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12/27 ピァツェンツァ

ファルネーゼ宮ファルネーゼ宮

 ミラノから電車で50分、ポー川を渡るとピァツェンツァだ。
この町の誇りは、ローマの最初の植民都市だったということと、ガリバルディが早くに義勇兵を募った土地であること、統一イタリアに最初に賛同した町だということだ。駅前にガリバルディと義勇兵士の像がある。また市役所の壁面にカンピドリオのオオカミが赤ん坊なしで刻まれている。
 駅前から歩いてドゥオモ広場へ。いかにもエミリア地方の町並みである。ドゥオモは巨大なロマネスクの教会だ。堂内にいくつもpresepioがある。後陣の下の墓所でミサをやっていて、神父が「清しこの夜」や、なぜか「威風堂々」の替え歌を歌っている。

カヴァッリ広場カヴァッリ広場 そこから歩いて町の中心のカヴァッリ広場(馬広場)へ。
 広場に騎馬像が2つあるのでそう呼ばれているらしい。この町を支配したファルネーゼの騎馬像を見る。この広場にあるイル・ゴティコ宮殿の中にあるインフォメーションに行くが、英語の地図が品切れである。案内のお姉ちゃんも英語が分からず不親切だ。建物の脇に、第一次大戦以降の戦没者の慰霊碑が埋め込まれているが、その裏側にエチオピア戦争での戦没者の慰霊碑がある。19世紀の第一次エチオピア戦争では、フランスに武器をもらったエチオピア軍にイタリアは大惨敗を喫し、国内にたいへんなショックがあったが、この町からも多くの人が出兵したのだろう。
 この広場に面したゴシックのサン・フランチェスコ教会に入ってみる。フランチェスコ派だけに質素な内装で、ステンドグラスも控えめだ。木製の説教壇のところに1848年のピァツェンツァ市の三色旗がある。してみると、この町の統一イタリア加盟を宣言したのはこの教会なのかな。

 それからリソルジメント通りを歩いてファルネーゼ宮殿へ。これがまた巨大な建物で、正面は広壮なルネサンス建築なのだが、裏に回るとゴシック丸出しの煉瓦積みだ。空壕を備えた完全な要塞である。
 中が見たいので切符売り場に行ってみると、英語の通じないおばさん2人が、「1時に閉まるからあと1時間15分しかない」と言いたいらしい。古典絵画美術館と馬車の博物館のチケットを買う。
 美術館は3階か4階にあり、目玉はボッティチェリの聖母子像である。これは多分以前フィレンツェでやっていた展観で見たことがある。室内は17世紀の壁画で飾られていたが、ほぼ失われている。おそらくオーストリア軍が占領していたときにかなり手ひどく荒されたようだ。
 絵画はそれと、ファルネーゼ家が収集した14世紀のイコンと、ファルネーゼ家がやった戦いの絵が多い。ファルネーゼ家出身の法王パウルス3世がパルマとピアチェンツァを教会領から切り離して自分の息子に与えたのだが、息子にパルマの領有を認めている式典を描いた画がたくさんある。なんだかなあ。
 受け付けにいたおばちゃんの一人がつききりで案内してくれるのだが、言葉が通じないので順路を示してくれるだけだ。

ドゥオモドゥオモ
 続いてエレベーターで地下に降りて、馬車の博物館に行く。ここに置いてある馬車はサボイ家の紋章をつけていて、ファルネーゼとは関係のないコレクションのようだ。それよりこのルネサンス建築のレンガむき出しの地階は当時は台所や風呂、洗濯場として使われており、その構造を見るほうが面白い。地階をぐるっとまわって、おばちゃんが1階に送ってくれて見学は終わりである。

 馬広場に帰るが、イル・ゴティコ宮殿の入り口が分からず、面倒くさくなって見学をあきらめる。たぶん冬場なのでやってないのだろう。ちょっと歩いて非常に面白いゴシックの外観を持っているサンタントニーノ教会に行くが、昼休みで閉まっている。その隣にある劇場を見て、ドゥオモ広場に面したカフェでペンネアラビアータを頼んで、エスプレッソを飲み、14:41のユーロスターに飛び乗って15:25ミラノに戻ってくる。



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これはあくまでも個人的な備忘のための旅行記であり、ここに書かれている情報を利用したためにどのような不都合があったとしても、当方は一切関知しませんので悪しからず。