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1月15日 フィレンツェ


 朝食を食べた後、8時半のユーロスターイタリアに乗ってフィレンツェに移動する。よく晴れている。日本を出てから1週間ぶりに青空を見た。さすがイタリアだ。
 10時フィレンツェ着。部屋に荷物を置いてすぐ観光に出かける。とにかく今日1日でフィレンツェ中を回ろうというのだから忙しい。ピッティ宮までいけるだろうか。

サン・ロレンツォ教会サン・ロレンツォ教会。有料化+撮影禁止・・・いかがなものか まず、メディチ家の礼拝堂をかすめながら、サン・ロレンツォ教会に向かう。この教会はルネサンス建築を理解するのに適当である。ブルネレスキによって作られた旧聖具室は最初のルネサンス空間である。が、ここもなんと有料になっている! しかも撮影禁止。終わっとるがな。前来たときに有料だったのは、サンタマリア・ノヴェッラくらいだったと思うのだが。
 教会横の回廊から博物館に入って、帰りにコジモ・デ・メディチの墓を見る。残念ながら、ミケランジェロが作ったラウレンツィアーナ図書館は時間がないのでお預けだ。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ 教会を出て、メディチ・リッカルディ宮を横目で見て、サン・ジョバンニ広場に向かう。サン・ジョバンニ洗礼堂で、天国の門を見た後、サンタ・マリア・デル・フィオーレのファサードを眺め、中に入ってみる。この教会も後陣近くまでは入れなくなってしまっている。ドーム天井に描かれたヴァザーリの天井画がよく見えない。バッツィ家の陰謀など回想しつつ、大聖堂横の出口から出て、ジョットの鐘楼を横目で見ながらシニョリーア広場に向かう。クーポラに登る時間はない。

やや迷いつつ、シニョリーア広場へやってくる。腹が減ったので、人気店イ・フラテッリー二のパニーノを食べる。なかなかうまい。
サヴォナローラの火刑の跡           中国人に踏みつけられるサヴォナローラの火刑跡。
 サヴォナローラの火刑の跡を確認し、ランツィのロッジァを見てベッキオ宮殿へ。500人広間、レオ10世の間、いくつかの礼拝堂などを見る。20年ぶりに来たのだが、こんなに広かったっけ?
ベッキオ宮殿                ベッキオ宮に20年ぶりに入場する。
ベッキオ宮殿サボナローラが市政改革で議員数を増やしたために作られた500人広間。
 次に、ウフィツィ宮に移動して、この街で活躍したルネサンスの主役たちの石像を冷やかしながら、ウフィツィ美術館に入る。この時期はオフシーズンなので予想通り簡単に入館することができた。
 内部はおなじみのルネサンスからバロック期にかけての世界最高の美術作品のオンパレードである。しかし修理中の箇所が多く、ボッティチェッリやレオナルド・ダ・ビンチのコーナーを飛ばしてしまう。焦って戻ってきて、フィレンツェルネサンス絵画の精髄をじっくりと味わうことができた。
 ここまでくると、もうくたくたである。日も陰ってきた。今回はなんとかして前回見られなかったカルミネ教会を見たいと思っていたのだが、あきらめるしかない。それどころか、ピッティ宮まで行くのも難しいだろう。困った困った。

 困ったときは、ジェラートを食べるに限る。ポンテ・ベッキオを渡ったところにあるジェラート屋でジェラートを買って食べながら、グイッチャルディーニ通りにやってくる。このあたりにマキャベリが住んでいた家があるはずである。地元の商店の人が店から出てきてタバコを吸っているので聞いてみると、さすがに知っていて、いい加減な英語で教えてくれた。グイッチャルディーニ18番地の通りから5メートルくらい入ったところに、「ここにマキャベリが住んでいた」という銘板がひっそりと掲げられている。
「ここにマキャベリが住んでいた」という銘板
 このマキャベリの家を確認した時点で日が暮れてしまったので、今日の見物はおしまい。歩いてホテルに帰る。アルノ川の夕暮れを見ることができたのはよかったが。
 つまるところ、ルネサンスの発火点となり、人類の精神史と文化史に偉大な足跡を残したこのあまりにも偉大な街を1日で見るなどということは絶対に不可能だということを証明した1日であった。
アルノ川の夕暮れアルノ川の夕暮れは、いつ見ても見事。
 7時、着替えて予約していたリストランテに向かい、キャンティクラシコとバローロで、でっかいラビオリと、1kgのTボーンステーキを流し込む。
Tボーンステーキ

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