円の高収入」とアルバイト雑誌に広告を出して学生を集め、「"ヘネシー"キープで携帯プレゼント」というポップ広告を持たせて飲み屋街をパラシュート営業させた。エレベーターで飲み屋ビルのてっぺんまで上がり、店を一軒一軒回って下まで降りて来るという効率的な営業方法である。1カ月に4000台をバラ撒いて、東京で一番売っている代理店になり、うまくいくように見えたのだが、またしてもトラブルに巻き込まれて夜逃げすることになってしまった。
 しかしここまで来ると立ち直りも早い。夜逃げの翌日には心機一転、次は携帯電話で培った人脈を活かし、携帯電話の基地局を工事する技術者専門の派遣会社を設立。ビジネスの方法がはっきり見えていたので1年間で年商10億円まで伸ばすことができた。だがここでも運は真田を突き放す。やはりトラブルを起こして、このビジネスからも手を引かざるを得なくなってしまう。
 この頃真田に関わりを持った人物で彼のことをよく言う人間は、配偶者以外はいないだろう。彼は言葉に詰まるとタバコを手に伸ばす。渋面をつくりながら振り返る。
「おぼれかけてて、手足をバタつかせてる状態ですよ。ずっともう何年もの間乗り越えられなかった何かが大きな壁のように立ちはだかっていて。
 僕は既に落伍者の烙印を押されてるわけですから、"違うんだあ、俺はできるんだぞう。自分は本当は経営が分かってるんだあ"と虚勢を張らないといたたまれない気持だった。だからパートナーと揉めてしまうんですね。
 足掻いてたんですよ。足掻いても足掻いても、蟻地獄の淵に沈んでいく。今から客観的に見ると、"こんなことしてたらみんなに嫌われるよな、ほんとバカだったよな"と思うことをやっていた。
 後悔してます。感覚も完全にずれていたし、気持ちに全然余裕がなかった。もうあそこには二度と戻りたくない」

 かなり乱暴な商売を渡り歩いていろいろなところで借金ができ、金を借りる先も銀行から商工ローン、マチ金と変化して、真田は精神的には墜ちるところまで墜ちてしまう。それらを返済するためにも稼がなければならない。経営コンサルタントの名刺を持って幾つかの会社に席を置き、事業の収支計画作成を請け負って、金融機関からカネを引っ張る手伝い仕事を不本意ながらやるしかなかった。他人にアドバイスする仕事など、起業家の真田にとっては蛇の生殺しに近い。
「俺の人生、このままずっと、こうなんやろうか」
 それでも真田は、表舞台に復帰する日を夢見て、なおも足掻き続けていたのである。これを不屈の意志と言わずして、何と言おうか。
 学生時代に人をネットワークすることに卓抜した才能を見せた真田は、それをビジネスに応用して、「通信ネットワークを使っていかに価値を生むか」に関して新しい地平を切り拓いた。
 しかしネットワークの持つ社会的な逆作用についてまでは考えが及ばず、事業譲渡の憂き目に遭う。それによって大勢の知人に迷惑をかけ、自分も塗炭の苦しみを味わい続けることになった。
 Qネットのメンバーは全く別々の道を歩き始めた。起業から倒産までの1年半の日々は彼らにとってどんな意味を持つのだろうか。しかし今話を聞いてみると忘れたい汚点というよりは、「Qネットは青春だった」「会社も、ビジネスも、メンバーも、みんな面白かった」と懐かしげに振り返る人が多い。彼の蒔いた種は次の時代の成功の種となったからである。
 というと、真田は「地の塩」ということになるが、きょうび地の塩なんかはやらない。長い試練の後、彼は復活の日を迎えることになる。そしてまた、Qネットの野望は潰えたが、10年後に彼の構想したシステムを数段階洗練させて実現したサービスが出現する。NTTドコモのiモードである。
 だがその前に、われわれはもう一つのネットベンチャーの破綻を目にしなければならない。ネットベンチャー繁栄までの道程は、平らかで安逸なものとは程遠いものだったのだから。

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