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『慮る力』講演会

「余情残心」 
利己心の追求には意味がない


 こう考えたいと思うんです。皆さんの中で仕事をされている方がいらっしゃると思うんですけど、仕事というのは何なのかというと、さっき言ったように相手があります。でも相手はまたその仕事を通して他の人につながっているわけです。
 その人はまた他の人に仕事を通してつながっている、つまり自分は仕事をすることによって世界全体につながっているということが言えると思うんです。そうすると仕事をすることによって、人間は世界全体に働きかけることができるかも知れないわけです。実際にそれをやっている人はいます。例えばビル・ゲイツというおじさんは自分がパソコンの基本ソフトをつくることによって、世界中のほとんどのパソコン、僕はMACを使っているんですけど、MACやUNIX以外のほとんどのパソコンを一時期は支配することができたわけです。
 支配と言ったら言い方が悪いけど、それによって多くの人の生活を便利にしたんだとするならば、彼はそうやって世界の人たちにつながることができたわけです。
 インターネットのホームページをつくれば一応理論的には世界中からアクセスできるわけですし、そうして、外から世界につながることもできる。逆に内側から行くとすると、自分自身の心をコントロールしたり、あるいは深く探求していくことによって、座禅を組むことによってと言ってもいいかも知れませんけど、そこからまた世界につながっていくことができるかもしれません。



 相手を考えるというのはどういうことなのかというと、そうですね、お茶の世界で「余情残心」という言葉があるんです。これどういうことかというと、茶事が終わってお客さんを見送った後で、その残りの湯で亭主が自分でお茶をたてて飲んで、きょうはもうちょっとあそこをよくすればよかったなとか、もっとこういうふうにすることができたのにというふうに考える。それは何なのかというとお茶が終わった後でも、なおかつお客さんのことを考えているという、そういう態度が「余情残心」なんです。
 じゃ、一体お茶の席で追求しているものは何なのか、というとお客さんとの間で心の通い合いが一致する、そういう満足感を求めているわけです。
 しかしそれはやっぱりどんなお茶事でも、もっとこうすればよかったのにと思うところがある。そういうふうに考えて採点して90点だったな、次は何とか95点を目指そうと。じゃ次回はそこを直そうということです。
 満足感は何なのかというと自分が「無」になったら、相手が満足してもらって初めて点数が高くなるわけです。相手が満足して初めてこちらが満足するわけですから、そういうところを深く考えると、自分の利己心を追求するということにどれだけ意味があるんでしょうかね。実は利己心の追求には意味がないわけです。
 自分が「無」になったら、相手が満足してもらって初めて点数が高くなるわけですから。
 千宗室さんが言っていましたけれども、満点ということはないそうです。だからあの年になってもまだ満足はない。だからさらに先がある。それをなんとか続けて行きたい。それが「余情残心」という言葉だし、「侘び」というものなんです。そういうふうに相手の満足をどんとん追及していく、飽くなき姿勢を人間はどんな人でも持つべきだと僕は思うんです。

人間力とは、「大人になること」と見つけたり

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