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集団無責任体制の構図

 それでね、共同体というのは、トップはもちろんのこと支配されている側の一人ひとりも、「自分はこの体制がなければ生きていけない。自分はこの体制に依存している。みんな運命共同体だからこそ、この体制を守らなければならないんだ」と思い込んで、所属組織に対するゆがんだ忠誠心を持っている。そういう人は、会社という共同体の外の世界なんか想像すらできないわけだ。

 そこで、何か会社共同体の存続を危うくするようなヤバイいことが持ち上がった場合、それを「隠しておこう」と考えるのは当然のことだよね。

 だってカイシャ世代にとっては、会社の外のことを考える必要なんかないわけだから、たとえ法律に違反していようが、欠陥商品でお客さんに迷惑がかっていようが、社会的規範にもとっていようが、「仲間が傷ついて組織の秩序がガタガタになるよりは、会社の外にいるお客さんや株主が不利益を被るほうが、よほどましだ」と思ってしまうわけだ。

 そういう個々人の思いが、全体の空気を作っていて、なんとなく組織行動が決定されてしまうんだろうね。

 ひどいなあ。良心の呵責(かしゃく)というのは感じないんですか? 「みんなのため」の「みんな」が社内の仲間だけに限定されてるなんて、子供みたいですね。

 悪いという自覚はあるかもしれないよ。でも、神輿型の共同体組織で会社ぐるみの不正をやっている場合、実際のビジネスはミドルがやってるんだけど「責任者はトップ」だと思っているし、若手社員は「当然上司の責任だ」と思っているし、トップはトップで「下が勝手にやったことで俺たちはまったく聞いていない。いい迷惑だ。でもまあOBや会長、相談役といった長老にはちゃんと報告してOKしてもらってるし大丈夫だろう」と思っているわけで、責任が循環して消滅している。

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 全員の意識の中では「組織全員のためにやったことなんだからだれも悪くはないし、特に自分には責任がないだろう」と妙に納得してしまう。責任がどこかで空中分解してしまうシステムなんだな。稟議(りんぎ)書なんてのは、そのための仕組みだし。

 責任者が「自分の判断が間違っていた」ことが分かったとしても、「みんなが間違っているんだからから、自分にも責任はない。これでよいのだ」と自分を納得させるんだ。こうしたもたれ合い的な意識が、食品の産地偽装や、商品の欠陥を隠ぺいする企業不正事件の背景にあると思うよ。

 わたしは自分個人の価値観で、「おかしなことはおかしい」と判断します。会社は世の中に役に立つ商品やサービスを供給して成り立つものだと考えてますし、だから会社には、世の中に迷惑をかけてまで生き残る正当性はないと思ってるんです。

 その価値観から見ておかしなことは、たとえ社員であろうとも、いや現実を知る内部者であればこそ、「自分たちはまちがっているのでは?」と声を上げてただしていかなければならないと思っています。これって、間違ってるでしょうか?

 いや、十分正しいと思うよ。「カイシャ主義」の観点からは、共同体を守るためには、世の中一般のルールや、法律すら破ってもいいという考え方が支配的だが、それは今はごまかせても、将来的に必ず自分の首を締めることになるはずだから、結局は浅はかな対応でしかない。

 だけど、内部告発をするには心の中がちくちく痛む人も少なくない。それは、日本の組織人はみんな多かれ少なかれ、こういった共同体意識を持っているからだろうね。

 そしてそれが不正の温床になっている。組織と個人がきちんと分化していなくて、なんとなく融合しているので、なぜか他人がしでかした不始末なのに、「身内の恥は自分の恥。波風を立てたくない。ここは穏便に……」と隠そうとする。そうやって傷口は広がるし、悪人はそこにつけ込んで、金をしぼり取ろうとするよね。金融・証券スキャンダルの構図は、そういうことだったと思うよ。

 サイテーですね! 身内だからって、不正をやっている人をどうして自分と切り離せないんでしょうか? かばっていたら、自分も同罪になってしまうのに。身内意識って、ほんとに理解を超えてます。

 これは不正だけでなくて、日本企業に特有の組織的不合理や競争制限的な商慣行の原因になっている。それだけじゃなくて社員にとっても、共同体の殻の中にぬくぬくと安住して、自己革新する契機を失う原因にもなっているとぼくは思うね。

 困りましたねー。でも、なにがいちばんの問題点なのかな?

 根本原因は、神輿が目的性を持たないというところにあるだろう。目的がはっきりしていない日本のカイシャでは、「合目的性」という価値観がないわけだから、「これは我々の目的と照らし合わせて間違っているから直すべきだ」という問題認識すらできない。つまりみんな目先の問題には文句を言っているけれど、目的が空っぽだから、文句の中身は課題達成のための解決すべきネックではなくて、ただの不平不満のレベルにしか過ぎなかったりするわけだ。だから改革も、標ぼうはされるけれど本気の取り組みにはならない。強い目的意識をみんなが共有しなければ、カイシャは変わらないね。

 不正を断固拒否するためには、「カイシャは社会の一員である」という社会性認識と、君のようなよほどの強い信念(意固地さ?)を持っていなければ難しいだろう。多くのビジネスマンは、共同体の掟に自分を合わせて働き続けるうちに、偏狭な共同体意識と、「共同体の存続」という自己目的化した組織論理にどんどん染まってしまって、そういう気持ちをすっかり忘れてるんだろうね。

 だけど世界の企業と競争しなければならなくなった現在、我々は共同体意識を捨てて、もっと広い視野と、社会全体の共通利益を考える視点を持たなければ、今日の手かせ足かせを打ち破ることはできないと思うよ。

 そうですよね。やっぱりわたしのほうが正しかったんだ。なんか、「今年1年も新しい気持ちでもっとがんばらなきゃ」という気持ちになってきました。よし、がんばるぞー!

 いや、君はほどほどにしておいたほうがいいかも……。

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人間力とは、「大人になること」と見つけたり

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