コーチングは日本の「やる気」を呼び起こすか

相手の人となりを心で感じ、心で褒める  コーチングは日本の「やる気」を呼び起こすか

本間正人氏  



本間  ぼくは、「目で褒めるんです、心で褒めるんです、口は最後に使うんです」と言っています。どんなに包丁さばきがうまい料理人でも、材料が悪ければ料理はできませんよね。その材料の仕込みというのが観察なんです。

運営者 逆に言うと、相手をよく観察せずに一緒に仕事をしたり話し合ったりしていることが多いということになっちゃいますね。そんなことでは上司が部下をどのように適材適所に置くかというのもできないじゃないですか。

本間  観察の重要性についても、3つか4つのエクササイズを使って研修で理解してもらうようにしています。

運営者 それをやって初めて、「相手をよく見ておかなければならないんだ」ということが理解できるわけですね。しかしそんなことでは、マネージャーとしての点数は高くはならないですねぇ・・・。

運営者 それから、コーチをする側は、すでに自分の心の中に選択肢を持っているわけですが、それに固執してはならないということがありますよね。それは、『慮る力』の最後に書いたような、「自分を無にする」ということにつながっているような気がするんです。
 つまり「自分が自分自身でありながら、自分の立場から一歩離れて、客観的に相手と自分との関係を見る」ということです。そのように自己相対化を行うことによって、自分の習慣で判断したり行動したりすることがなくなると思います。そしてこれは相手とコミュニケーションを行うときに、大人でなければ備えていなければならない能力だと思います。
 そんな簡単なことも、社会を構成している人間でありながら身についていない人が多いのかと思うと、すごく残念だし恐ろしいことだなという気がします。

本間  "人"と"事"とを分けられない人、つまり「オレの提案はオレが言ってるんだから正しいんだ」になってしまう人って結構多いですよね。

運営者 自分の意見を否定されると、自分の人格自体を否定されたように感じるわけです。しかしどうしてそうなのでしょう。なぜ自分の意見と自分自身の人格を分けて考えることができないのでしょうか。

本間  1つの仮説としては、日本語は主語を明らかにしないということが考えられます。意見を聞かれたときに、「どうかなぁ」というと、提案に対して「どうかな」と疑問に感じているのか、その本人が悩んでいるだけなのか、よくわからないですよね。

運営者 ですから、主語をあいまいにして意見を言うというのは、他人との関係をうまくやっていくための知恵であると考えていたと思いますね。「オレはこう思う」と言うと、相手にそれを押しつけているような印象を与えることを恐れて主語を省略する言い方が発達したのではないでしょうか。主語をあえて伏せることによって、自分以外の誰かがそう思っているかもしれないという印象を与えることができるわけですから。

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