3月25日 アイゼナハ2





 この城の母屋から渡り廊下を伝って、離れに行くことができる。その途中に、ルターについての展示がある。彼はクラナッハと仲がよかったので、ルターの肖像画はクラナッハが描き残している。1540年にクラナッハの工房で描かれた肖像画である。
 ルターは1521年、ヴォルムスの帝国議会で帝国追放処分を受ける。チューリンゲン方伯は1521年5月8日から1522年3月1日まで、彼をユンカー・ヨークという偽名でヴァルトブルク城に匿う。彼はここで1521年の12月から1522年の2月にかけて、新約聖書をギリシャ語からドイツ語に翻訳する。そして1522年の9月に、最初の新約聖書(セプテンバー・テスタメント)の印刷が行われる。

ルターの部屋ルターの部屋 ルターが聖書を翻訳した城から渡り廊下を渡ったところにあるみずぼらしい小部屋は、囚人用の部屋だったのだそうだ。現在部屋に置いてあるものは、石造の足置き以外はすべてコピーだ。すでに16世紀末には、しばしばピルグリムが訪れて部屋の中に落書きをしていったという。
 彼はここで聖書をだれにでも読めるようにし、その聖書が印刷されて広がることによって、西洋の精神史は大きく転換した。ルターの根本にあったのは個人主義であり、個人が納得できる信仰をつくるために聖書をドイツ語に翻訳したのであろう。彼は個人と神の関係からカトリック教会を追い出し、再構築した。1521年に焚書令が出るまでに、ルターが書いたパンフレットは印刷されて50万枚以上も出回っていたそうだ。
 書物はどんな形であれ、社会を変革する力を秘めているものなのである。だから私はこの仕事を選択したのだ。

 ついでに城の南側にある、16世紀に建てられた塔にも登ってみる。0,5ユーロ。海抜200メートルくらいか、それ以上か。気温は0Cに近いだろう。ここからは360度見渡せる。遠くの方で風力発電の風車がたくさん回っている。

 10時20分、下山する。さっきのバッハの家からルター通りを通って、市役所前の広場に近いルターが若いころに住んだ家を見る。彼は1511年までヴァルトブルク聖書教授を務めていた。外装はかなりきれいに整備されている。広場にある教会はゲオルグ教会。ルターが説教し、バッハが洗礼を受けている。通りで買ったソーセージを食べながら駅に向かう。駅に近いニコライ教会は1180年に建てられたロマネスク様式のものだ。駅で電車の乗り継ぎ方を確かめてから、駅舎内のカフェでビールを飲む。
 15時59分フランクフルト行きのインターシティに乗る。駅のステンドグラスは自動車発明70年を記念したもの。駅構内ではやたら長い自動車運搬車が走っている。さすがオペルの街である。

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これはあくまでも個人的な備忘のための旅行記であり、ここに書かれている情報を利用したためにどのような不都合があったとしても、当方は一切関知しませんので悪しからず。