岡本呻也著 文藝春秋刊 

学生ビジネスネットワーク

 真田にとって6回生が終わろうとしていた。ちょうどその頃、東京の今井祥雅から電話がかかってきた。2代目CLS代表の今井祥雅は当時の学生企画マンを代表的する存在として、メディアの寵児となっていた。
 「今度、友だちと一緒にマンションを借りて住んで、そこでビジネスの企画について語り明かそうと思うんだけど、時間があるなら東京に出てこないか」
 3月24日、この日は坂本龍馬脱藩の日である。真田は新幹線に乗って東京に向かった。
 上京した真田は、まっすぐ今井の借りたマンションに転がり込んだ。山手線三田駅に近い第一京浜道路に面するこの3LDKのマンションは三田倶楽部と呼ばれ、多彩な人材を輩出した。この年、女子大生ブーム世代が卒業して社会人になる。キャンパス・リーダーズ・ソサイエティーで活躍した人たちはリクルートに就職した者が多かったが、今井もその一人だった。現在、大阪有線とインテリジェンスの社長を務める宇野康秀もリクルート・コスモスに就職し、やはり三田倶楽部に出入りしていた。
 今井、真田と寝起きを共にしたのは、他に電通の社員と、サミーツアーという学生ツアー大手にいた佐藤修の4人。それ以外に三田倶楽部には、毎日のように、東京ばかりでなく全国から学生や若手サラリーマンがやってきて泊り込みでビジネスの企画について話し合っていたのである。
 盛り場でタクシーがつかまりにくくなったバブルの当時、大企業は販売促進やイメージアップのための企画を学生出身の企画会社にどんどん発注していた。「糸井重里のコピー一本1000万円」と言われた時代、思い返してみればコピーバブルの日々である。企画屋、コピー屋には小判が降るような日々だった。テレビにもよく取り上げられる今井の顔で、三田倶楽部には企業からの仕事が次々と舞い込んだ。
 そうした仕事の延長線上に何かよい仕事はないものか、三田倶楽部を根城とした若者たちはいつもそう考えていた。特に今井は、三田倶楽部自体をゆくゆくは会社化しようと構想していたのである。三田倶楽部自体は後にマインドシェアという会社になり、大型ディスコジュリアナ東京のマーケティング調査を行うことになる。
 真田にとって三田倶楽部は、真田の事業欲と、マーケティング志向の強い企画集団の起業精神がぶつかり合い干渉し合う場であった。ここからは後に多くの起業家が輩出されることになる。
 そうした企業からの依頼の一つとして、日本たばこ産業が「サムタイム・ライト」の宣伝のために学生を組織して、事務所スペースを貸す「センカ・ヤング・ネットワーク(SYN)」という企画が代理店経由でやってきた。学生の組織化はCLSの得意とするところだ。瞬く間に何人かの活きのいい学生があがってきた。
 自分の手下として「使えそうな奴はいないかな」と学生を首実験していた真田の目に、一人の少女の姿が飛び込んできた。関西出身の東京大学法学部1年生玉置真理。垢抜けないが、磨けば光る玉だと睨んだ真田は、常に彼女を近くに置き、彼のノウハウや人脈を教え込むようになった。
 聡明で強烈な向上心を持つ玉置は真田から多くのものを吸収し、急速に世界を広げて成長していく。

 この時代、女子大生ブーム世代が社会人になった頃は、学生時代のサークルの勢いをそのまま社会に持ち込んだ社会人サークルや異業種交流会が花開いた時代でもあった。三田倶楽部では最年少であった真田は先輩に連れられてこうした交流会の幾つかに顔を出してみた。これらの会は人脈的に緩い結合で繋がっていたのである。
 まず顔を出したのは丸の内青年倶楽部だった。この会をつくったのは当時住友商事の社員であった堀義人。京都大学在学中は男性ファッション誌の専属モデルをしていたという堂々の美丈夫である。彼の周りに堀に負けず劣らずの美男美女を揃え、ヤング・エグゼクティブ路線の先頭を突っ走っていた。
 最盛期にはジュリアナ東京に2000人を集め、お立ち台にサンタクロースの衣装を着せたギャルをずらりと並べたものである。また「私の彼はサラリーマン」というヒット曲を生んだサラリーマン歌手「シャインズ」をバックアップしたのもこの丸の内青年倶楽部であった。なお堀は後に、グロービスという社会人向けビジネススクールを起業し、ネットベンチャーブームの中で重要な役割を担うことになる。
 だが、東京に出てくると同時に大学に退学届けを郵送した真田にとっては、輝かしい学歴を前面に押し立てる彼らはエリート意識だけが鼻につく好ましからざる存在だった。
 先輩は真田を、今度はホテルニューオータニの横にある貸し会議場ザ・フォーラムでやっている落ちついた雰囲気の勉強会に誘ってくれた。東京円卓倶楽部という。平日の夜、いかにも育ちのよさそうな若いサラリーマンたちが2時間、有名政治家や評論家のご高説を伺うのである。聞けば政治家の2世が多いらしい。
 しかし「親の7光りでお高くとまっているな」と思う相手でも、話してみると若いなりに真剣に日本の行く末を考えて政治家や事業家を志望していることがわかり、真田の龍馬精神が呼応した。
 特に創立者で電通社員の伊藤忠彦(現・愛知県議会議員)の「本気で世の中の人のために尽くしたい、日本を変えたいと思っているんです」という独特の人間力は印象深かった。それと初対面から大きな声で冗談を飛ばして人の心をぐっと掴む三和銀行三田支店の高山照夫とは一番気脈の通じるところがあった。高山とはよく居酒屋で呑んではお互いの人脈を紹介し合うようになる。「誰か面白い人間はいないか」。自分の才能や興味を拡げる可能性を見つけるために、この時代の青年たちは仲間を必死で捜していたのである。
 もう一人まったく対照的な人間だが、東京ガス冷暖房営業部の夏野剛という白皙の青年がいた。夏野はリクルートでアルバイトをしていた時に知り合った「とらばーゆ」編集長の松永真理と仲がよく、よく円卓クラブの講師として松永を頼んでいた。「人が何を言っても表情を変えない、捉えどころのない奴だな。しかし何か言葉にしない秘めた志を持っているのかも」というのが真田の第一印象である。実際夏野がいったん口を開けば、その静かな外貌からは想像できないほど熱い議論が展開されるのだった。
 高山や夏野は閉鎖社会である大企業の文化に辟易し、円卓の仲間たちと議論することで息をついていたのだった。真田も、「じゃあ俺は今度のビジネスで日本最年少の公開社長になってみせる」と息巻いた。
 彼はここを自分の居場所と決め、彼らと交わり始めていた。

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