あのころはまだ「正義」があった

桜内ふみき 氏  


運営者 ぼくもね、別に会社を辞めずに雑誌を作り続けていても何の問題もなかったんです。でも、「より次元の高いものを作りたい」と思ったから辞めたということはあると思うんですね。もっと言うなら、「これでは読者をだましている!」と思っていた。だから今僕が発表している本は、非常に満足できるレベルのものになっています。これは僕にとっては非常に大きな収穫だと思うんです。
 しかし、僕はあの映画を、仕事が終わった後に会社から観に行ったんですけど、あのころはまだ役所やメディアの仕事にも「正義」があったような気がする。少なくとも残滓はあった。残り香を嗅ぐことができたという感じがしますが。それは僕の幻想でしょうかねぇ。

桜内  それは、やっぱり変わった部分はあるかもしれませんね。残念というか、なんというか。時代の流れでしょうかね。

運営者 時代の流れに対応できなかったのではないでしょうか。だとしたらそれは罪ではないでしょうか。昔は日本って、もっとまともな国だったような気がするんです。

桜内  そう思いますね。

運営者 ではなぜ、ここまで役人の不正が横行するようになったのか。企業はまともに収益をあげようととせず、ほとんどその努力を放棄してしまっているのか。
 僕が高校を出る時点で、日本の国債発行残高は168兆円だったんです。昭和50年以来ずっと国債は積み上がってきている。

桜内  財政規律が失われたということもあるでしょうが、やっぱりミッションが失われたんでしょうね。われわれも「アンタッチャブル」をやっていた時代は気が楽だったですよ。ミッションがはっきりしていたし。

あのころはまだ「正義」があった運営者 ですけどね、できる経営者の本には必ず書いてありますけど、適切なミッションを与えれば人は働くんですよ。付和雷同でその場の空気に流されていくのではなく、自分自身でそのミッションを選びとらなければ、それは動機にはならないし、自分の実力を発揮することにはならないと思うんです。自己投企というやつですね。
 もしリーダーが与えるミッションが間違っていれば、「それは違う」と否定できなければならないと思います。
 もし個人が、自分の理念に従ってカイシャに参加し、上司の命令でも理念に反することがあったら、自分の信じるところに従ってモノを言うべきなんです。そういう個人が組織の中に何人かいれば、日本経済はこんな惨めなことにならずにすんだのではないでしょうか。
 そういう部下がいなければ、上司の方だってダメになってしまうんです。だいたい下の人間に何か言われたからってムッとするようでは、リーダーの資格はないんです。
 「アンタッチャブル」に戻るとですね、人間にとって使命感とは大切なものだということを描いていたと思うんです。ハリウッド映画って単純ですからね。

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