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「人間力」をめぐる冒険

他人の「人間力」講演を聞いてこう考えた







インタビュアー 飯坂彰啓
答える人    岡本呻也

岡本 ところがですね、ちょっと笑い話に近い話なのですが、人間力をテーマにした、ある著名な方の講演を聞く機会があったんですよ。これがわたしにとってはかなり苦痛でしてね(笑)。
 講演の中でその人は、「人間力とはセンサーのことである」と、ずいぶん簡単におっしゃっているわけです。例えば狭い道ですれ違ったときに、お互いぶつからないように気がつく能力ですよと言ってるんですね。
 でもそれっておかしいですよね。相手の意図を感じ取る能力というのは、人間力の半分以下でしかないですよ。相手の意図を感じたうえで、相手の心を動かすことができなければ意味がないじゃないですか。そこまでいかないと人間力とは言えないですよ。そんな中途半端な・・・(笑)。

飯坂 相手が望んでいることを的確に把握して、それを返してあげないといけませんよね。道ですれ違っても、知り合いだったらあいさつをするとか、そういうのを含めて人間力なんでしょう。

岡本 そうそう、落語で「岸流島」という演目があるんですよ。端折ってお話すると、塚原ト伝の話なのですが、渡し船に乗っているときに、若侍がキセルの先を川の中に落とすんですよ。それで若侍は、「船を戻せ」ともめて、乗っている町人との間でケンカが起きるんです。
 それでト伝が「私が相手をしよう」と名乗り出て、相手の若侍は「よしわかった、あの島に上って勝負をしよう」と言って、いきりたって先に上陸するんです。ト伝は何事もなかったように、船頭に「早く船を出せ」と言って、その武士を置き去りにして終わってしまうわけです。まさに無手勝流ですよね。
 相手が手合わせをしたいと望んでいても、それを感じるだけでは全く意味がなくて、それに対してどう対処するかを考え、実行するまでを含めて、人間力なのだと私は思うんです。
 センサーの部分しかなければ、「コイツは怒っているから、ケンカの相手になるしかないな」という話になるわけですが、人間力がある人であれば「コイツは置き去りにしてしまえばいい」と考えますよね。

飯坂 なるほどね。

岡本 でも、その講演を聞いている人は、「人間力とはセンサーである」などというような、はっきり申し上げて不完全な人間力のお話でも、「フーン、そのようなものなのか」と思って聞いてしまいますよ。ただぼくから見ていると、それはとっても不誠実なことだと思うんですね。
 あるいは他の人なんですけど、「人間力とは受容力である」なんて言ってる人もいますよ。でも相手のことを受け容れる力ってのも、やっぱり話の半分以下でしかありませんよね。「なんでもオレのところに言ってこい。黙って聞いておいてやる」という上司はいるかもしれませんが、そんな人は役に立たないから人望を失うでしょう。相手を受容した後で、相手に働きかけられないと意味がないじゃないですか。どうなっとるんじゃいと思いますよ。
 それでね、その人は講演の最後に、「このような話ならいくらでもできるのですが、時間がきたので終わりにします」と言ってたんですよ。だけど、いくらでもできる話というのは、何も伝えていないのと同じなのではないかと私は思いますね。
 私がお伝えできる人間力の話には、限りがあります。だけど、伝えるべきことは、ちゃんと伝えたいと思っています。伝えるべきことをお伝えするのが講演や研修の目的ですから。
 ですから、人間力について学びたいと望む人は増えているし、人間力の定義にもいろいろあっていいとは思うのですが、そうであるならば相手をよく見極めて頼んだほうがいいと忠告せざるを得ないなと、他人の「人間力」講演を聞いて痛感した次第なんですよ。よくバブル期にあるような粗製濫造のはしりが、「人間力」業界にも兆しているのかも・・・そんなことはないか。

人間力とは、「大人になること」と見つけたり

「人間力」エピソード101本

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