旧日本型組織では、新しい「知」など無用の長物

中林美恵子氏


 運営者 日本であれば、どうやって対立に決着をつけるかというと、メンツとか数の力なんですよ。
 各党の主張が決まっていたとしても、それを闘わせるときに使うのが言葉であり、「知」であるということは、日本の国会のみならず、多くの組織の意思決定の場では、ないことなんですね。

 日本では、会議の場では発言してはならないことになっているんです。会議というのはただそこに顔を並べている場なんです。その機能は、責任の所在を分からなくしてしまうことにあります。結論というのは、もうすでに会議を始める前に出来上がっているものなんです。それは日本の国会を思い浮かべていただければ明らかですよね。法律はすでに国会の外で作られているわけですから。別に委員会で法律を作るわけではない。まあ、センセイ方が無理に条文を押し込んだり、重要な省庁間の対立点が、国会を場外乱闘の場として織り込まれると言うことはあるでしょうが。

 ですから中林さんのお話のように、議会を、議員が各人の主張と対立点を明らかにしたり、外部からの知恵を呼び込んできたり、最も良い意見を取り上げる場にするとか、間違いを少なくするチェック機能を持たせるとか、そのような機能は日本における会議にはないんです。
 そうするとね、日本の国会議員はこの話を聞けば、国対政治以外の、そうでない意思決定の仕方や、合議の方法があるという事実自体に驚きを覚えると思いますよ。そのようなシステムがアメリカの議会で実際に行われていて、ちゃんと機能しているというのは、全く驚くべきことですよ。
 ホントにそんなことやってるんですか?

 中林  私は、日本の方のことは経験もなくよく知らないので、それ以外にどのような方法があるのか分からないんですけれど。

 運営者 いえいえ、日本はまた日本で、別の意思決定の洗練された方法を持ってるんですよ。
 それは基本的には、「無理が通れば道理が引っ込む」ということですね、単純化して言うと。その時に力を持っている人間同士の力関係や寝業で物事は決まるんです。それは密室の中ですべて行われるプロセスです。
 旧日本社会の人間関係はすべて支配=従属関係で決まっていますから、支配側に立っている人間の言うことは、どんな理不尽なことでもすべて正しいことなんです。
 だから、そういう環境下では組織的な「知」を作る意味がありません。そんなこと考えもしませんよ。その必要を感じないんです。ななぜなら新しい「知」を作ると、既得権を持つ支配側に立っている人間が損をすることになるからです。

 さっき中林さんは、新しい「知」を得るのが楽しいとおっしゃいたましたよね。しかしほとんどの日本人は、そうは考えていませんよ。

 中林  しかし私がいた環境では、「知」を得た方が勝つものなんですけれど。

 運営者 それはアメリカだけでなく、世界中どこでも、本来はそうだと思いますよ。状況変化にいち早く気がついて、そこに対処した人間が勝つに決まっているわけですから。
 しかし日本では「組織秩序の安定がまず第一」なんです。それが目標になっていますから。だからその組織自体の地位や権威、パフォーマンスが、社会全体の中でどのように上下しようとも、それはたいした問題とはみなされないんです。
 つまりたいていの組織は、組織目標が違ったところに設定されているわけです。新しい「知」というのは、知らなかったことにしておいた方がだいたい都合がいい。「知」をつくってはならないんです。

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