「文化」とは何なのか分析的に考えよう

中林美恵子氏

 運営者 「制度」には、それを支えている人々の意識や認識も含まれるということですね。ということは制度研究というのはかなり難しいことになりますね。

 中林  そうですね。法律やルールに書かれていない「制度」の部分は何なのかというと、それは文化ということになってしまうでしょう。
 アメリカにだって、「ルールはこのようになっています、しかしそれは、法律に書かれた通りには進んでいない」ということはいっぱいあります。それを動かしている土台は、議員や国民が今までに脈々と仕事をしてきて積み重ねてきた暗黙の了解ともいえる認識ですね。それを「制度」として折り込んで考えなければ、物事の決まる仕組みや動く様子は理解しきれないです。

 運営者 みんなが共通に認識していて、「こっちだ」と思うからそちらの方向に動くわけですからね。

 中林  だから、みんなの認識についても「制度」として考えるしかないんじゃないでしょうか。

 運営者 ということは、アメリカの議会の話をうかがうにしても、その運用を通して、アメリカ人と日本人が持っている文化や認識の差をうかがうということになりますね。

 中林  それから、そういう部分を「文化」や「認識」の差というふうに一括りにしてしまわずに、分解して考えることが大切だと思います。そうすればもっとよく理解できるし、もっとよく説明できるはずです。「わが国の文化だから」と言ってしまった瞬間にそれで思考が停止してしまいますからね。もうそれ上は話が進まないないし、考えが進みません。
 でも実は、そんなところで思考を停止する必要はなくて、文化についてももっと細かく考えたり、理屈付けすることは十分可能なはずです。

 運営者 コメの輸入反対の時に、「米は日本固有の文化だから」というわけのわからない理屈が大手を振って罷り通ったわけです。米は食糧であり、経済的に扱うべき対象でしょうに。
 アメリカ人でも文化という実体のあいまいなものを盾にしてそういう反対を叫ぶ人はいるんでしょうか?

 中林  策略として使おうという手は存在するでしょうが、一般的にはあまりそういう人はいないでしょうね、なぜならアメリカでは「文化の差」だけでは説明にならないと思われているからです。

 運営者 そうでしょうね、しかし日本では文化の差は十分な説明原理になると認識されています。どうしてかというと、まず「われわれは特殊である」と信じ込んでいる。特殊でない人間なんかいないんですけどね(笑)。そして「日本人の中では大体同じようなものの考え方をしているだろう」という思い込みがあるからです。そういう共通の誤解がありますね。個体差とか、個体認識がされていないんです。「ウイ・ジャパニーズ」ですから。

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