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『慮る力』講演会  質疑応答

人間、他人がいるから生き続けられる


男性 すいません、山梨の塩山から参りました。先生のお話大変よくわかって、自動車の運転の仕方から、上達すればそういう運転ができるということですし、人と接するときにもそのようにすればよいというので、お茶の世界で先ほど言われた言葉の中でも、私もお茶は余り知らないんですけれど、「余情残心」という言葉を使っていまして、これには大体その中で説明されて、このようなことだろうということはわかったんですけど。
 侘びはわびしい、寂びはさびしいということで理解しているんですけれども。そんなようなことで結局のところは、かなり私たちも視覚障害者としての達人になってさりげないサービスや、またそういうものを受けられるように努力していけばよいとは思うんですけれど、「余情残心」ということがらを、もう少しわかりやすく言っていただければうれしく思います。よろしくお願いします。

岡本 難しい言葉ですよね。でもこういうことなんです。茶事は一期一会ですから、そのときには全力を傾けるわけなんですけれど、お客さんが帰ったあとに、「ああ、もうちょっとこうしてあげたらよかったな」とか、「ああしてあげたらよかったな」というふうに思い残しが、やはりあるわけです、その部分です。思い残しというのは亭主の側の思い残しです。「もっとこうできたら」という、それがあるから、「じゃあ、次はもっとこういうふうに、よくしよう」というふうに思う向上心です。
 向上心があるから次がある、だから人間は生きることができるんだと。利休はこういう歌を引いています。

 花をのみを待つらん人に 山里の雪間の草の春を見やせば

 雪の間で一生懸命花を咲かせようとしている花があると、これをあの人に見せてあげたいという、そういう自然の絶え間ざる努力がある。それが、侘びなんだと。咲くまでに辛抱して咲かせようというそういう努力や、辛抱というのがわびの本質だというわけです。
 それで咲くときはさっと咲いて終わってしまうわけです。

 お茶によって花が咲くというのはどういうことかというと、亭主とお客さんの間で心が通い合う。それがきちっと一致したその瞬間の満足感。それを得るためにお茶をやっているということになるわけです。だから達人の茶事になると言葉はいらないんだそうです。
 言葉がない空間なんです。ただ、狭い茶室の中に入って言葉に出さなくても、コミュニケーションができているという、そういう状況になるんです。
 それは何か皆さんおわかりになるんじゃないかと思うんです。例えば好きな人と話しているとか、あるいはすごく集中して2人で話しているときというのは、周りが見えなくなって、お互い2人だけになってしまうという。心理学の言葉ではラポールがけというふうに言いますよね。
 人が2人いて架け橋がかかると。だから結局、こう物理的に「お茶をあげますよ」というのではなくて、「お茶を媒介にして心も通じ合いますよ」と、「それによってお客さんにもっと満足をしてもらいたいんです」と、いうのがお茶で追求していることだと思うんですけれど。

 ベストを尽くしても、それでも足りない、どこかが欠けている。私は最大限、相手のことを考えて準備して、茶事でも最大のもてなしをしたつもりなんだけれども、さらにもっとできるかもしれない。だから次に頑張る。相手がいるから自分はその日が終わっても、次の機会のために生き続けることができるんだ、ということです。人間なぜ生きてるんだといったら、そのためなんだという考え方だと思うんです。
 自分一人じゃ、やはり人間は生きられないというふうに言いかえることができると思います。
 相手に対する心の思い残しのことが「余情残心」という言葉なんじゃないかと僕は思うんです。だけど、僕はお茶の素人なんで専門家に言わせると違うことを言うかも知れません。わからないなりに僕が御家元の言葉から汲み取ったのは、そういうことなんです。よろしいでしょうか。

男性 ありがとうございました。よくわかりました。

 (この項終わり)

人間力とは、「大人になること」と見つけたり

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