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1/1 ローマ

コロッセオ

 元旦である。今日は飯坂さんと別行動することにしていて、私はオスティア・アンティカに行きたい。私の見たイタリア語のサイトでは元旦もやっているように書いていたような気がする。

ポポロ広場きのうの騒ぎはなかったかのようなポポロ広場 双子教会を覗いてから、ポポロ広場を横切ると、もうすでに日本人がうじゃうじゃいる。この人たちは、昨日の晩は一体どこで何をしていたのだろうか。
 昨晩あれだけ割れたシャンパンの破片は、すでにきれいに片付けられている。
 フラミニアから地下鉄に乗ってテルミニでB線に乗り換え、エウル・マリーナでオスティア・リド線に乗り換え、オスティア・アンティカ駅で降りる。
 どうも観光客が少ない。これはひょっとしてやっていないのではないだろうかといぶかしく思いながら駅前の歩道橋を渡って遺跡の入り口に行ってみると、やっぱりやっていない。しまった、時間を無駄にしてしまった。
 でもここまでやってきたので何か見るものはないかなと思って近所の家を覗いてみると、髪が妙に伸びて目を覆い隠してしまっている、いのししだか豚だかよくわからない生き物がいる。呼んでみると人なつっこく近づいてくる。行き場を失っていたロシア人観光客も近づいてきたので、「これは何だ」と聞くと、「ミニポニーだ」という。ロシア人よく知ってるな。
 そういうわけで、ミニポニーをいじっただけでまたオスティア・リド線に乗って終点のピラミデまで戻ってくる。困った。ガイドブックも持って来てないし、今日はほとんどの観光地が休みのはずなのでどうしたものか。

ピラミデピラミデ とりあえず駅を出てピラミデを見物する。これは紀元前一世紀ごろのローマの金持ちがエジプトのピラミッドをまねて作った30mぐらいの高さの自分の墓である。ピラミッドパワーを信じていたのだろう。

 ここはアウレリアヌス城壁と、ローマからオスティアに行くオスティエンセ門に隣接していて、門にはいくつか銘文が彫られているが、そのうちのひとつに英語が書かれていて、「1944年6月4日、この門からカナダとアメリカの軍隊が永遠の都を解放するためにローマに進撃した」と書かれている。

 そこから地下鉄を一駅乗って、チルコ・マッシモで降りる。「カラカラ浴場は野外オペラの時にしか来たことがないので、昼間にも見てみたいものだ」と思ったからだ。「カラカラ浴場なんか入場料取らないだろう」と思って行ってみたら、まったくそんなことはなくてしっかり入場料は取るようになっているし、したがって今日は休日である。困った。

法輪功法輪功 そこからコンスタンチヌス凱旋門のほうに歩き、コロッセオ横手に見て、皇帝たちのフォロの方に歩く。ホテルから追い出された観光客が、行き場なくコロッセオ周辺をうろついている。ものすごい数だ。ますます弱った。
 法輪功が中国からの亡命者を応援するキャンペーンの垂れ幕を掲げていて、私の顔を見ると喜んで中国語のパンフレットを渡す。「日本人だ」と言うと、英語のパンフレットをもらったのだが、どうやら気功教室をヨーロッパでやって信者を増やしているらしい。「私はお前たちの味方だ」と伝えると喜んでいた。

 今回もまたフォロ・ロマーノのほうに来ることになるとは思ってもいなかった。しかし、フォリ・インペリアーリ通りの幅広の道が歩行者天国になっていって、フォロ・ロマーノと皇帝たちのフォロとの間は自由に行き来できるので、これはとてもよい。いつも往来が激しいのでよく見ることができなかったアウグストゥスやトラヤヌス帝のフォーラムをじっくり観察することができた。
アウグストゥスのフォーラムアウグストゥスのフォーラム この辺は、カエサルがフォロ・ロマーノを拡張して、その後アウグストゥス、ネルヴァ、トラヤヌスが、自分たちの権勢を示すことも兼ねて作った公共建築群である。
 一部は現在でも住居として使われている。
 バロック期は採石場になっていたフォロ・ロマーノに比べればまだよく残っているのではないだろうか。これは見られてよかった。

 皇帝たちのフォーラムの事務所で放映していた復元3D画像。これ、おもしろいですよ、

altair 4

 まあそれにしてもすごい人出である。日本人も多い。昨日はこの辺で年越しイベントが行われたようだ。大きなステージが組まれている。イタリアでは自治体が予算を出して世界的なスターを年越しイベントに呼んでいるらしい。

インスラ紀元2世紀のインスラ ルネサンス期に勝手にてっぺんのトラヤヌスの像が聖ペテロの像にすげ換えられてしまったトラヤヌスの凱旋柱の向かいから、カンピドリオの丘に登って、相変わらず美しい広場を見て、ヴェネチア広場方面に降りてくる。
 記念会堂のわきにカンピドリオの丘にへばりついて、紀元2世紀のインスラ(集合住宅)が残っている。しかも4階部分まで残っているのだからすごい。
 商店として使われていた一階は地表面から9メートル下にあり、大勢の人が見下ろしている。インスラの遺構はポンペイやオスティアにたくさん残っているが、4階まで残っているものが他にあるのだろうか。
 このインスラは、ロマネスク期以降に教会に転用されたために破壊を免れたものだ。パンテオンをはじめとして、ローマの建物で残っているものはほとんどそうなのだが、教会に転用されることで命脈をながらえたものが多い。けしからんことだが、それでこの貴重な遺跡を見ることができるのだからまあ仕方がないか。

ナボナ広場ナボナ広場はたいへんなことに ヴェネチア広場を横切って、ジェラートの大盛りをぱくつきながら、ナボナ広場に行ってみると、これはもう大変な人出である。噴水がどこにあるのか分かったものではない。
 回転木馬が出ているだけでなく、射的や変な物売りのテントが軒を連ねていて、大道芸人は出ているし、家族連れや観光客でごった返している。阿鼻叫喚の巷である。私は人ごみは苦手だ。
 最近の傾向として、モノを売りの中国人が如実に増えたことがあると思う。彼らは筆で物を書いたり竹細工を作ったりして、細かく稼いでいるようだ。

 広場の縦断は半分であきらめて、フランチャージ教会でカラヴァッジオでも見ようかと思って行ってみるが、たいへんな人でとても教会に入れそうにない。リベッタ通りを通ってホテルに帰ってくる。

 ホテルでフロントの姉ちゃんに「今日はどうだったか」と聞かれたので、「人が多すぎてひどかった」と答えると、「知ってた」と言われた。
 つまりこういうことだ。元旦のローマというのは、法王のミサを見るために世界中から巡礼のキリスト教徒がきている。また休日なので地元の人も街に出る。したがって町が混雑するのは当然なのだ。
 むしろ異教徒の私の方がお呼びでないとしか言いようがない。正月にローマに来るというのは、そういう意味では間違ったことなのかもしれない。

 午後8時、飯坂さんと待ち合わせて食事に出るが、今日も目当ての店は休みである。スペイン広場近くのNINOに行くが、「予約がないとダメ」といわれる。
 仕方なく適当に歩いて、トラットリアに入る。南方の料理が名物らしいので、シュリンプカクテルとロブスターのパスタと、ステーキを頼む。酒はプロセッコとアマローネを1本ずつ。派手な店構えだったのでどうかなぁと思ったのだが、結構うまかった。
 歩いてホテルに帰る。


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これはあくまでも個人的な備忘のための旅行記であり、ここに書かれている情報を利用したためにどのような不都合があったとしても、当方は一切関知しませんので悪しからず。