「責任を問わない社会」の奇跡

中林美恵子氏


 中林  それからアメリカには大統領選挙という、一年以上かけて戦う選挙があって、政治家は「何を国家政策とするか」を継続して国民にアピールできます。そして国民たちはそれを厳しい態度で聞くという習慣があります。一年間で重要な課題について議論を尽くし、表面的なことだけでなくて各論にまで突っ込めるのが、長い選挙戦の利点です。
 日本にはそういう選挙戦ってないですから市民として残念です。

 運営者 日本ではその点どうなっているかというと、解散してから総選挙まで最長でも40日間ですよね。それで2週間の運動期間の直前までに、とにかく各党は選挙公約を作るわけです。でもその公約は、経産省や財務省の役人が全政党に同じものを、多少その政党向けに文言を変えて持ち込んでいたりするわけです(笑)。

 中林  そこまで無茶苦茶だとしたら、民主主義というより何だか専制主義ですね。そして更にその公約や立法作業について責任を取る人物の姿がはっきりしないというところが、更にすごいですね。

 運営者 そもそも、この社会では人の責任は問うてはいけないわけです。責任を問うということは、その人のメンツをつぶすことになりますから。だからどんなでたらめでもまかり通ってしまうんです。

 中林  それでよくこんなに、経済成長しましたね。

 運営者 それはまあ、高度経済成長当時の、冷戦下の地政学的状況という、ある種環境に依存する要因が大きかったでしょうね。

 中林  単にラッキーだったということですか。

 運営者 それプラス、国民性も大量生産型の工業化社会に向いていたということでしょうね。
 非常に勤勉で協調的な性格、手先の器用さ、学習の程度も均一だったし。そしてなにより「規模の利益」を追求することが大きな意味を持つ時代だったことがあると思います。工業化というのは、工場の運営レベルのマネジメントしか必要とされませんから。スケールメリットだけを追求していけばいい経営ですから。とにかく一方向にどんどん進めばいいだけだったので、戦略性は必要なかったんです。頭を使う必要がないという状況が20年間くらい続いたんですね。だからラッキーなことにどーんと成長することができたんですよ。だけど現在の競争というのは、選択と集中で特化し、製造は外部委託するという世界ですからスケールメリット以外の戦略が必要ですね。そうするとアメリカの今の花型企業というのは、マイクロソフトとかデルとかTIとか、新しい会社ばかりですよね。ところが日本のメーカーは古い会社ばかりで、みんな過去の遺産を引きずっている。
 経済成長すれば生活水準も上がり、すべてのコストが上昇しました。特に日本の産業金融は土地担保に依存していたので、地価は異常に高くなっていきましたね。

 でも企業は、コストに見合った付加価値生産性を上げなければならないわけです。労働分配率を見てみると、大手電機メーカーの場合去年は120%だったというんですね。つまり、一年間企業が操業して産み出した付加価値よりも、従業員に払った給料の方が多いということなんです。産業全体でも80%ですから。何のために働いているのかわからないし、それ以上に株主の取り分がないわけですから、これは資本主義じゃないですよ。
 そうすると、株主にしてみればいったい何をやっているのか分かりませんよね。

 中林  働かずに、しばらく寝てて頂いたほうがいいんじゃないですか。だって人間、「3年寝ていろ」と言われたら、やっぱり何か考え始めますよ。人件費が儲けを上回って何のために忙しく働いているのか分からない状態になったら、「ぐっすり寝てみて下さい」と言い渡す方が、双方のためでしょう。

 運営者 それはまったく合理的な発想だと思いますね。
 ところがみんな、カイシャは好きなんですよ。カイシャは自分たちの居場所ですからね。だから取り上げられると怒るんです。
 そうかといってちゃんと働くかというと、そうではないんです。そこがおもしろいところでしてね(笑)。

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