岡本呻也著 文藝春秋刊 

関西学生界のキーパーソン

 大学時代の彼に会った人間は一様に、その切れの鋭さ、話を聞いてそれをすぐ企画化する頭の回転の早さ、「真田節」と言われたプレゼンテーション能力に感嘆したという。その彼もある挫折を経て東京に流れ、Qネットのアイデアに辿りついたのであるが、その詳細を語るにはここからさらに数年遡って真田の学生時代の話をしなければならない。彼はその痛みを乗り越え、失われた自信を取り戻すために大阪に向かっているのである。

 真田が一浪して関西学院大学に入ったのは83年のことだった。大学とは広い社会への入り口であり、自由があり、自分の可能性をどこまで拡げられるか、挑戦が許される場である。真田は、まさに大学に「乗り込んで」いった。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を高校時代に耽読した彼は、もう既にその時点でサラリーマンの道を捨て、漠然と「ビッグな男になってやる」と気負い込んでいた。
 子供の頃から小兵ながら気合いでケンカに勝つ天真爛漫なガキ大将。議論すれば、とにかく屁理屈をこねて人に負けない。高校と予備校ではサッカーに明け暮れ、予備校サッカーリーグをつくるなど卓越したネットワーク力と行動力を持っていた真田は、入学時に2つの目標を立てた。
1、会社をつくる
2、ミナミのディスコ全てで顔パスになる。
 どうも整合性のとれない目標のようだが、そうでもないらしい。当時は学生企業をつくるのがブームで、学生たちは関西でも関東でも、遊びの中からビジネスを生み出していた。
 大学一回生の間に真田はディスコ顔パスの目標は達成した。夕方になるとミナミのマハラジャに行って寿司をパクついて腹をつくり、その後ハシゴして歩くコースまで決まってしまった。各ディスコでは、大学に根城を置くパーティーサークルが、ときどきディスコを借り切ってダンスパーティーを行っていたが、真田は
「じゃあこのパーティーサークルの代表を集めて束ねてしもたらええやないか」
 と考え、各サークルをオルグしてたちまちのうちに「なにわ倶楽部」という関西最大のサークル団体を創設し代表に納まった。なにわ倶楽部は集まってきた若者たちの溢れる才能を活かして、出版やレコード企画、ファッションショーなども活発に行うようになる。
 一方で真田は知恵を絞ってまた新たな企画を考え、マハラジャの店長に相談を持ちかけていた。
 「店長の悩みは、どうすれば平日の入場者を増やせるかいうことですよねえ」
 「そうや」
 「じゃあね、月曜から木曜まで、曜日ごとの割引カードを発行してもらえませんかね。僕の方でそのカードを学生サークルに割り当てますから」
 「そうすると、何のメリットがあんねん」
 「学生は週イチで集まれる溜まり場ができますよね。ナンパしても"何曜日はマハラジャにおるで。入り口で俺の名前言うたら安なるよ"って誘えるじゃないですか。だから学生は来ますよ。そうすると女性も来るから売り上げも増える」
 「そりゃおもろいな。やってみよか」
 「ついては僕にそのカードの発行権をもらえませんか」
 真田は学生とディスコの間をうまく繋いでマハラジャカードの発行権を手に入れた。カードの発行権者には誰も逆らえない。真田はマハラジャの王様になったわけだ。とにかくこの男、このような才覚を次から次へと発揮するのである。
 この何でも「束ね」てしまうという発想が、Qネットのポータルという機能に結びついたのであろう。大きな相手を束ねるほど、束ねた本人の利得は大きくなる。真田の周囲にいると何か楽しいことがあるのではと学生たちも集まってきた。

 そんな中、真田になびかない一群もあった。パレットクラブという関西の商家の子弟が集まった毛並みのよい集まりである。「若様」然として身なりで、ディスコのフロアの中でもその一画だけが輝きを放っていた。彼らは金に任せて黒服に小遣いを渡したり、ブランデーを取ったりと、ディスコにはいい顔をしているようだった。
 そうした中に堀主知ロバートの姿があった。こちらはこちらでチャンスを見つけては大企業と組んで学生ビジネスを展開し楽しくやっていた。
 「たしか南紀白浜の大旅館の御曹司やったな。まったく関学付属出身の関学のボンボンが、外車なんか乗り回して鼻持ちならんなあ」
 将来この男と深い関わりを持つことになるとは夢想だにしなかった真田は、自分も関学の学生のくせに勝手なことを考えつつ愛想笑いを浮かべて何度もすれ違った。

 もう一つの会社をつくるという目標の方も放ってはおかなかった。学校になど行かないのだから時間はフルに使えるのである。入学直後、「自分の売り物は何か」と考えた真田は、まず自分の受験テクニックを売ってやろうと、友人と組んで私立高校受験のマークシート式テスト必勝法を予備校の空き教室を借りて開講した。親の財布を狙う作戦は図に当たり、1人3万円の講座は満員の盛況。予備校からは「講座として採用したい」とお呼びがかかったが、飽きっぽい真田は3回で切り上げ、今度はなぜか運転免許教習所の所長を口説き始めた。
 「所長のとこで合宿免許やってますよねえ」
 「ああ、敷地の中にある合宿所に泊まってもらってやっとるよ」
 「あれはですねえ、実技教習の期間になると1日に2時間しか乗車できなくて、それ以外の時間はマージャンやってるしかなくてみんな退屈になんですよね」
 「しゃあないやないか、法律でそう決まっとるやんから」
 「学生ツアーいうんあるのん知ってますか。スキーとか、旅行とかを学生スタッフが連れて行くんですけど、関西でも30くらいの団体があるんですよ。これとおたくの合宿免許を組み合わせると楽しく免許が取れて客が増えると思うんですけどね」
 「いやあ、うちはそんなんいらん」
 「そうですかあ。それからあの合宿所なんですけどね、女子学生にしてみると"汚い、暗い"いうんで評判悪いんですけどね。幾らか積むと近所のきれいなホテルを使えるというオプションをつけるとええと思うんですけどどうでしょうか」
 「アホ言うな、帰れ!」
 教習所長というのは警察署長の天下りポストと決まっており、たいへんにお固い。合宿免許と学生ツアーの合体という妙案を思いついた真田もさすがに手を出しかねていると、ひょんな縁で教習所への機材販売会社の社長と知り合うことができた。この社長に話を持ちかけてみると「それ、おもろい」ということになり、教習所への営業はこの会社が行い、集客の方は真田が担当することになった。「利益は折半で」というのが条件である。

 学生ツアーと合宿免許のハイブリッド・ビジネスのスタートである。真田はツアー企画を立ててチラシを刷り、それを大学に撒いて、わくわくしながら電話がかかってくるのを机の前で待った。やがて申し込みの電話がかかってくるとノートに線を引いて「お名前は、住所は」と訊いて、嬉々として書き込んでいく。
 しばらくするとまた電話がかかってきて「この前申し込んだ者ですけど、キャンセルしたいのですが」などと電話がかかってくる。ノートでは検索しにくいので「じゃあ、京大式カードだな」とカード記入に変えて電話を待つ。電話がかかってくる。カードに記入する……。これを何度か繰り返すと、彼はもう商売に飽きてしまうのである。
 真田は後の不遇時代に『コンピュータ帝国の興亡』(ロバート・X・クリンジー著、アスキー刊)という本に出会う。この本の中に、「企業の成長段階に応じてトップは3種類に分かれる」という分析があった。
 第1段階は「コマンドー」である。コマンドーは落下傘で音もなく忍び寄って鋭利なナイフで敵の咽をかき切り侵入路を切り拓く。第2段階は正規軍で、隊列を整え命令一下、圧倒的物量で敵を制圧してしまう。大きな斧で相手をなぎ倒してしまうのだ。こうした正規軍のトップは技術的知識を持った将軍でなければならない。第3段階として官僚がやってきて軍政を敷く。そうなってくるとコマンドーは居場所がなくなるので、次の戦地を求めて放浪の旅に出るというのである。ごく稀に、企業の成長に合わせてコマンド→将軍→官僚と変質していく優れた経営者がいる。ビル・ゲイツは明らかにその一人だが、最近将軍の方向に先祖返りしつつある。たいていの場合アメリカでは官僚は社外から引っ張ってくるようだ。
 若さと元気に溢れていた真田はコマンドーだったのだが、運転免許ビジネスを続けるためには将軍の存在が必要だと思い、高校時代の友人だった西山浩之に応援を頼んだ。
 「じゃあ、僕も手伝おう」と言ってくれた西山は神戸大学に現役で入っており、やるべき仕事を真面目にきちんとこなす能力を持っていた。まさに適材である。真田は以前から困ったときにはこの西山を頼りにしており、西山に仕事を任せたきりいつの間にか顔を出さなくなってしまった。

 80年代中盤、世は女子大生ブーム。深夜のテレビで「私たちはバカじゃない」と連呼する女子大生番組が視聴率を稼いでいた。大学生が消費や流行の起点にあり、学生サークルは企業からの支援も受けてかつてなく盛り上がりつつあった。イベントサークル連合が六本木のディスコ25軒の貸し切りを成功させたこともある。
 一橋大学の西川りゅうじんは、85年に東京の大学の広告研究会、アナウンス研究会、新聞研究会などメディア系サークルをまとめた連絡会キャンパス・リーダーズ・ソサエティー(CLS)を旗上げし気焔を上げた。
 彼らは関西学生界の代表として、年一回の集会に真田を招請したので、真田は「京阪神学園祭実行委員会連絡会」というありもしない団体の名刺をつくって上京。そこで東京の学生たちの熱気に触れると同時に、2代目CLS代表として時代の寵児となる青山学院大学広告研究会の今井祥雅と邂逅する。今井とは気が合い、「九州に面白い学生がいる」という情報を聞くと連れ立って会いに行ったりするよき友となった。
 こうした繋がりから、東京の学生サークルが大手代理店から受けた「学生一万人アンケート」といった仕事が真田に振られてくるようになった。
 「広告ビジネスもおもろいやん」と真田は考え始める。
 86年11月、真田から受け継いだ運転免許合宿の会社を、とにかく真面目にこつこつと運営してきた西山は、ビジネスが大きくなったので梅田と新大阪の間の西中島のライオンズマンションに一室を借りることにした。そこに真田も「俺も広告業やるわ」とふらりと舞い戻って合流し、さらに「事務所開きを手伝え」と関西学院の2年下の加藤順彦を引き込んだ。加藤は関西の大手鉄鋼問屋の御曹司だが、これをきっかけに広告ビジネスに入り、現在ではインターネット広告では大手の代理店を経営している。真田は関西大学の高橋信太郎らにも声をかける。こうして新しい学生企業の骨格が固まっていく。

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