慮る力
   

 

『慮る力』第1章 
ビジネスマンの「頭の中身」はどうなっているのか


ヘイ コンサルティング グループ代表取締役社長
田中滋 

「慮る力」を考える前提として、「人は仕事をする時に、どのような意識を使っているのか」を把握するために、あるモデルを使いたいと思います。
 これはヘイコンサルティングという世界的なネットワークを持つ人事コンサルティング会社が使っているもので、そもそもは一九六〇年代にハーバード大学のマクレランド教授が考えた心理学的モデルからスタートしています。何万人ものビジネスマンについて追跡調査を行った結果、「人は仕事をするときにどのような感情的な能力を使っているか」という構造をつい最近明らかにすることに成功しました。
 日本でも流行語になった「EQ」を書いたダニエル・ゴールマンがつくったモデルと言った方が親しみが持てる人が多いかもしれませんね。
 ヘイコンサルティングの日本における代表である田中滋さんに、「われわれが仕事上で使っている能力にはどのようなものがあるのか」についてわかりやすく解説していただきました。

 

「EQ」による対人影響モデル

 人間の持つ能力は三つの層に分かれています。

知識・技術

  ↓

IQ

(分析的思考力 概念的思考力 情報志向性)

  ↓

EQ

(自己認識 セルフ・マネジメント 対人理解 社会的スキル)


 一番表層にある知識やスキル・ノウハウというのは、外から他人が見ることができる能力であり、また後天的に後から身につけられる能力です。これをわれわれは、氷山のように水面の上に浮かんでいる能力だと考えています。
 でも、よい仕事をするためには、この水面の上に浮かんでいる能力よりもその下にある能力の方が影響力が大きいのです。
 その水面の下は、また大きく二つに分かれていて、より水面に近い方の能力をIQと呼び、さらにその下にある部分を「EQ」または「エモーショナル・インテリジェンス」と呼んでいます。
 IQというのは頭の回転の速さのこと(分析的思考力・概念的思考力・情報志向性)ですが、EQというのは感情(エモーション)とか意識の部分の能力で、IQよりEQの方が仕事の成果を上げるためにはより大きな影響力を持つという事実が発見されています。なぜなら、すべての人間の社会の中での行いは必ず対人関係になっているので、対人関係をうまくこなして業務を達成する能力はIQよりEQに比重があるからなのです。

 EQは四つの部分から成り立っていると考えられます。自己認識、対人理解、セルフ・マネジメント、社会的スキルです。
 対人関係をつくるときには、みんなこのような意識を持っているはずです。それはビジネスを行うときも同様です。

 

EQ

 

■自己認識 心の扉を開く
 まず最初に自己認識が大切です。
「自分にはどのようなことができて、相手から見たときにどのような役割があって、相手から見てどのような位置づけになるべきであるか」がちゃんとわかっていなければなりません(=自己評価力 )。そこが出発点であり、決して自己中心的であってはならないのが基本中の基本ですね。
「自分がやりたいこと、やらなければならないことは何か」を相手に対して考えるところからスタートするわけです。
「相手から見たときに自分は何を期待されているのか」「自分にできることは何か、できないことは何か」「できないことを改善しようとする、またはできないことを笑い飛ばすことができる」(=自己相対化)


■対人理解 相手の心を感じ取る
 そのように自分がわかっていれば、次に相手に目を向けられるようになるはずです。
 対人関係に優れた人は、いったん自分の視線の矢印がまずは自分に向かい(つまりしっかり自己認識して)、その結果初めて他人が見えてきます。そうすると、相手の人が「何をしてほしいと思っている」のか、「何をしたい」のか、「相手はどのような役割を担っているのか」、「自分のことをどのように考えて動いているのか」が見えてきます。そのようにして客の心を感じ取ることができるのです(=共感)。
 反対に、自己中心的で自分の価値観が先に立つ人は、「それを伝えたい」としか頭にないわけで、そうすると「相手がどう思うか」に興味がわきません。
「相手のためになりたい、サービスしてあげたい」という気持ち(=サービス志向性)は、人間の根源的な動機として「相手といい関係をつくりたい、仲間になりたい」という欲求や動機から来ているものでしょう。「相手に気に入られたい、喜んでもらいたい」気持ちからスタートすれば、相手のニーズを知りたいと思うし、それでこそ相手の望みを発見できるし、それを満たしてやろうと考えられるわけです。
 また、相手だけに対して共感するだけではなく、相手の組織全体を理解する能力があれば、先方の力関係や相手の立場もさらによく理解することができます(=組織感覚力)。

■セルフ・マネジメント 心の舵を取る
 その相手に対して行動を起こすわけですが、その時の自分の心の動き方をコントロールするのがセルフ・マネジメントです。
 相手の行動や立場を理解したとしても、人によってそれに対する反応はさまざまです。運転のマナーが悪い人を見つけた時に、ある人は「カーッ」とするでしょうし、またある人は「ああいう車には近づかずに回避しよう」と考えます。回避行動を取る人はセルフコントロール(自制)力や先見性の能力があるわけです。
 相手を理解した上で、それに合った自分の行動の方向性をセルフ・マネジメントをしながら決めていくわけです。自分の行動パターンを前提にして、さらに相手の理解が進むような相互関係が「対人理解」と「セルフ・マネジメント」の間にはあると思います。
 セルフ・マネジメントのパターンとしては、そのほかに、「他人から見て一貫して筋道が通った対応をすることができる」(=一貫性)とか、「押してもだめなら引いてみな」と二つ以上の選択肢を持っていていつでも乗り換える柔軟性がある」(=適応力)とか、標準的に求められている仕事よりも高いレベルの仕事をして達成感を得たい」と思う傾向(=達成志向性)とか、「問題に対してあらかじめ手を打っていく」先見性などがあります。

■社会的スキル 行動を起こし相手と関係する
 これらに基づいて、人は何らかの行動を起こそうとするのですが、その結果としての行動は、「相手にインパクトを与える」(=対人影響力)ものであったり、「コミュニケーションを円滑にはかる」(=コミュニケーション力)であったり、「うまく相手と関係をつくる」(=関係構築力)「利害を調整する」(=利害調整力)などの形になります。行動は、具体的なその人の仕事の内容によって規定されてくることでしょう。
 ただしそうした行動はすべて、対人理解とセルフ・マネジメントによって支えられているということが重要なのです。
 世の中によくあるのは、この二つの能力に支えられることなく対人影響だけ行おうとする人です。こわもてタイプの上司や政治家というのはそうした間違いを犯しているでしょう。権力動機はあるのですが、声を荒げたりする表面的な社会的スキルで相手を動かそうとするわけです。
 利害調整をしようとしていろいろなところを飛び回るけど、結局だれからも相手にされないという人もよく見かけます。相手に対するスキルだけを行使しようとしても、「この人は自分自身のことを個人として理解してくれていないな」ということは相手にはすぐわかりますし、大きな声を出しても相手からは「ばかばかしい、子供じみた人だな」と思われるだけです。
「お客さんはいま何に悩んでいるのか」とか、「この人は何が好きなのか」と考えずに、ただ自分がつくりたいものや、つくりやすいもの提供するというのでは、そもそも最初から相手にならないし、お客さんに嫌がられてしまうことすらあるのです。

 

 

 ノウハウ本をいくら真似してもダメな理由

 つまり、社会的なスキルだけを高めようとして幾ら本を読んで、そこに出てくる事例やノウハウをうわべだけまねても、対人理解とセルフ・マネジメント、そして大本の自己認識ができていなければうまくいくはずはありません。
 仕事というものは、相手を動かすことによって初めてうまくいくわけですから、そのためにはこれらのおのおの支え合っている能力が不可欠なのです。
 以上の「能力」は、あくまでもその人が持っている潜在的な能力を表しています。しかし潜在的能力というのは、その実体を目で見ることはできませんから、行動を通じて発現したものを捉えるしかありません。しかしそれが意味しているのは、「こういう行動と同じ行動ができればよい」という話ではまったくないのです。
 もちろん、タイピングの能力が速いとか、マニュアルどおりにサービスできるといった、知識や技術から直接、お客さんにサービスをする仕事もあるかもしれません。そういう仕事は付加価値が低かったり、もしくはスポーツ選手やオペラ歌手のように超人的な能力を持つ場合でしょう。あるいは世間ずれした学者の場合は、IQから直接仕事をしているケースもあるかもしれません。
 マニュアル通りのサービスの場合は、確かに対人的なサービスを提供していますが、社会的な広がりに欠けることがあると思います。マニュアルに書いてあるのは教えることのできる「単なる行動」であって、その人自身の能力ではありません。本当に相手の心を動かすことができるのは、感情や感覚を使って相手との間につくる関係なのです。

 

 これが顧客志向性やホスピタリティーの根元だ

 わかりやすくて非常にすっきりしたコンセプトだと思います。
 これらの「能力」は各々独立した変数ですが、例えば「誠実性」と「利害調整力」のように密接に結びついている能力もあるようです。
 こうしたEQの構造は、長年にわたる追跡調査の結果、一九九九年ごろ解明されたのですが、さらに研究が進めば、これらの項目に多少の変化があるかもしれません。

 理解しておきたいのは、人が仕事を通して相手に働きかけるときに使う意識の能力というのは、自分の仕事についての知識やスキルと、IQで測ることができる「頭の良さ」とは別のものだということです。
 そして、意識の上では、まず「自分の仕事は何なのか」はっきりと認識するところからスタートして、次に相手が何をしたいのかをよく考えること=対人理解、
 ならびに自分の行動を意識的にきちんとコントロールできること=セルフ・マネジメント、
 この二つが同時に働いて、相手に影響を与えたり、人間関係をつくる行動や仕事ができるというステップになっているわけです。そのときに使っている能力は図の中にある二〇個の能力ですべて言い尽くされているそうです。
 この本では、この考え方に従って、よい仕事をしている異分野のプロフェッショナルたちにインタビューを行い、まず彼らがどのようにして顧客志向性やホスピタリティーを発揮しているかを明らかにし、そこからどのように相手を理解し合い、満足させる仕事をしているのかという「慮る力」を解き明かそうと考えました。

「いや、自分の仕事は単純だから、そんな難しい話とは関係ないよと思われる方もいらっしゃるかもしれません。ところが、どんな種類の仕事でも、良い仕事をしようとするならば、能力の使い方はこのモデルの構造から無縁ではあり得ないと思います。
 それをよく理解するためには、自動車の運転を考えるとわかりやすいのではないでしょうか。

 

 


copyright(c) by Shinya Okamoto, all rights reserved
nin-r