3月16日 フィレンツェ






 朝一番、混んでいないところを見計らってサン・マルコ修道院に向かう。ラッキーなことにだれもいない。修道院というところに入るのは初めてだ。
 フラ・アンジェリコの受胎告知のところにやってくる。修道院内の空間は例外なく静寂が支配している。大天使ガブリエルから受胎告知を聞いたマリアの表情は一見まぬけにも見えるが、これを「驚きと責任の自覚の表情」と受け取るかどうかは分かれるところだろう。

 私がここで考えたことは、全然別のことである。なぜこんな絵がここに描かれているのか、その意味をよく考えると、だんだん腹が立ってきた。
 この絵は2階の僧坊へ上がるときに、ちょうど見上げながら上っていく位置に書いてある。僧坊に戻る修道士たちに、神に仕える責任をいちいち自覚させるためにこの位置にこの絵が描かれていることがわかる。まさにストイックだ。サヴォナローラがここの院長をしていたのはさもありなんという気がする。
 しかも階段の踊り場から視界一杯を支配するように画の幅が限定されていて、他は白の壁のままなのだから、なおさらここに受胎告知図を描いた意図がよく見える。

 この画の斜向かいにある、聖ドミニコがはりつけにされたキリストにすがりついている画も全く同じ意図で、僧坊から修道士たちが出てきたらすぐ目に映える位置に描かれている。つまるところ、精神的に修道士たちを支配しようという意図がうかがえるのである。
 僧坊は非常に狭く、わざわざ天井を本当の天井とは別に低くつくっており、ここに入るものを精神的に圧迫するように作られている。カルトである。このような管理的な姿勢には反感を覚えざるを得ない。敬虔なフラ・アンジェリコの画風とは全く異なるものをここからは感じてしまう。これはルネッサンス的ではない!

捨て子養育院捨て子養育院捨て子養育院 9時30分、すぐ横のアカデミア美術館の恐ろしい人ごみの横を通り過ぎる。
 予約者の列だけでも、大変な長さである。「これは到底並んでいられるものではない。明日また来よう」と思い、少し歩いて捨て子養育院に向かう。

 ここは、ブルネレスキの最初のルネサンス建築である。古代ローマの、コリント式の柱とアーチが、ここで初めて復活したのである。
 養育院の前のポルティコの横には、捨て子台がある。これは子供を育てることができなくなった親が夜中にこっそりと子供を捨てに来るところだった。ある種の社会政策だったようである。
 ここには病院を併設していた。その前の広場は、この様式のポルティコに囲まれた落ち着いた空間になっている。

 そこから歩いて、メディチ家礼拝堂に向かう。金を払って礼拝堂の中に入ってみると、足場が組んであって何も見えない。これで6ユーロも取るのはひどい。内部は抑制のきいたバロック空間である。クーポラの天井には天地創造からキリストの生誕、張りつけ、復活、最後の審判までを極端に縮めて描いてある。
 そこから狭い通路を通って、ミケランジェロがつくった有名な空間、メディチ家の墓所に入る。この空間からは、ミケランジェロのルネサンスを超えようとする意欲が感じられるような気がする。彼が作った寓意的な墓碑彫刻は、単なる墓ではなく、普遍的なものを表現しようとしている。施主にとっては困ったものだろう。
 壁のオーダーもまったく様式を無視した装飾的なものになっており、ミケランジェロの独創的な空間である。

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これはあくまでも個人的な備忘のための旅行記であり、ここに書かれている情報を利用したためにどのような不都合があったとしても、当方は一切関知しませんので悪しからず。