仙波敏郎愛媛県警巡査部長に聞く「警察裏金告発の行方」

仙波敏郎 愛媛県警巡査部長に聞く「裏金告発の行方」

真の優しさを持つ


岡本呻也

 僕は東さんはとっても優しい人だったと思うんです。外見からはなかなかそう見えなかったかもしれませんが。
 東さんが持っていたのは、まやかしでない、真の優しさです。「弱者を大切にしましょう」なんてのは、本当のやさしさではないと思います。東さんは、世の中すべてを見通したうえで、本当の優しさを発揮していたと思うんです。

 優しさには、よい点もあれば、よくないこともあったと思います。彼が問題を記事にするかどうか、筆誅を加えるかどうかを決めるスタンスに以下のようなものがあります。
 反省していたら記事にしない。
 深々と頭を下げて謝っている人間をこれ以上苦しめることは僕の主義に反している。
 惻隠の情と言いますが、記者も円熟してくるとそのように考えるようになるのかなとも思うのですが、やっぱり東さんは根本のところで優しかった、万人に対する愛を持っていたのではないかと思います。

東玲治 昭和58年5月に自衛官による看護婦誘拐事件が起きました、このとき愛媛県初の報道協定が結ばれました。
 報道協定というのは、被害者の安全のために報道は見合わせるが、事件の展開については逐一記者会見を開いて記者には知らせるというものです。しかし県警が初めて記者会見を開いたのは、事件解決の後のことでした。
 東さんは怒りました。そして、本部長に文句を言いに行ったんです。そしたら本部長は自分の部屋に閉じこもってしまいました。東さんは、本部長室のドアを蹴ったので、側近の部長に「そんなことしたら逮捕するぞ」と脅されたんだそうです。その時彼はこう言いました。
 「そうか、逮捕してみろ。知らん思とるんか。毎月各部から金を捻出させて、飲み歩いてるのを。横領にはなりゃせんのかい」
 この時彼は、警察の裏金の問題を出しているわけです。このとき本当に書くつもりだったらしいです。実際、その時の本部長は大変ひどい人物だったらしくて、東さんは腹を据えかねていたらしい。
 そしたら刑事部長が出てきて、「分かった。今回のことは、本部長が悪い。しかし裏金のことを書かれたら、警察全体の名誉が失われてしまう。だから勘弁してくれ」と頭を下げて謝ったんだそうです。それを聞いて東さんは、
「この刑事部長は、真剣に警察の名誉を考えている。書かずおいてやろう」と考えて、その後警察に出入りしなくなったのだそうです。この時もし、東さんが警察の裏金の問題に手をつけていたら、またこれは話がどうなったか分からないですよね。

 それは彼の優しさが招いた結論だったわけです。しかしその優しさは、ジャーナリストにとって絶対に必要なものでもあるんです。

 東さんはこうも書いています。
 薄っぺらな功名心に駆られて、僕を支えている人たちを裏切ることはできない。
 地方のメディアのひとつのむつかしさとして、ずっと同じ人たちと付き合っていかなければならないということがあります。中央であれば、問題を発見して、深く取材して、大きく取り上げた後、2度と取り上げないというような、ヒット&アウエイもできますが、地方ではそれができないんです。東さんはそれも踏まえてやっていたわけです。
 ましてや、東さんは雑誌の経営者ですから、その苦労は並大抵ではなかったと思います。普通の記者が東さんのようなまともな雑誌をやろうと思っても、とうてい成り立たないでしょう。

 東さんの優しさは、いろいろなところに発揮されています。
 県内外に一大企業グループを作った坪内寿夫は会社を失って落魄するわけですが、平成4年秋勲二等瑞宝章を受賞しました。その受章祝賀会が平成5年春、ホテル奥道後で開かれたのですが、このパーティーの肝煎りは東さんだったんですね。もう誰も病院で暮らしていた坪内のことを気にしなくなった後の話ですよ。

 それから、日本画の福田平八郎の収集家の、新県立美術館への寄附についての絵画疑惑。
 福田平八郎のまとまったコレクションを、名古屋にいる県人の表装家が持っていったわけですが、彼はコレクションをまとめて新しくできる県立美術館に寄贈し、「一部分は相続税対策のために買い取ってもらいたい、そして一緒に飾ってもらいたい」と求めたわけです。
 ところが話の間に立った愛媛県議会議員は空手形を切って、愛媛県は寄附は受けたものの買い取りを拒否してしまいました。おまけに、知事と間に立った県議と知事は、御礼としてコレクションの一部をもらっていたという疑惑です。この話を耳にした東さんは、名古屋にその県人の表装家を5-6度訪ね、記事にして問題の解決を図りました。問題が解決して無事に福田平八郎の展観が行われ、それを見るために表装家が来県した際は二度とも東さんが車いすを押してアテンドしたのだそうです。
 東さんは、愛媛の権力者たちのダメダメな部分を尻ぬぐいしてやっているようにも見えます。彼はその表装家の人物を見て、気持ちが通じ合っていたのだと思います。

 愛媛県同和対策協議会の新居浜支部会員除名問題というのもありました。
 愛媛県では、同和対策事業について県と同和団体が一緒に協議会を作っていて、それによって県政は同和団体の脅威を取り除いていた。それどころか革新市長への攻撃を使嗾していた。そうした構造の中で、新居浜支部の役員2名が不当に除名され人権侵害を受けているという話を、東さんは果敢に記事にしました。
 彼は、権力に対して物おじすることが決してなかったように、こうした問題についても背中を見せることはなかったわけです。そこにも僕は東さんの優しさに裏打ちされた強さを見ることができると思います。

 こうした東さんの優しさは、枚挙にいとまがありません。私自身も、いろいろな局面でそれを感じてきました。その極めつけは、やはり県警本部通信指令室に不当配転された仙波さんが、県警の食堂で昼食をとることができないので、仙波さんを500日間送迎したということになるでしょう。
 重信から県警本部まで10キロ以上の道のりを毎日車でやってきて、しかも本人は昼飯を食べない主義なので、コーヒーをチビチビ飲むというのを500日間続けた、これは得難い友情だと思います。
 これは東さんの御人柄を語る上では一番のエピソードだと思います。

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