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「慮る力」単行本 人間力とは慮る力

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ジャーナリスト
市民の代理人として取材対象にアタックする 4

日本ビデオニュース社長
神保哲生


*民主主義を守るため「記者の客観性」が侵されてはならない

筆者 今回の取材では、「事前校閲はお断りですよ」と取材申込書に書いています。すると、「書いた原稿を見せてくれないのなら取材には応じない」とか、取材した後に「原稿を見せてくれ」と言ってくる人がいるのですが、なぜ憲法が「表現の自由」を認めているのか理解していない人があまりに多くて、困ります。一つには学校で教えていないということがあるのでしょうが。

 ジャーナリズムが健全に機能していることの意味については、ほとんど日本では理解されていません。そういう意味では本当にまだメディアに慣れていないということだと思いますね。
 「じゃあ、あなたが今日読んだ新聞の記事や、テレビのニュースが、報道されている人が内容をあらかじめチェックして手を入れたり、承諾したりしたものであったとして、そういう新聞を読まされていて、どう思いますか」ということですよね。記者が自分の判断で書いたのではなく、書かれる側が、「これでどう?」と直した記事であったとすると、最終的には書かれても構わない情報しか出てこなくなってしまうわけです。そうすると、いったい何を信じていいんだかわからなくなってしまうじゃないですか。だから、記者の客観評価が重要なんです。

「取材拒否をする自由」はあるんです。
 公的な影響力を行使する人や組織は例外で、アカウンタビリティが生じるのでその自由はありません。税金をどう使っているかを市民に知らせる義務はありますから。
 しかし一私人については、忙しいとか、単純にメディアが嫌いだという理由で取材を拒否するのは全く自由ですよ。表現をする自由があって、「メディアに出たい」とか、「社会的な意味があるからリスクがあっても協力するよ」とか、「名前が出ることによって商品が売れるて利益につながる」という理由でメディアに出るという自由はあります。
 またまったくその反対に表現する自由を行使しないという自由もあるでしょう。
 しかし、それと「原稿を見ることができないから取材に応じるわけにはいきません」というのはまったく別の話です。

 ですから企業については、例えば、一人で作ったものを、一人にしか売っていないというふうな極端な会社があったとすると、そこに「私はジャーナリストだ」と押し掛けて行って「取材に応じろ」というのはお門違いだと思いますよ。
 で、一般の企業の場合、まず企業は株主のものだから、株主に対するIRとして取材を受ける必要性があります。
 次に、企業も公的な影響力を行使しているということがあります。そうすると、メディアに対して「取材に応じる応じない」と考えるのではなく、「メディアを通して自社の情報を世の中に流す」という考え方があるわけです。
 メディアはしょせん媒介者でしかありませんから、「情報公開するかどうか」という問題として受け取るべきでしょう。「公開したい」と思う会社はすればいいし、したくないも企業はしなくても良い。組織の属性によって、どこまで公開するかについては段階があると思います。

*取材先との信頼関係はどうあるべきか

 取材する側としてどうしても話を取りたい時には、日参するか、夜討ち朝駆けするか雨の中で立っているか、こちらとしてはなんだってやりますよ。ジャーナリストとしては織り込み済みのことだと思いますよ。
 だけど、駆け出しの記者はついつい取材しやすいところに行ってしまう傾向があるので、それに馴れちゃうとヤバイですよね。「それじゃあだめだ」と若い人にはハッパをかけるようにしています。
 「よく私にそこまでしゃべらせたね」、と言われるような取材になる時は、相手との信頼関係ができているわけで、そこのところで、記者のレベルが一番問われるわけです。
 聞きにくい話を取材対象者から聞き出すチープ・トリックとしては、いかにもその相手にシンパシーがあるように、「これってひどいと思いませんか」と話を持って行くやり方もあります。政治ジャーナリズムはそういうところがあって、「○○さんがこう言ってましたよ」と政治家に持ちかけて、帰ってきた返事をまた違う人のところに持っていってコメントを引き出すということもやっている。
 取材対象者のライバルを批判して、自分がさもその取材対象者の同調者、賛同者であるというな雰囲気を出すという手法ですが、ここでやるとまずいのは、「私はあなたを応援しているんですよ」とは絶対に言ってはならないということでしょう。
 そういう姿勢を見せて取ったコメントで相手にマイナスになる記事を書いたとしたらば、相手に「あいつは嘘をついた」と思われてしまいます。これは最低ですね。

 それで僕もいろいろな手を使ったけれど、なんだかんだやったあげく、もし本当に相手との信頼関係を築きたいときには結構、正攻法が一番良いのでは。
 相手側が取材に前向きではなくて、かつ相手の話がどうしてもその取材に必要なときは、自分はどういう目的で、どう考えてこの取材をやっていて、なぜその人の話を聞くのが重要なのかを真正面から話すんですね。
 二〇年近くこの仕事をやってきて、結局最後に残った手はそれですよ。質の良いリソース(記事の材料)が欲しければ、取材対象者が心地よいことを話して、それで言ってくれるようなレベルのリソースは、量をたくさん集めることはできても、必ずしも質の高いものではないんです。
 調子のいいことを言って取ったリソースは、実は時間の時間の無駄ということが多いですよ。逆に、自分が取材をしたい意思が相手に伝わって、相手が必ずしも得するわけではないのに取材に応じてくれた場合、その人のリテラシー度が高いだけに、取材の内容もいいものになるはずです。


 取材対象者の中には「あんたに得になることを話してるんだから、こちらにもリターンしろ」とジャーナリストに迫る態度を持つ人も見かけます。でもジャーナリストの客は取材対象者ではなくて、あくまでも社会一般の人なので、こちらとしては誠意は尽くしますけど、「取材対象者はお客さんじゃないんだから、関係ない」としか言いようがないですよ。
 われわれは不誠実なことはしませんが、向こうが誤解しているのは僕のせいではない。「われわれの間には相互依存関係はないわけで、あなたには何の恩義も感じていないんですよ」というふうに一時間話しても仕方がないですからね。

 記者側の利益から考えれば、取材対象者との関係が悪くなるということは全然問題ではない。「あいつは汚い奴だ、嘘をついた」と思われるのは困ります。そこには一線があるのですが、「油断ならない記者だ」とか、「容赦がない記者だ」と言われるのは褒め言葉だと思うんです。僕らは記事をもってのみ評価されるわけですから、取材対象者との関係は二次的なものなんです。
 取材対象者に対しては、「汚い記者であったと思われなければいい」のですが、視聴者というのはそこまで甘くはないわけです。うそつきでないのは当然として、同時に情報がおいしくなければ買ってくれないわけですから。そこには市場原理があります。
 極言すると取材対象者に対しては、パブリックではなくて、舞台裏の基準があるわけ。舞台裏同士の関係であるから、パブリックとの間にあるものとは違う関係が必要なんです。そこで重要なのは、舞台裏の世界で「彼は汚い奴だ」とうわさが立ってしまうというのは非常に問題でしょう。そういう二つの基準を明確に持つ必要があるでしょうね。


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『慮る力』 お断り この本の目的は、純粋に「ビジネスマンの意識」について論じたものであり、いかなる商品・サービスの購入、団体への加入をも推奨するものではありません。また本書は、あらゆる商品・サービスの宣伝、宗教・政治など諸団体の活動とはまったく無関係です。この本は2001年に取材したものであり、内容が古くなっている可能性があります。

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