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12-13イタリア旅行 12/31 アッシジ

アッシジ

 のんびりした畑の中をドライブを楽しんでいると、1時間ほどで前方の丘の上にアッシジの聖フランチェスコ教会と町並みが見えてくる。これはすごい。車がどんどん町に近づくにつれて、教会はその威容をいや増してくる。
聖フランチェスコ教会 聖フランチェスコ教会のすぐ下の駐車場に車を進めるが、ここは巨大な立体駐車場になっている。この時点で、これまで訪れた他の町とは全然違う。
 つまりこの町はフランチェスコ派の総本山で、日本でいうなら創価学会や立正佼成会の本山のようなものだから、巡礼者が訪れる場所なのだ。それもスケールが違う。世界中のカトリック教徒がやってくる町なのである。
 フランチェスコ派が成立した13世紀以来、清貧を旨とするフランチェスコ派でも莫大な富がこの町に流れ込み、街並みを変えた。フランチェスコ派とは何か、それを見物させていただこう。

 まず早速、メーンイベントである聖フランチェスコ教会に入ってみる。ものすごい人出である。今日は大みそかなので、日本でいえば初詣でにみんなで来ているようなものなのだろう。イモの子を洗うような騒ぎである。
聖フランチェスコ教会 大聖堂は13世紀ロマネスクの下部聖堂、やや新しい上部聖堂、地下礼拝堂が一体となった建物である。
 下部聖堂は天井が低い建物だが、見事な天井画で飾られている。また鳥に説教をする聖フランチェスコのフレスコ画を見ることもできる。
 まあこの聖フランチェスコ(1182年-1226)だが、この大聖堂は聖フランチェスコの行った数々の軌跡を含んだ事績を教徒たちに示すために建てられたものであるが、その軌跡をひっくり返してみると、果たしてこの人はまともな人物だったのだろうかと思わずにはいられないものがある。

 彼はこの町の裕福な商人の家に生まれ、若いころは放蕩の限りを尽くしたが、ある日十字架の前でキリストからの啓示を受ける。平たく言うとキリストの声を聞く。そして全ての財産を捨てて神に仕える方向に突っ走る。また、動物と話をすることもできるようになった。すごいことだ。
 1210年に彼は、法王の中でも絶大な権力を持っていたとして世界史の教科書にも載っているインノケンティウス3世のところに行って教会の奢侈を上から目線でたしなめる。
 インノケンティウス3世は「これはかなわない」と思ったのか、フランチェスコ派を開くことを認める。この宗派の中では法王が夢を見て、夢のお告げでフランチェスコ派を認めることになっている。

 聖フランチェスコはなぜか第5次十字軍にも同行する。この十字軍はフランス王が率い、イスラム勢力の影響力を削ぐために北アフリカに出兵したのだが、聖フランチェスコは敵の親分であるスルタンのテントに出向いて、なんとキリスト教に改宗するように上から目線で命令するのだ。ちょっと常識では考えられない話だが、それを聞いたスルタンは何もせずに彼を放免する。そして彼はヨーロッパに戻ってくる。そういう奇跡の人なのである。ありがたいことだ。

聖フランチェスコ教会前からの眺め聖フランチェスコ教会前からの眺め。ここは天国か?

 地下礼拝堂では、そのありがたい聖フランチェスコの眠る棺に詣でることができる。地下礼拝堂も巡礼者で大変な列だ。その流れに身を任せて聖フランチェスコの櫃に拝謁する。また彼のみすぼらしい服などの遺品や手紙も展示されている。
 上に上がると、修道院のルネサンス風の中庭が美しい。してみると、丘の上に偉容を誇っているこの建物の主要部分を占めるのは、ここから先にあるフランチェスコ派の修道院なのだろう。
 この中庭から階段があり、そこを登ると天井の高い上部聖堂の建物内部に入ることができる。ここで重要なのは、聖堂内部の側壁に描かれた、ジヨットが聖フランチェスコの生涯を描いた24枚の絵である。
 その内容は、上述したような聖フランチェスコが行った数々の奇跡であり、それを文字の読めない巡礼者にも説得的に伝えるために描かれたものであるのだが、ポイントはこれらの絵はすべて透視遠近図法を使って描かれていることである。
 つまりこの聖フランチェスコの生涯を描いた13世紀の絵は、ルネサンスの先駆けなのだ。ルネサンスはあくまで宗教のはしためとして開花したということだ。
 さすがフランチェスコ派の総本山、他の宗派のようなこれみよがしの虚勢は感じられないが、たいへんな権勢である。

 24枚の絵を丹念に見て回って、大聖堂から出てくる。この丘の上から見下ろす景色も本当に素晴らしい。
 大聖堂の前の芝生には巨大なpresepioが広がっているが、よく見るとこれはマネキンを使ってキリスト生誕のシーンを再現しているので必然的に大きな規模になっている。さすが質素倹約のフランチェスコ派。これも初めて見るパターンである。

ミネルヴァ神殿ミネルヴァ神殿 そこから町の反対側の端っこにあるサンタ・キアーラ聖堂に行こうと思って、町のメーンストリートを歩いていく。とにかくすごい人出だ。
 通りの真ん中くらいに広場がある。市役所のあるコムーネ広場だ。ここもまたローマ時代はフォロ・ロマーノだった。そしてその向かいに、ギリシャ風の柱を持った古典建築がある。ローマの共和制時代に作られたミネルヴァ神殿が残っているのだ。すごいことだ。ローマにもこの時代の建築はあまり残っていない。興奮して入ってみると、中はバロックの教会に改造されていた。がっかりだ。しかし正面が無事に残っているだけでも儲けものか。

サンタ・キアーラ聖堂サンタ・キアーラ聖堂 左右の土産物屋を眺めつつ歩く。聖フランチェスコがキリストのお告げを聞いたとされる十字架の複製がたくさん売られている。信徒の土産としては手ごろなものなのだろう。
 サンタ・キアーラ聖堂に着いてみると昼休みでやっていない。聖堂前の広場のバールでピザを食べる。

 午後2時になったので聖堂に入る。この聖堂はキアーラ(クララ)という、聖フランチェスコに影響されて落飾した貴族出身の女性信徒の死後建てられたもので、フランチェスコ派の女子修道院の本拠地である。ファサードもサン・フランチェスコ大聖堂に似せて作られ、あたかも町の両端にあって相対しているかのようである。

 内部もまたサン・フランチェスコ大聖堂と相似形で、サンタ・キアーラの棺や、みすぼらしい服などの遺品も展示されている。ただ一つの違うのは、さっき土産物屋で売られていた聖フランチェスコがキリストのお告げを聞いたとされる十字架の実物が、側廊正面の礼拝堂に高々と掲げられていることだ。みんな熱心に見上げている。信心深いことだ。



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これはあくまでも個人的な備忘のための旅行記であり、ここに書かれている情報を利用したためにどのような不都合があったとしても、当方は一切関知しませんので悪しからず。