岡本呻也著 文藝春秋刊 

プロローグ

 「IT革命とは何か」という議論がある。
 私ならこう答える。
 革命とは、主権者の交代とそれに伴う社会変革を意味する。IT革命とは、インターネットを利用した情報・コミュニケーション技術を多くの人が手にすることによって、統治や経済活動の主権が、従来の既得権者や市場支配力を持つ大企業から、市民や消費者の手に引き渡されること。それによって新たな経済社会の構造が形作られることである。
 この過程では情報機器のイノベーションにつれて生活が徐々に変化して行くはずだが、それは表面的で瑣末な現象に過ぎない。IT革命の本質は、それによって人々の意識が大きく変化するということにある。人々の労働や社会参加に対する意識が変わらなければ、期待されているほどの生産性の向上は決して実現できないだろう。
 コンピューター・ネットワークは、コンピューター同士が無機的に繋がっているものでしかない。しかしそれはネットワークの機能を純化したものなので、ネットを介して人々は有機的な繋がりを持ち、よりネット対応的に考え、行動するようになる。そうした意識の変化が、日本の社会を変える大きな原動力になっていくはずだ。もしもこの駄目な国に構造改革が起こるとすれば、その淵源はネットにあるに違いない。

 これから述べるのは、そうした意識変化を誰よりも早く先取りし、新しいビジネスを創ろうとしたネットベンチャーの事績についての、10年間にわたる物語である。
 彼らはいずれも新しいメディアを通して、それまでになかった「場」を創出した。最初に取り上げる2社、ダイヤルQ2を利用したポータルを構想したダイヤル・キュー・ネットワークと、世界初の無料プロバイダーシステムでインターネット界の制覇を企てたハイパーネットは失敗し消えてしまったが、ここで培われた人脈やノウハウは決して無駄になることなく、その後多くの果実をもたらすことになる。彼らの失敗の理由を振り返ることは、ネットワークづくりの成功要因を探るためには欠せないことであろう。
 ビットバレーはネットベンチャーの相互扶助組織というメタ・レベルの「場」であったが、彼らがブレイクした理由もやはり、場づくりについてのかなり洗練されたノウハウを持ち込んだことにあったと指摘することができる。日本中にインターネット、ひいてはITの重要性を認識させたという点において、ビットバレーの果たした役割はあまりにも大きい。またこの頃になると、若年層の発想法や対人関係の築き方は、見事にネット対応してきたように思われる。
 そして最後に取り上げたのはiモードである。iモードこそ、インターネット上に初めて出現した「多数者が利益を得ることのできるインフラ」と言ってよいだろう。実は彼らは「インターネット」を否定することによってそうした場を実現することができたのである。ドコモ自体の収益にはまだあまり貢献していないかもしれないが、コンテンツ提供事業者や一般事業者、携帯利用者に多大な利便を提供している。iモードという「場」から、今後も多くの新しい価値が生み出されてくるはずである。

 これらの価値観は、これまでの日本を支配してきた価値観とは別の次元にあるものだった。だから既得権者である大企業が道を開拓するはずもなかった。そこにはネットの可能性を大きく押し拡げる革新者、ルール・ブレイカー、挑戦者であり若き成功者、そしてまたある時は敗残者、即ちネットベンチャー野郎どもの存在が要請されたのである。彼らは「インターネットが世界を変える」という可能性を信じて、なりふり構わず疾駆した。彼らは「人と人を繋ぐことによって価値が生み出される」ということを知るが故にインターネットのポテンシャルを信じることができたのだと思わずにはいられない。
 ただし、ベンチャー企業に対する理解のまったく乏しいこの国で、この道を選んだ彼らには荊の道が待っていた。成功までの道はあまりにも遠く厳しかった。ネットベンチャーは一時期脚光を浴び、それまでよりは楽に資金を集めたり有利に大企業と提携できるようになったが、多くの会社は売上規模がせいぜい数億円で、しかも決して儲かっているわけではない。株式公開したとしても赤字を続けている企業もあり、株価の低迷に経営者は頭を悩ませている。
 高利益モデルを達成することができたネットベンチャーは、ヤフー、楽天などごく一部に留まる。そうした企業をつくることに成功した社長でも、自分の考えたビジネスを実現するためには数々の試行錯誤を繰り返し、失敗の度に精神的な打撃を堪え忍ばなければならなかったのだ。

 1997年夏のある日、大阪ミナミの事務所街。午前3時を回ろうという頃、唯一軒だけ灯っていた事務所の蛍光灯が消え、30代前半の男が2人、ビルの戸口から吐き出されてきた。
 2人は「ほな、明朝10時に」と呼び交わして、各々の車のエンジンキーを回した。
 白のクラウンは西長堀の阪神高速入り口から入って神戸線を武庫川方面へ。もう1台は反対の堺方面に。クラウンに乗る男は名前を堀主知ロバートという。ワシントンDC生まれでミドルネームがある。
 彼は今、実を結ぶかどうかも分からないビジネスプランを、パートナーの岩井陽介と錬って、明朝のプレゼンテーションの準備を終えたところだった。2人とも昼間は別の仕事をしているのだが、なんとこの2人、自分たちの新規ビジネスのために携帯電話にインターネットを載せようとしていたのだ。今でこそ「携帯でインターネット」は常識であるが、この当時関西でそんな新サービスを考えている携帯電話キャリアはなかった。どこの馬の骨とも知れぬ30歳そこそこの若造がやって来て「新規事業を始めろ」と言うのだから、殿様商売体質の電話会社にとっては無礼極まる話である。世が世であればお手討ちものだ。しかし、この2人の熱意とアイデアは少しずつ大企業の担当者を動かしつつあった。今や彼らのアイデアは具体的な数字を伴った事業計画のレベルになっていた。彼らは松下電工に話をつけ端末機器の製造の算段も整えつつあった。キャリアがネット接続のサービスを開始すれば、彼らはそこにコンテンツを提供するビジネスを立ち上げようと目論んでいるのである。
 堀は南紀白浜の名旅館「川久」の御曹司で、ロンドン留学帰りの颯爽とした若者である。それにしてはくたびれた車に乗っている。実は、川久は92年に豪華に建て替えたのだが、バブル期お決まりの銀行の過剰融資で翌年に行き詰まり、人手に渡っていた。堀主知自身は建て替え時の建築資材輸入は手伝ったものの、経営にはタッチしていなかった。建築現場で「今日の決済どうするかなあ」と話しているのを聞いておかしいなあとは思っていたものの、それまでの無借金健全経営を捨てた無軌道な過剰投資の実態が明らかになるまでに時間はかからなかった。彼と母親は旅館の完工を待って独立し、ミナミに建築コンサルティングの会社を構える。ほどなく川久は人手に渡り、経営者だった堀の祖父はその地位を追われた。
 祖父はカーマニアで、賀陽宮家所有の菊の御紋付宮廷馬車をはじめとして、日本に1台しかないという名車をずらりと揃えていたが、落魄して全てを失ってしまう。不憫に思った堀は知り合いの中古車業者に頼んで見映えだけは良いクラウンを調達させた。どうせもう乗らないんだからエンジンは適当でよい。色は爺さん向けに白だ。従兄弟17人に声をかけて拠金させ、「プレゼントだよ」と差し出して喜ばれた。
 その車を転がして、堀は実家に向かっている。実家は震災で2棟が崩壊し、洋館と鉄筋倉庫だけがかろうじて残っていた。防音壁に囲まれ、ナトリウム灯に照らされた味気ない阪神高速だが、彼は学生時代レーシングカートの選手だったので運転は好きだ。タイヤと路面との接地を、シート越しに肩と尻で感じ取りながら、コーナーを一つひとつ攻めていく。侵入する角度、ハンドルを切るタイミング、「うーん、今のは良かったな」などと心の中で量りつつ、ボロボロの車をシャーシやサスペンションの限界まで使って走らせるのが、彼の楽しみなのである。
 武庫川の出口に近づいた。女に携帯で電話する。
 「あっ、俺。今終わったねん」
 「たいへんやなあ。頑張りや」
 その瞬間、堀の脳中に新しいアイデアが閃いた。
 「ああ、でもまだちょっと気になることがあってな」
 「そらいかんで、あんた。戻っておやり」
 「しゃあないなあ、岩井に電話するわ」
 電話を一旦切り、さっき別れた男に電話をかける。ちょうど今頃、堺に近づいた頃だろう。
 「もしもし。あ、やっぱり」
 相方の岩井も堀からの電話を予期していた。というのも、これがいつものパターンだからである。岩井から堀に電話することも少なくない。
 「さっきのおかしいと思わへんか。コンテンツを提供するのは僕らなのに、僕らがキャリアに通話料を払うのはおかしいやろ。基地局のサーバーの中にぼくらのシステムを入れられたら問題は解決するやん」
 「ほな、戻るわ。それで計算し直そう」
 ほどなくして武庫川の出口を降りると、堀は滑らかに車をUターンさせて、反対車線の高速入り口に車を滑り込ませた。今度はさっきと反対向きのコーナーを飽きずに攻め始める。阪神高速神戸線の高架の両側には、煤けた匂いを放つ工場群が黒々とわだかまっている。ときおり震災で傾いたマンションの側を擦過する。やがて淀川を渡り右手に海が見えた頃、白々と行く手の空が明け初め、水面が鮮やかな青の表情を取り戻す瞬間を知る。晦闇を一条の閃光が引き破った瞬間、黄金色の小球が地平線上に現れ、その周囲にたなびく薄雲が橙色に染められてゆく。行く手の空に描かれる大壁画の彩色は、一刻も止まらず拡がってゆくが、太陽が地中から顔を出し切ると全てが単色の光に呑み込まれてしまう。車が中之島に近づくと道の高低が激しくなり、カーブも多くなる。光が闇を追い出して車内を満たす。鋭角にきらめく高層のオフィスビルを両側に仰ぎつつ、堀はカーブの傾きに身を委ねる。
 「ここのところ運転しながら日の出を眺めるのにも馴れてしまった。もう何度目だろう。このビジネスの夜明けはなかなか来ない。しかし、これができへんかったら生きて行かれへんわ。背水の陣以上や。でも勝算はある。キャリア相手にプレゼンで喋れば喋るほど、可能性は確信に変わってくる。絶対これしかないわ。今までやって来た事業とはぜんぜん違う手応えがある。第6感でも分かる。それを盲信できないことはわかっているけど。僕らが喋ってる相手はキャリアや。もし携帯でネットをやるとしたら、彼らがやるしかない。だからこれ以外の道はないんや」
 事務所に戻ると、岩井もほぼ同時に到着していた。会議室の机の上には書き散らかした厖大なA3の紙が載っかっている。あらゆる事態を想定し、詰めに詰めて穴がないかどうか考え、もう千回近く書き直しただろう事業計画書や企画書の束である。パソコンのハードディスクが満杯になるほど2人は書きまくっていた。2人は計算機を叩きながら、そこにまた新たに手を入れる。彼らはビジネスのそもそもの提案者なので、キャリア側のビジネスモデルも熟知していたのである。これでまた一歩、彼らは成功に近づいたのだろうか。
 「よし、キャリアに明日持っていく数字はこれでええやろ」
 「もうしんどくて帰れへんで」
 「また、あそこ行って仮眠しよか」
 2人は今度は難波にあるクアハウスに向かった。一風呂浴びて、浴衣を羽織り、各々仮眠室で寝台に横になる。2時間は眠れるだろう。明かりを落とされた巨大な空間に、トラック運転手や酔っぱらいが数十人、おのがじし勝手な高鼾をかきながら横たわっていた。ここでまた、堀の頭の中で警告灯が灯った。
 「あかん、さっきの計算は違うとる。直さんと。岩井はどこや」
 堀は寝台の上に起きあがり、相方を目で捜そうとするが、暗闇の中には見渡す限り鼾をかく骸が同じように転がっているばかりである。仕方がないので片手を口にあてて小声で「イワイィ、イワイィ」と、寝台の間を腰をかがめて呼ばわって回る。方向を見失って、寝台から斜めに突き出ている足を蹴っ飛ばしてしまった。
 「うるさいんじゃあああ」
 大音声で一喝される。堀は首をすくめて「えらいすんません」。それで岩井が気づいてくれた。
 「どないしたん」
 「さっきの算盤の置き方、違とるで」
 「わかった。戻ろう」
 2人はよろぽいつつ事務所に戻り、再び計算機を叩くのだった。

 ここまで努力して報われなければ、お天道様が間違っていると思うのだが、現実は甘くはない。98年が明けると、彼ら2人のキャリアに対する働きかけは相次いで不採用となった。見事なステップを踏んで数々のタックルをクリアし、ゴールを目前にしたのだが、最終的に「技術的な問題でやっぱりできません」という一言の前に堀の想いは無惨に潰えたのである。
 携帯電話上でのネット接続と課金が実現するまでには、99年2月のiモード登場を待たなければならなかった。これを皮切りに現実に携帯ネット接続が始まると、コンテンツのアイデアと事業プランを練り上げていた彼らの出足は速く、他の追随を許さなかった。
 堀主知ロバートは携帯コンテンツプロバイダーの雄サイバードの社長となった。岩井陽介は専務取締役である。同社はスタート時から、創業者以外にオムロン、伊藤忠商事などの大手企業の出資を仰いでいたが、業容の急拡大によって、インテルが日本企業として初めて出資した他、EDS、オリックス、リクルートなども増資に応じ、提携関係を強化している。ベンチャーながら特定のマーケットで押しも押されもせぬ独自の地位を確立した証左である。3月時点で額面5万円の株が200万円の評価をされるようになり、「増資をするよ」と、この指止まれをやると予定株数の10倍もの応募がすぐ集まってしまう。98年度売上300万円、99年度4億円、2000年度はその10倍成長を目指し、翌年はそれをさらに倍増させるカーブを描いている。そして2000年秋には株式を店頭公開する。
 だが彼らが短期間にこの華々しい成功を掴むまでには、その前段階として10年にわたる人知れぬ苦闘があったわけである。起業してからも度重なるピンチに見舞われ、それを知恵と経験と度胸でかいくぐる連続であった。彼らが何を考え、何を目標として事業人生を生きてきたかについては以下に克明に追っていきたい。

 さらに彼らが副社長として招いた人物については、この後大幅に紙数を割かねばならない。真田哲弥。ダイヤル・キュー・ネットワークの創立者である。同社の経営が行き詰まった後、彼は5年の間どん底の人生を経験するが、ネットの世界で見事に再起を果たす。不遇時代の彼を支え続けたのは、「起業」への不屈の執念だった。
 以下には、一度は手痛い失敗を経験し、そこから蘇った人々が多数登場する。彼らはそれにめげることなく何度も何度も挑戦を繰り返した。何に対する挑戦か。彼らは「まだ世の中にないものをつくる」ことに挑んだのである。新しい価値を創る者、人と人とが繋がる意味を知る者、ばらばらに存立する価値をネットワークして世の中を変えていく者、彼らこそネットベンチャーと呼ぶに相応しい者たちであろう。

b.pnga.png

サイト運営者は桜内ふみき氏をサポートしていますサイト運営者は桜内ふみき氏をサポートしています




人間力★ラボ
人間力★ラボ




人間力営業
人間力営業



「人間力」101本