仙波敏郎愛媛県警巡査部長に聞く「警察裏金告発の行方」

仙波敏郎 愛媛県警巡査部長に聞く「裏金告発の行方」

妻は救急車を呼ぶことができなかった

愛媛県警巡査部長
仙波敏郎 氏  

仙波  僕は心を決めました。
 「わかった。プレッシャーはものすごくかかるだろうけれど、仕事を続ける。お前らも生きていけよ」。女房には、「僕は、この2人のために仕事を続ける」と言うと、「あなたが決めたことであれば私は従います」と。
 そういうことを事件の起きた夜に決めたわけです。
 だけど、ばったり会った上司からは「仙波君、(次の)仕事は決まったのかい?」なんて皮肉を言われましたけどね。
 「仙波君、大変だったね」なんて言葉はなかったです。開口一番「仕事は決まったのかい?」ですからね。その上司は、私がやった仕事のおかげで、部内で高い評価を受けた男だったんですけれど。
 世間でも部内でも、「僕は絶対辞めるだろう」と思っていたでしょうね。
 だけどそれどころじゃなくて、息子のことがなかったら、僕は自決していたと思いますね。

運営者  それで、そのあと奥様が倒れられたそうですが。

妻は救急車を呼ぶことができなかった仙波  その当時、僕は鉄道警察隊に配置換えになってまして、泊まり勤務だったんです。
 勤務中に僕に「帰ってくれ」なんて連絡をすると迷惑がかかると思うようなタイプの女房でしたからね。夜中の3時くらいに激痛で目が覚めたらしいのですが、救急車を呼ぶことができなかった。消防に電話するわけにはいかないと考えたんです、息子が事件を起こしたわけですから。
 それで自分で車を運転して病院にいこうとしたらしいのですが、3時間くらい玄関先に倒れて苦痛に苦しんでいたそうです。
 やっと激痛がおさまった朝になって、自分で病院に行ったようです。僕の勤務が終わる9時ちょうどに病院から電話がかかってきました。
 珍しいなと思って電話に出て、「何かあったのか」と聞くと、「ちょっと具合いが悪くなって、入院しなければならないと医師に言われたので、悪いけど身の回りのものを病院に持ってきてくれない?」と言われたので鉄警隊から病院に駆けつけたら、婦長に呼ばれて「奥さんはガンです。それも末期ガンです。もう手の施しようがありません」
 夏だったんですけどね、そのとき急に雨が降りだしました。
 死の宣告を受けたことを隠して、女房に「何で救急車呼ばなかったのか。僕に電話しなかったのか?」と聞いたら、「両方とも、できないでしょ」とね。それは僕も理解できますが、かわいそうでしたよね、救急車呼べないんですから。
 それから1年後に他界しました。

運営者  奥様は、息子さんが故意に殺人を犯したのでないことを固く信じていたけど、二度と息子さんの顔を見ないまま逝かれてしまったんですね・・・。。
 話を変えますが、平成17年の1月20日に記者会見をして県警の裏金づくりを告発された後のお話を伺いたいのですが、その後、仙波さんに対して同僚はどのように反応しましたか?
 拳銃を取り上げられて、会見の4日後に地域課通信指令室への配置換え内示。27日に人事異動が発令されたんですよね。

仙波  警察用語では、手元管理というんですがね、自分たちが一番管理しやすいところに異動させる事を。拳銃を取り上げ、それを理由に一番管理しやすい場所、つまり通信指令室に移動させるということをした。
 国倍訴訟の一審判決で僕は完全勝訴し、今は高裁で争っているところですが、勝訴判決の唯一の欠点は、拳銃の取り上げは不当とまではいえないとしていることなんです。一連のものなんですがね・・。そこに500日間、《幽閉》されましたね。仕事はほとんどありませんでした。

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