3月19日 マントヴァ2



パラッツォ・デル・テ(巨人の間)パラッツォ・デル・テ(巨人の間) ずんずん歩いて、パラッツォ・デル・テにたどりついた。ここは夏の離宮なのだが、イザベラ・デステの息子であるジュリオ・ロマーノが、愛人とともに住むために拡張して見事な宮殿となったものだ。ドゥカーレ宮とは違って、まったく趣味がよい上品な内装である。建てられたのは16世紀前半、サッコ・ディ・ローマの頃である。
 メインルームは、マントヴァの名産である数頭の馬を描いたフレスコ画で装飾されている。馬が風景からせり出して見えるように描かれている。ここもまた、だまし絵である。プシケの間は天井一面にプシケとキューピッドの物語が、仰視遠近法で描かれている。下から見上げると、天上の世界の話を見ているような気持ちになってくる。
 夏の離宮だけあって、非常に開放的な造りだ。
 ここに描かれている絵には、マニエリスムの暗い影がない。庭の奥にある小屋に入ると、秘密の庭園とグロッタになっている。バロックとロココ趣味が混在しているようだ。

 巨人の間はオリンポスの神々が巨人たちを滅ぼす様子を部屋いっぱいの大迫力で描いたものだ。1532年から35年にかけて描かれた。壁全体に巨人の神殿が倒壊するさまが描かれており、だまし絵の技法の集大成のようなものだろう。実に面白い。

 引き返して、また街の中心の広場に戻ってくる。サンタンドレア聖堂を覗いて、反対側にあるサン・ロレンツォ円形聖堂に入ってみる。1080年から1115年に作られたロマネスクの小さな聖堂である。ドームの小窓から一条の光が同内に差し込んできて神々しい効果である。

サンタンドレア教会サンタンドレア教会 駅へ行くバスのチケットを買ったのだが、ドゥカーレ宮の前のバス停から出ているどのバスが駅へ行くのかわからない。仕方がないのでドゥカーレ宮のクロークからトランクを請け出して・結局タクシーで駅へ向かう。クロークのお姉ちゃんがやたら派手な白ブーツを履いていたので、からかう。タクシーの運転手がマントヴァは人口7万人と教えてくれる。なんせマントヴァの宮廷生活を想像することができた。この町を舞台にして・ヴィクトル・ユーゴーがリゴレットを書いたのがわかるような気がする。彼がこの町に来たことがあるのかどうか知らないが。

 次のモデナ行きまでは間があるので、予定を変更して16時16分クレモナ行きに乗り、ピアデンナ16時40分着、そこで17時9分発のパルマ行きに乗り換える。17時56分パルマ着という計算である。
 ところが電車はマントヴァ駅を平気で20分遅れで出発する。頭が痛い。とはいえ乗り継ぎはうまくいって、18時ちょうどにパルマに着く。タクシーで街のど真ん中にあるホテルへ乗り付ける。

 19時、ホテルを出て街を歩く。ショーウインドウがどこも美しいのに驚かされる。この町の人は恐るべき美的感覚を持っているらしい。例えば眼鏡屋のショーウインドウでも、とてもメガネを扱っていると思えない発想でショーウインドウを飾っている。靴屋でも、色違いの靴を組み合わせて、その間にバービー人形を置いて展示するなど、実に見事である。これは日本人にはできない発想だ。見映えの良さを第一に考えて他は全て無視しているからできる芸当であろう。どの店も必ずスペースを作って、何か工夫して展示している。これはすごい。見ていて飽きない。
 どうもこの町は、ロマネスクの8角形の洗礼堂より、こちらの方がよほど面白い見物である。

 たいがい街を歩きまわってトリビュナーレというリストランテに入る。当然ながらこの町の名物である生ハムを頼んだが、まあこんなもんかなという感じ。日本で食べるのとそんなに変わらない。メニューを書き写していたら、店の人が追加で生ハムを足してくれた。ランブルスコも最近近所の店で売っているのでよく飲むが、これはほんとにうまい。ニョッキを頼んだのだが、パルメザンチーズがたっぷりかかっている。素朴な味でありながら、全然引っかかるところがない。洗練を感じさせて素晴らしい。これは忘れられない味になりそうだ。
 バルサミコソースがたまらない味を添えている。壁にはヴェルディの写真が掲げてある。ここはヴェルディとトスカニーニが生まれた町である。トスカニーニはヴェルディの国葬の時、演奏の指揮をした。
 食後にまたバルメザンチーズをくれる。このチーズのうまさを初めて知った。この店は大変な繁盛店で、千客万来である。給仕をしてくるおばさんはあくまでも愛想がいい。とっても満足だった。

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これはあくまでも個人的な備忘のための旅行記であり、ここに書かれている情報を利用したためにどのような不都合があったとしても、当方は一切関知しませんので悪しからず。