霞ヶ関は、行政府兼立法府である

中林美恵子氏


 中林  財政上も競争がありますし、議員は国民に対する説明責任を持っています。
 たとえば行政府が責任ある仕事をしているかどうかを、国民の代表として選ばれてきた彼らが監督・指導する義務があります。ウォーターゲート事件にしても、ロッキード事件にしても、立法府は行政府の腐敗を指摘し、行政府に歯向かいながらも国民の利益を代表しようとする側面が実際にあります。
 行政の評価を行う監督責任も議会にはあります。ただし実行の時間的余裕が常にあるかは別問題ですけれど。少なくともそれを目指してはいます。

 運営者 日本の国会にもまったく同じ機能が、求められているはずだと思います。議院内閣制ですから若干の違いはあるとは思いますが。
 例えば、今回の外務省の不祥事のようなことが、もしかりにアメリカであったとするならば、つまりある特定の議員が行政府に対して恣意的な影響力を長期間にわたって行使していた、その構造の中でいくつかの違法行為が行われていたという話なんですが、こういう事例はアメリカでも考えられるでしょうか、
 またもしそういうことがあった場合、議会はどのようにこれに対処するでしょうか。

 中林  議員が行政府のキャリア職員と過度に結びつくということはアメリカではあまり考えられないと思います。実務の面で行政府と立法府は役割の違いが大きいですし、例えば議会スタッフが法案の作成作業を行政府キャリアと一緒にする例は(政党が同じなら情報の交換はしますが)まずあり得ません。行政府職員は大統領に仕えるスタッフですから、議員と一緒に仕事がしたければ、ノウハウを持ったまま議会スタッフへと転職してしまうでしょう。

 運営者 まず、日本では行政府が立法を行っているということについてはどう考えられますか。日本では役所が法律を作っているということです。

 中林  とんでもないですよ、透明性という観点からすると。法律を執行する側と法律を書く側が同一なのですから。説明責任回避の素晴らしい構造だと思いますね。まさに効率の良いシステムと言えますが、急がば廻れ、日本が将来も民主主義を発展させ続けるつもりなら、透明性を確保せねば高いレベルの国民を育てることもままなりません。

 運営者 なぜこのような構造がわが国において発達したのかそのプロセスは私もよく知らないのですが、内閣には憲法解釈上(憲法は国会が「唯一の立法機関」としており、行政府の立法権は明記していない)、および内閣法5条により法律の提出権が認められていることになってますね。それが一応の根拠でしょう。
 ところが、ご存じの通り議員立法の数というのはものすごく少ない(86年~95年の成立法案の合計で134/1087件、12%)。ほとんどが省庁が作った法律を内閣が提出しているものばかりです。
 ではどのようにして法律が作られているかというと、その作成に携わる人の数はものすごく少ないと思いますね。省庁の担当課の中で、ガッコーを出て採用されてすぐの課員と、その上の課長補佐と、課長と、局長という感じでせいぜい5,6人の頭の中からひねり出してきたものであったりします。その法律が国会に提出されてしまう。「だから官僚はやりがいがある」とか「だから官僚は偉いんだ」と勘違いしている人が多いのが困りものなのですが。

 中林  ですから霞ヶ関というのは、行政府ではなくて立法府だと思いますね。

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