岡本呻也著 文藝春秋刊 

主要登場人物

(肩書きは取材当時のもの)



真田哲弥(さなだ・てつや)
1963年生まれ。関西学院大学での学生企業を経て、89年ダイヤルQ2サービスを利用した情報提供業ダイヤル・キュー・ネットワークを設立。代表取締役専務就任。業界最大手となるが、設備投資をし終わったところでQ2規制がかかり、1年半で経営破綻。その後5年ほどの間に3社を立ち上げてそれぞれ潰し、辛酸を舐める。しかし不屈の闘志で復活、短期間のサラリーマン生活を経て98年、携帯コンテンツ・プロバイダーであるサイバードの設立に参加。副社長として同社の技術部門を担う。

板倉雄一郎(いたくら・ゆういちろう)
1963年生まれ。高校卒業後、上智大学に合格するもゲームソフト制作会社を起業。91年ハイパーネットを設立。ダイヤルQ2利用のサービスに参戦。95年、史上初の無料インターネット・プロバイダー「ハイパーシステム」を考案、事業化に乗り出す。会員30万人を獲得するものの、広告収入が思うように上がらず、97年末に37億円の負債を抱えて倒産。翌年、個人保証分26億円の自己破産宣告を受ける。この経験を元に『社長失格』を執筆。ハイパーシステムのビジネスモデル特許は成立の見込み。現在、2000年に設立したベンチャーマトリックス会長。

堀義人(ほり・よしと)
京都大学工学部卒業後、住友商事に入社。ハーバード大学でMBA取得。92年に社会人向けビジネススクールを業務とするグロービスを設立。95年、青年起業家のネットワークであるYEO日本支部を立ち上げ初代会長に就任。同年、MBAベンチャー研究会をスタート、ベンチャー企業の文化を普及させると同時にビットバレーの中心人物たちの交流の場を提供することになる。99年、世界最大規模のベンチャーキャピタルと提携してエイパックス・グロービス・パートナーズを設立。

小池聡(こいけ・さとし)
1959年生まれ。ビットバレーのコンセプトを打ち出した男。中央大学卒業後、GEとの合弁会社である電通国際情報サービスでニューヨークに駐在。シリコンアレーのベンチャー企業支援組織NYNMAに初期のメンバーとして参加。97年、西海岸に電通の子会社としてインキュベーター会社ネットイヤーを設立、98年にマネジメント・バイ・アウトで独立、99年日本法人を設立した。99年2月、渋谷近辺のネットベンチャーに声をかけ、ビットバレーの大ムーブメントを起こすきっかけをつくった。

西川潔(にしかわ・きよし)
東京大学教養学部卒業後、KDD、コンサルティング会社、AOLジャパンなどを渡り歩くが、起業の志黙し難く、西野伸一郎などの協力を得て、98年アイデアラボに倣ったインキュベーター会社ネットエイジを渋谷に設立、ネットベンチャーに関心を持つ若者たちの中心となる。アメリカのネットベンチャーのビジネスモデルを紹介したメールマガジン「週刊ネットエイジ」は4000人の読者を獲得していた。ここでビットバレー参加の呼びかけを行うことで、一気にビットバレーのコンセプトが共有され動きが加速した。

宮城治男(みやぎ・はるお)
早稲田大学卒業後、94年に学生ベンチャー企業を支援する組織、学生アントレプレナー連絡協議会を立ち上げる。全国の大学でベンチャー経営者の講演会を行う他、年間100社、400名もの学生をインターンとして企業に送り込んでいる。99年、小池の呼びかけに応じてビットバレーの設立に参加。事務局であるビットバレーアソシエーション(BVA)のディレクターとして、ビットスタイルの運営を行うことになる。

松山大河(まつやま・たいが)
1974年生まれ。早稲田大学卒業後、アンダーセンコンサルティングを経てネットエイジの取締役に就任。同社で手がけた自動車見積りサイト・ネットディーラーズはソフトバンクが買収、ネットビジネスが巨額のカネを産むことが認知された。その後、BVAのディレクターとして4500人を越えたビットバレーのメーリングリストを運営。また数社のネットベンチャーの顧問をしつつネット宣教師として積極的に発言している。

堀主知ロバート(ほり・かずとも・ろばーと)
1965年生まれ。関西学院大学での学生企業、ロンドン留学を経て、幾度か起業を試みるが失敗。93年実家が経営する白浜の旅館川久が人手に渡る。94年頃からインターネットの可能性に着目、友人の岩井陽介と研究を重ね、97年にはネットを携帯電話に載せることにより派生するコンテンツ・プロバイダーに事業をフォーカスする。事業環境を実現するために関西のキャリアに働きかけるが失敗。98年、iモードのスタートを見越してサイバードを設立、成功を収める。

堀江貴文(ほりえ・たかふみ)
1972年生まれ。東京大学文学部在学中から、アルバイトでサイト製作の道に入る。97年、オン・ザ・エッヂを登記、社長就任。順調に会社を発展させ、2000年春にマザーズに上場。しかし相場は軟調で、初値は公募価格を大きく下回った。

松永真理(まつなが・まり)
明治大学文学部卒業後、日本リクルートセンター(リクルート)に入社。86年「就職ジャーナル」編集長、88年「とらばーゆ」編集長。97年に乞われてNTTドコモに転じ、ゲートウェイビジネス部企画室長として、インターネットを利用した情報サービスを行う携帯電話「iモード」の開発に参画する。「iモード」の名付け親。政府税調委員も務める。

夏野剛(なつの・たけし)
慶応義塾大学卒業後、東京ガスに入社。学生時代にアルバイトしていたリクルートで松永と知り合う。95年、ペンシルバニア大学ビジネススクールでMBA取得。96年、板倉雄一郎に乞われてハイパーネットに副社長として入社、インターネットのビジネスモデル立案に参画する。97年、松永からの声掛かりでNTTドコモにに移籍。複雑系の概念を援用したiモードのビジネスモデル作成の中心となり、iモードを大成功に導いた。

國重惇史(くにしげ・あつし) 
住友銀行のエリート行員。MITのビジネススクールに留学。丸の内、日本橋など主要支店長を歴任。95年、ハイパーネットに2億5000万円の無担保融資を行いメインバンクとなるが、同社は97年末に倒産する。99年、本店支配人から、オンライン証券のDLJディレクトSFG証券の社長として転出。

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