コーチングは日本の「やる気」を呼び起こすか

コーチングって、当たり前のことなんです  コーチングは日本の「やる気」を呼び起こすか

本間正人氏  



運営者 それでこれはぼくの認識を確認したいのですが、コーチングというのは・・・自分がいて、相手がいるという関係があって、この間でいかにコミニュケーションを行うかという、コミニュケーションのスキルのことなんですよね。
 とすると、上司と部下の関係の中で上司が相手にコーチングを行うというのは、極めて当たり前のことではないかという印象があるのですが、そういう認識でよいのでしょうか。

本間  ええ、当たり前のことなんです。

運営者 では、なぜ当たり前のことができないのだろうかということの方が問題なのではないでしょうか。

本間  そうですね、例えば「上司は部下を○○する」という文章の「○○」の中にあてはまる言葉を入れなさい、という問題を出したときに、今であれば「コーチングする」と書く人も少なくないとは思います。でも5年前であれば、「激励する」とか「教育する」とか「叱責する」とか・・・。

運営者 それはずいぶんマシな方だと思いますよ。ほとんどの人は「監督する」と答えたのでは?

本間  そういう概念枠組みしかないのであれば、そういう行動をとるしかないということです。ですから認識の枠組みをつくってあげることがすごく大切なのです。
 ひょっとするとコーチングでいちばん大きな点はそこかもしれません。コーチングというパッケージは目新しいですが、そこで教えているスキル自体は単体で切り分けてみれば、ひとつひとつはコミュニケーションの基本、あるいは目標管理や組織開発の基本ではないですかと言われると、確かにそういうものはあったと思うんです。

運営者 人間は年をとればとるほど対人関係のスキルは向上してきますから、コーチングで教えているようなスキルを自然に身につけていく人は増えていくのが普通だったはずなんです。だからひょっとすると、「上司が部下を監督する」と思い込んでいる人はひょっとしたら昔も少なかったのかもしれない。「西郷隆盛みたいに普段は黙っていてかつがれているものだ」という感覚も日本人は持っていますしね。

本間  ところがねえ、「部下を監督しなければならない」と思い込んでいる人も、いまだにそんなに少なくはないみたいですよ。

運営者 昔はみんな「大人になって担がれよう」と思っていたんだと思うんです。だけど「今の団塊の管理職の人たちはそうではない」ということが一般論として言えるかもしれませんね(笑)。

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