マスメディア批評

 

以下は、04年に書いたものです。

 ◎「常識のウソ」は本当か
 ◎スクープの背後にあるもの
 ◎NHK教育テレビの異常な「非教育テレビ化」
 ◎ナベツネ
 ◎写真の中心でスパゲッティを叫ぶ
 ◎「人質報道」は真実を追及したか
 ◎タレント候補ってなんだろう
 ◎CMまたぎ
 ◎魔女狩り
 ◎世論喚起と煽情主義
 ◎出版界「貧すりゃ鈍す」の集中化現象
 ◎職業人の覚悟
 ◎選挙報道の白々しさ
 ◎訂正
 ◎冤罪
 ◎決して褒められない男
 ◎海老様
 ◎「内部告発」はやっぱり割に合わないのか

 ◎なぜ日経新聞はページ数が多いのか

 ◎マスメディア棚卸し





   ◎「常識のウソ」は本当か

 メディアが好む企画として、「常識のウソ」を暴くというパターンの記事がある。
 最近も、ある新聞で若者論のウソに挑戦する記事が連載された。いわく、若者がすぐ辞めるにはわけがある。若者だって学ぶ力は持っている。若者にモラトリアムはいらない……etc.etc.
 よくよく読んでみると、どうやら「若者が会社をすぐ辞めるのは、忍耐力がないからではなくて、優秀な若者ほど早く会社に見切りをつけるからだ。調理学校の講義は大学より面白いので休学して通う女子大生もいる。大学をレジャーランドだと考えて遊び呆けずに、会計士試験を受けるために専門学校に通いつつ、体育会の練習に打ち込み、週2回は家庭教師として教えている忙しい東大生もいる……」ということらしい。
 ほんとうか? だから世間の「最近の若者はすぐ会社を辞めるし、学ぶ力もない、大学生は遊んでばかりいる」というイメージはまっ赤なウソだと言い切れるのだろうか。「20代で辞める社員は、優秀だから会社があほらしくて辞める」のというが、一般的な傾向だと考えてまちがいないのだろうか?
 独立行政法人「労働政策研究・研修機構」の分析では、アルバイト暮らしや親に寄生してその日を送るニート「Not in Employment,Education or Training」と呼ばれる「働かない若者たち」が、15歳〜34歳全体の2%、63万人にまで増殖しているという。こちらのほうがわたしの実感に近い。
 どちらかと言うとこうした記事は、たまたま例外的な事例を見つけてきて、それを針小棒大に報道することでむりやり「あなたの常識はまちがっているんですよ」というイメージを読者に押し付けているように見えなくもない。それは「ミスリード」と呼ばれる類のものではあるまいか。
 そこまでして「常識のウソ」を否定する必要があるのだろうか。若者を取り巻く問題状況を躍起になって否定するより、真正面から捉えてその対処方法を考えようとするほうが建設的であるように思えてならない 。




 ◎スクープの背後にあるもの

 朝刊に大見出しが踊った東京三菱銀行とUFJ銀行の経営統合。新聞記者の世界では、合併のスクープは最大の花であり、人事上の評点も高い。そして今回の報道も、やっぱり日経新聞のスクープだった。「やっぱり」というのは、合併も含めて、企業の発表モノは日経のスクープが多いからだ。流れはどのようになっていたのか。以下はあくまで憶測である。
 前日夕刻、UFJ銀行はまず信託子会社を経営統合させると約束していた住友信託銀行に、「うちは東三と経営統合する。信託子会社の経営統合は取り消し」と通告。その後、金融庁にあいさつ。仁義を切っておいてから日経の記者を呼んで、かくかくしかじかとリーク。日経の記者は喜んで記事を書き、スクープ記事をものにした。
 ……と、たいていの場合、スクープとは、すなわちリークのことでなのである。これは記者側にとれば、企業からの借りになるだろう。借りはいずれ返さなければならない。
 つまり、企業側は特定の記者をひいきすることによって貸しをつくり、ある程度メディアをコントロールできるということである。スクープ、すなわち経済記事の報道に時間差がある背景には、そうした構造があることをおぼえておいたほうがよさそうだ。




 ◎NHK教育テレビの異常な「非教育テレビ化」

 NHKの教育テレビを「教育番組を放送するチャンネルだ」と認識している子供はもういないだろう。むしろ「アニメやドラマが楽しめる子供向け放送」ととらえているに違いない。教育テレビはいつの間にか根本的に変質してしまったようである。NHKの平成15年度アニュアルレポートを見てみると、教育テレビは「子どもに親しまれ、暮らしに役立つ波」と位置づけられている。
 『月〜木曜6時台にはかつての人気人形劇「プリンプリン物語」が、7時台はアニメと海外少年少女ドラマがならびます。また金曜7時には新番組「金曜かきこみTV」、土曜7時台は「ドラマ愛の詩」や総合テレビから移設の「中学生日記」、日曜7時台は昔懐かしい「サンダ−バード」「ひょっこりひょうたん島」など、幅広い年代で楽しめる時間帯になります。』(平成15年度アニュアルレポート)
 これはもうほとんど開き直りに近いのではないか? 常識的に考えて、教育テレビで幅広い年代が楽しむ必要などあるのだろうか。NHKは「視聴者の方々に好評をいただいた」ことを理由に編成方針を変えているようだが、現状は教育テレビの開設の趣旨から大きく外れてはいないか。
 放送法では、"「教育番組」とは、学校教育又は社会教育のための放送の放送番組をいう"と定義されている。少なくとも私は、教育テレビは教育番組のために存在して欲しいし、民放と食い合うようなアニメやドラマを、公共放送が教育テレビの波で放送することを期待して受信料を支払っているわけではない。今後も教育テレビの非教育テレビ化がますます進むのであれば、教育テレビを廃止して電波を奪い、放送大学のような「教育番組」専門局を作ることを検討するべきではあるまいか。



   ◎ナベツネ

 渡辺恒雄氏のあだ名である。渡辺氏は世界最大の発行部数を誇る読売新聞グループ本社代表取締役会長・主筆であり、読売巨人軍のオーナーだ。
 彼は「私が知らない会社が球団を買えるわけがない」くらい、野球界の権威の中心にいましますお方である。会談の意向を示した古田敦也日本プロ野球選手会会長を、「たかが選手の分際で」と切り捨て、報道陣から「世論調査結果によると、2リーグ制維持というファンの声が割りもありますが」と聞かれたら、「何がファンの声だ。君らが勝手に扇動しておいて」と記者に食ってかかり、三洋電機の井植会長がオールスターゲームのスポンサーを下りる意向を示しても「ああどうぞ」と素っ気ない。
 2001年春に巻き起こった再販制度見直し議論においても、彼が新聞協会会長に就任したとたんに、見直しの方向性が180度転回し、新聞・出版物の再販価格制度は盤石となって現在も存続中である。彼が健在な限り、メディア界の秩序は揺るがない。
 一度、インタビューを申し込んだことがある。いつまでたってもなしのつぶて。仕方がないので、当時読売新聞の中枢にいた知人に連絡してみると、すぐに広報室から電話が掛かってきた。
返事は「渡辺社長は原則としてインタビューはお受けしないことにしております」
 開いた口がふさがらなかった。インタビューや取材をしなければ記事ができないはずの新聞社の社長がインタビューを受けないというのはいったいどういうことなのか。
 彼はメディア界において、なおも大きな発言力を持ち続けている。


 ◎写真の中心でスパゲッティを叫ぶ

 今回のシー アイランドサミット報道の中で、一番時間を割かれたトピックスは何だったろうか。おそらく記念撮影の時に首脳たちの並び順の中で、小泉首相がどこに収まるかだったのではないだろうか。
 われらが小泉首相は、8人の首脳中右から4番目(EU代表除く)という、好位置を確保し、この様子はニュース番組などで、スローモーション映像まで駆使して何度も放送された。ブッシュ大統領なんか右から2番目である。これをもって、日本が一等国たる証明であるとでも言いたいのだろうか、修学旅行の子供じゃあるまいし。いちばんご満悦だったのは当の小泉首相だったわけで、「アイ・ラブ・スパゲッティ」は心ある人たちの眉をひそめさせた。
 主要国の首脳が集まり討議を行う場なのであれば、国民が世界情勢に関心をひろげるよい機会である。メディアは他にもっと報道するべきことがいくらでもあるのではないだろうか。この先、他の国の首脳に「日本の首相は報道の効果を考えて、わざわざ写真の真ん中に写るためだけに専用ジャンボで飛んでくるらしい」なんて思われたのではたまらない。
 そもそもサミットの記念写真には序列があって、開催国首相が真ん中、その左右が米仏の大統領、その両脇に在任期間の長い順に首脳が並ぶということになっていた。従って、政争にばかり明け暮れていて、在任期間が比較的短い日本の首相はいつも端っこということだったらしいが、最近このルールは崩れているようだ。さながら冷戦以後の世界秩序の混乱を象徴するかのようである。


 ◎「人質報道」は真実を追及したか

 イラクの邦人人質事件は無事に人質が釈放されてなによりだった。多くの人たちが胸をなでおろしたことだろう。この事件をあつかった雑誌の中で、「週刊新潮」4月22日号はバカ売れだった。この号が飛ぶように売れた原因は、トップ記事の「人質報道」に隠された「本当の話」に尽きる。各誌がイラクで拉致された3人の人質を擁護する論陣を張ったなかで、「週刊新潮」だけが人質たちのバックグラウンドや家族の動静について大々的に報じたのである。見出しには、
 「共産党一家」が育てた「劣化ウラン弾」高校生
 「12歳で煙草、15歳で大麻」高遠さんの凄まじい半生
 「官邸」にまで達していた「自作自演」情報
 「小泉首相」を激怒させた人質家族の「不遜な態度」
 と、刺激的なタイトルが並んでいる。
 真偽のほどはわからないことも多いし今後の検証も必要なのだが(もちろんこれだけ大胆に報じるからには裏は十分とっているはずだが)、政府の退避勧告を無視してイラクに入国した結果として人質になった人たちに、もしも思想的背景や犯罪的な前歴があったとするのなら、国益にかかわる今回のような大事を報道するにあたって、それをなぜ「週刊新潮」以外のメディアはほとんど報じなかったのだろうか? すくなくとも何が起こっているのかを現実的に把握するためには、読者は情報を知る必要があるはずである。
 実は、そのようにメディアが自粛して事実の報道をサボタージュする、もしくは見合わせるというのは、珍しいことではない。この国では往々にして見られることなのである。
 その理由は、たとえば今回の件であれば、「今回の人質が北朝鮮の拉致被害者のように人気者になった場合、敵に回すのは損だ」というメディア側の営業上の計算もあるだろう。そうでなかったとしても取材対象者の利益に対して必要以上の配慮をしてしまっているケースもあるかもしれない。また、新聞などの場合はいまだにイデオロギーの壁に報道姿勢が縛られているようにも見受けられることも少なくない。あるいは起こった問題の本質が記者に理解できていなかったため、報道する必要性に気がつかないということも時にはあるかもしれない。
 しかし報道自粛の最悪な理由は、メディア側がタブーに踏み込むことを恐れてすくんでしまうケースである。横並びで、「他社が書くならウチも書こう」と日和見を決め込んでしまったのでは、看板が泣く。皇太子ご成婚のニュースは、ワシントンポストが世界に伝えるまで日本のメディアはまったく報道できなかったことは記憶に新しい。
 ジャーナリズムの看板を掲げるのなら、何を報道するか、報道を控えるかは、読者の利益を第一に考えて選択するべきだ。どうやら今回その姿勢を貫いたのは「週刊新潮」だけだったようである。


 ◎タレント候補ってなんだろう

 メディアがあえて本質的なことを報じないという例は、あまりに日常的すぎて空気の存在のように自然なことにすらなっている。メディアの「麻酔的逆機能」(マートン)である。つくづく恐ろしいことだ。
 7月の参議院選挙に向けてタレント候補の立候補のニュースがちらほらと報道されるようになった。いちおうの勉強をつんでいるジャーナリスト出身者はともかくとして、スポーツ選手などを政党が擁立するという報道を見ていると、「国政って何だろう」という不思議な感覚にとらわれる。国会は日本全体の利害を調整し、将来の国の方向を定める立法を行うところで、そこでスポーツの経験が大して役に立つとは常識的に思えない(それが役に立つと強弁するのだから驚くのだが)。
 3月中旬に、さる有力陸上選手がオリンピック出場選考にもれたとの報道の後、すぐに「この選手なら150万票取れる」とある政党が擁立を目指していると伝えられた。この記事でも候補者を集票力の点から論評してはいても、議員としての適性についてはまったく注意が払われていなかった。
 ところが対照的にネット上のブログには、「こんなのおかしい」とか「あきれた」「政策はどうした」というまともなコメントがあふれている。多くの人は、何が本質的に重要なことなのかがわかっていて、自分の感覚に忠実に意見表明しているのに、メディア側は自分たちが勝手に作ったルールにしたがっているために、まともな読者の意識との間の溝がだんだん広がってきているのではないだろうか。
 ちなみにこの記事の後、この選手を立候補させようという報道はぱったりと途絶えた。有力者は自分の行動結果が世間にどのように受け取られるかを予測するために、特定のメディアに情報を流して記事の反応を見ることがある。いわゆる観測気球記事である。このような場合、メディアは取材源の使い走りをやっていることになる。
 その反対に、メディア側がたいして裏をとらずに先走って書いてしまう「飛ばし記事」というのもある。どちらにしても金を出して買っている読者の立場はあったものではない。


 ◎CMまたぎ

 民放テレビのクイズ番組や情報番組を見ていると、うんざりすることがある。
「この商店街に、あるすごいお店があるんだそうですよ。それはほかでは決して見られないほどすごいお店なんだそうです」とナレーションが入った後で、コマーシャルになって、そのあと番組が始まってもコマーシャル直前の前振りを延々と続けられて、「ああ、もう問題はよくわかってるから、早く答えを教えてくれよ」とじれったい思いをして、やっとその「すごいお店」がなんだかわかってみると、あまりにもくだらない話で、「バカにしているのか!」と怒ることの少なくないわたしは、心の狭い人間なのだろうか。
 いまやかなり多くの番組で、この「CMまたぎ編集」を行っている。夕方のニュース番組ですら、食べ放題の店やラーメン戦争を紹介するような情報コーナーではこれをやっているのだから驚いてしまう。しかも、コマーシャルの前の説明を繰り返す時間が年々長くなっているような気がするのは、気の短い私だけなのだろうか。
 テレビ局のつごうとしては、コマーシャル中にチャンネルを替えられてしまうことを防ぐために、視聴者を無理に引っ張ろうとやっているのだろうが、こちらとしては「くだらない引っ張り方だなあ」としらけるとチャンネルをかえるし、「あまりにもCMまたぎ編集の重複部分が長いなあ」と思った時点で、テレビを消してしまう。どうしても見たい番組なら、録画して飛ばし見するのが視聴者としての合理的な行動だろう。
 CMまたぎのやりすぎで、テレビ自体が視聴者にまたがれないように気をつけていただきたいものだと思うのは私だけだろうか。



  ◎魔女狩り

 現代のマッカーシー旋風か、はたまたドレフュス事件か。江角マキ子未納発覚に始まった年金未納問題が、政界からメディア界に飛び火している。
 すでに筑紫哲也、木村太郎、森本毅郎、小倉智昭、田原総一朗、安藤優子、小宮悦子、小谷真生子各氏に未納期間があったことが確認されており、筑紫哲也、小宮悦子両氏は番組出演を自粛中だ。「あれだけ政治家の年金未納を叩いておきながら、自分が未納なのは恥ずかしい」ということなのだろうか、情報番組キャスターたちの懺悔のコメントは一様に歯切れが悪い。またこれを報じる他のメディアの側も、「けしからん」とはしゃぎながら水に落ちた犬を叩いているように見える。
 では、一般の人たちにはそこまで未納期間があったメディア人を責める気持ちがあるのだろうか。ここに名を連ねた人に大手メディアの現役社員はいない。独立後に未納期間があったわけで、「制度が複雑なのが問題では」と考える人は、メディアの年金未納叩き記事を見てもどっちらけだろう。むしろ年金制度が崩壊寸前なのが各人にとっての切実な問題なのであって、魔女狩りよりも「どう対処するか」という本質的な議論をしてほしいと思うのが常識的な態度ではあるまいか。年金崩壊は人口構造と財政構造の問題であり、よしんば年金が払った分満額もらえたとしても、インフレになってしまったら元も子もないのだから、財政再建をどうするか、本気で政府をリストラするにはどこをどう切り捨てるかというところまで考えを巡らせなければ意味がない。
 傍目には、メディアにおける年金魔女狩りは、「本質的議論はめんどうくさいから放棄して、ただ騒ぎたいから騒いでいるだけ」にしか見えない。それではあまりにも「考えが浅い」のではなかろうか。しかし、猛り狂ったバッファローの群の如きメディアの盲目的な暴走は、本人たちが飽きるまで誰にも止められない。


 ◎世論喚起と煽情主義

 小泉首相が訪朝して、拉致被害者の5人の子供たちを連れて帰ってきた。
 生中継された、1年7ヶ月もの間肉親と別れ別れになっていた拉致被害者と子供たちとの、羽田空港での再会シーンは誰の涙腺も緩ませてしまう瞬間だった。また、ただ一人肉親との再会がかなわなかった曽我さんのことを気の毒に思わない人もいないだろう。さらにはいまだに行方がわからない拉致被害者の家族の無念は、政府の無策に対する人々の怒りをかき立てている。
 だが、メディアは対北朝鮮の問題に関して、視聴者にそうしたインスタントな感情の起伏のみを提供しているだけでよいのか。「政府の交渉成果が気に入らない」と視聴者を煽っているだけでよいのだろうか。外交は相手のある話なので、こちらの望みどおりにことが運ばないことがあるのも当然ではあるまいか?
 問題の本質は、罪のない国民を拉致されたことによって日本の主権が侵害されたことはともかくとして、現在かの国がわれわれを攻撃可能なミサイルを保有し、しかも大量破壊兵器の開発を着々と進めていることにあるのではないか。そしてその開発資金が、警察が管轄するパチンコ産業から朝銀を経由して流れ込んでいるという自己矛盾こそ問題なのではないだろうか。
 そうした問題を正面から捉えて、「ではわれわれが抱えているリスクをコントロールするためには、国としてどのような姿勢で北朝鮮に向かうべきか。その観点から見て今回の訪朝結果をどう評価できるか」といった冷静な世論を喚起するのが、メディアに求められる世論形成機能ではないのか。
 視聴率稼ぎのセンセーショナリズムも結構だが、安全保障の観点から見た北朝鮮問題の本質を語る姿勢を、この問題について影響力の大きいテレビには特に求めたいものである。



  ◎出版界「貧すりゃ鈍す」の集中化現象

「バカの壁」 350万部
「世界の中心で、愛をさけぶ」 306万部
「13歳のハローワーク」 100万部
「蹴りたい背中」 100万部
 出版業界の呑み会に行くと、「いま売れ筋の本は……、いま売れている本です」という笑い話が出るくらいベストセラーの集中化現象が起こっている。
 では出版社は儲かって笑いが止まらないのかというと、さにあらず。書籍・雑誌の販売高は1997年以来、7年連続のマイナスになっている。ぜんぜん不況なのである。今年第1四半期はプラス成長になったようだが、それはこれらのメガヒットの影響であるようだ。
 書籍に限ると、2003年の書籍の出回発行部数は13億1585万冊。新刊点数は7万2608点である。90年にはやはり約13億冊発行していたが、点数は4万点弱であった。これが意味しているのは何か。点数が増えているのだから、一人の書籍編集者の担当する本の数も増えている。売り上げの落ち込みを点数を増やすことでカバーしているのだ。まさに「利益なき繁忙」である。
 一方で書き手の側から見てみると、発行点数が増えて、発行部数が変わらず、売り上げが減っているわけだから、一冊あたりの売り上げが減っていることになる。おそらく、ザックリした感覚で言えば、1冊あたりの印税収入は15年前の半分くらいになっているという感じではないだろうか。あまり表だった動きではないが、10%が相場であった書籍の印税が、8%、へたをすると7% に押さえられるという傾向も見られるようである。。そんなことでは、早書きで点数を稼ぐことができない物書きはおまんまの食い上げだ。
 こんなことで、長く読み継がれる「良書」が出てくるのだろうか。つまらない本が多すぎるから、客の足は自然と書店から遠のいてしまう。貴重な時間を読書に費やすのなら、「似たような本が多すぎて自分で本を探すのはたいへんなので、評判の本でも読んでおこうか」という読者の気持ちが、ここのところメガヒットの出版物が生まれる原因なのかもしれない。


 ◎職業人の覚悟

 長崎県佐世保市でおきた小6同級生殺害事件では、事のあまりの痛ましさに多くの人が眉を曇らせたことだろう。たまたま被害者の肉親は、毎日新聞の地元支局長であった。
 事件当夜、状況もまだはっきりしないなかで記者会見に応じた支局長は「正直、話をしたくないと思ったが、この仕事をしていて、逆の立場ならお願いしている」と我が娘を失った喪失感を淡々と語った。彼の職業意識の高さと、親としての哀しみが言葉にせずとも視聴者に伝わる、まさに胸に迫る会見となった。
 この会見を見て、その前週にイラクで武装勢力の犠牲者となったフリーランスジャーナリスト、橋田信介さんの奥さんの会見を思い出した人も少なくなかったのではないか。パートナーの死という重い現実に際して、哀しみに打ちひしがれるわけでもなく、また怒りを誰かに向けるでもなく、正面を向いて「少なくとも夫と私は、覚悟はいつでもできているつもりだった。ジャーナリストとしての大先輩。尊敬できる人」と言い切った彼女の毅然とした態度は実に立派だった。
 わが国のジャーナリズム界にも、陽は当たりにくいかもしれないが、志の高いジャーナリストが確実に存在しているのである。彼らは命をかけ名利を捨てて駆け回り、読者のために価値のある情報を提供しつづけている。彼らはなぜ、死をもいとわぬ覚悟を抱くことができるのだろうか。それはジャーナリズムが命をかけるに値する仕事であることを知っているからではないか。
 では、彼らが命がけで取ってきたネタを報道するメディア側には、果たしてその覚悟はあるのだろうか? その覚悟を受けた報道姿勢があると胸を張って言えるだろうか?
 日本国内では、なかなかジャーナリストが死と隣り合わせの仕事であるという実感が湧きにくいかもしれない。だがワシントンにあるジャーナリスト・メモリアルには、1812年から2003年までに殉職した1528人のジャーナリストの名前が奉られているそうだ。現代の爛熟したメディアに問われているのは、職業人としての覚悟なのではないか。


 ◎選挙報道の白々しさ

 選挙報道は新聞とテレビがメンツをかけて取り組む総力戦である。
「日本のもっとも重要な選択である今回の参院選を報道するためらに、選挙特番を組みました」と、某硬派ニュース番組のキャスターが、金曜のレギュラー番組でのたまっていた。
 「はあ、そうですか」と素直に思って選挙特番を見ても、実際にやっているのは無意味に早い出口調査。開票終了と同時に結果がわかる必要があるのだろうか。テスト結果を早く知りたがっている子供じゃないんだから。
 それ以外は鈴木宗男と田中真紀子、辻元清美、女子プロレスラー候補者などの追っかけと、選挙結果で顔色が変わった政党幹部の表情のクローズアップくらいである。タレント候補の当落が、政策決定にどう関係するのだろう?
 テレビの選挙報道は、真面目そうな顔をして、単に祭りとしての選挙を横から囃しているだけで、今回の選挙のどこが「日本のもっとも重要な選択」なのか、なぜ「日本の未来を決める」のかさっぱりわからない。2ちゃんねるとさして違わないレベルだ。私には「報道としてのレベルが低い」と思えてならない。
 とにかくここまで「建前論」のオンパレードを聞けるものとしては、選挙報道より大がかりなものはないだろう。「政党の選挙広告が有権者の心に届いてない」などとと言うが、テレビのほうがよほど届いてないし視聴者はシラケている。
 そしておきまりの「投票率の低さ批判」。行ってもムダなら投票に行かないのは合理的な行動である。もしほんとうにメディアが選挙に意義を感じているのなら、出口調査に血道を上げるよりも、メディア本来の「世論形成機能」をもっと意識的に使って、選挙前に争点を絞り込み、明確化するよう一段と努力してほしい。その争点にもとづいて有権者が自分の意思を示せるようにならなければ、一回で数百億円を費消する選挙は壮大なムダである。
 お為ごかしの選挙報道にはいい加減うんざりだ。


 ◎訂正

 放送における「放送禁止用語」というのは、当然ながら法律で定められているものではない。各局がおのおの自主的に定めているものである。
 で、そういうのが生放送でポロリと放送されたりすると、「ただいま不適切な表現がありましたことをお詫び申し上げます」というお詫びの言葉がある。これはまあ、本人たちが不適切としている言葉を再度繰り返したくないということだろうから、「いったい何が不適切だったのかな」とちょっと気になるけど、「まあ、いいか」と納得できる。
 しかし、局側がまちがえた場合、たとえば「さきほどのニュースの中で○○さんのお名前の字をまちがっておりました」というケースでも、正しい名前が放送されるわけではない。そのまんま素通りである。
 激しく気になる……。
 ちなみに新聞においては「お詫びして訂正します」というのは最大限の陳謝を表す言葉である。世間的にはたいして侘びているようには見えないが。メディアは偉いのである。新聞にはまちがいがあってはならないことになっているのである。


 ◎冤罪

 先々週のことだ。「大阪市鶴見区の路上で、小学2年生の女児7歳が東大阪市の会社員、○○容疑者(実名・26歳)に連れ去られそうになった。軽貨物車の助手席に乗せられていたところを、顔見知りの介護ヘルパーの女性○○さん(実名・44歳)が機転を利かして声をかけ、女児はドアから飛び出した。○○容疑者は現場から西約1・5キロの路上で発見され、未成年者略取容疑で緊急逮捕された。鶴見署は古矢さんを表彰する考えだ」などと、テレビ・新聞が報道した。
ところがその2日後、以下のような報道が流れた。
「連れ去りは女児のうそ、大阪 会社員に容疑なし、釈放。当初、無理やり乗せられたと話していた女児は自分で家まで送ってほしいと頼んで車に乗ったと認め、目撃証言があることもわかった。逮捕された○○さんは、家に送ってあげるつもりだった、警察はまったく言い分を聞こうとしなかったと話している」
幼児に対する犯罪も少なくない昨今、困っている子供に声をかけた結果、誘拐と勘違いされて通報されるようなことは、誰の身にも起こりうる災難である。早とちりした女性と、容疑者の弁解を聞く耳を持たなかった警察には反省が求められるだろうが、しかし犯罪を未然に防ぐには仕方がない対応だったと言えないこともない。
 問題は、警察の発表を鵜呑みにして、自分で取材して確認することなく、実名で大々的に報道してしまったメディアの責任である。報道によって、誤認逮捕された人には容易に回復しがたい不名誉なレッテルが貼られることになってしまう。しかし今回の件に対して、被害者の弁護士の怒りの声を報道する記事はあっても、メディアの報道姿勢について自省する記事は載っていないようだ。


 ◎決して褒められない男

 孫正義氏。
 天才的な事業家である。学生時代に開発した多国語翻訳機の試作機を売った資金で日本ソフトバンクを起こし、94年に店頭公開。資金を企業買収に巧みにつかい、YAHOOへの出資は大成功。コムデックス、キングストーン・テクノロジー、ZDNETなどにも手を伸ばし売却。マードック氏と組んでテレビ朝日を買収しようとしたのもあまりにも有名だ。衛星デジタル放送、スピードネット、あおぞら銀行からも果断に撤退。資金調達についても、メーンバンクを持たず銀行を借りる側から選別する(コアバンク制)など。業界慣行のルールブレイカーとしての逸話には事欠かない。
 われわれは月3000円でブロードバンドを利用できる恵まれた環境にあるが、この実現にもっとも力があったのは、派閥力学と前任者の死で偶然に権力の座を射止めた森首相の提唱したIT戦略などではなく、ビジネスマンとしてネット界に覇を唱えようとした孫正義氏の強烈な事業意欲であろう。もし彼がいなければ、われわれは未だに寡占事業者たちに過剰利得を払いづけていたに違いない。その経済効果は計り知れない。実際、彼は八丈島にまでブロードバンド回線を引いているのだ。
 さらに彼は、日本テレコムを買収、携帯電話市場への参入に意欲を見せ、この6月から通話方式の実証実験を始めている。これが意味するところは何か。これまでの経緯からして携帯電話料金が大幅に安くなるということである。なんと喜ばしいことだろうか。
 にもかかわらず、彼がメディアで持ち上げられることは滅多にない。彼の短兵急な事業展開や強引とも見える経営手法は、常人の目からすると理解に苦しむものだからであろう。刃物の上を歩いているようなもので、危なっかしくて見ていられない。そういう人物の場合、過去の功績を「これはすばらしい」と評価するよりも、「今後の経営は予断を許さない」と書いた方が無難なのだ。
 ましてや451万件のユーザー情報が漏れたYahoo!BB顧客漏洩事件のような、弁護の余地のない事件が起きたら、十字砲火を受けて蜂の巣にされてしまう。そういうことが繰りかえされるものだから、ますます褒めにくくなるという悪循環だ。
 それはそれで、彼にも非があるかもしれないが、彼の功績をきちんと記すことで、「自分のビジネスで世の中を変えることができる」という可能性を後の世代に伝えてゆくのも大切なことなのではないだろうかと、通信料金の請求書が来るたびに私は思うのだが……。


 ◎海老様

 成田屋のことではない。
 今年、御年70歳になられる日本放送協会会長海老沢勝二さまのことである。
 一部では"エビジョンイル"などと呼ばれるほど、絶大な権勢を誇るお方である。元チーフプロデューサーによる空発注での横領、ソウル支局長の経費水増しなど、明らかになっている不正金額だけで1億700万円、これは前払いの年間受信料7000軒分以上に当たる金額だという。
 9日の衆院総務委員会は「NHK問題」という議題で集中審議を行い、海老様も堂々と参考人として質問にお答えになったが、海老様はあらかじめ定例記者会見で「生中継はやらない。われわれの編集権の問題だ」とのたまい、NHKは海老様の勇姿を放送することはなかった。そこでMXテレビ、TVK、日本テレビ、衛星放送数社などがこの様子を中継した。
 また海老様は減給30%半年間という厳しい処分を自らに課し、今回新たに設置した「コンプライアンス(法令遵守)推進委員会」の委員長に就任して、自ら先頭に立ってこのような不祥事(の漏洩?)を防ぐ姿勢を示されている。
 まさに、海老様が健在である限り、NHKの組織風土が変わることはあるまい。まあ、経営者が編集権を楯に報道に容喙するのも、メディアとして自殺したいのなら結構だろう(特に海老様の出身母体であるNHKの政治部にはこの傾向が強いことはよく知られており、今さら驚くことでもない)。ただ、わたしは受信料を払っている一人として常々、「NHKにはいい加減目を覚まして欲しい」と思っている。
 海老沢会長は「不正支出問題についての調査報告書」(なんと「お詫び文書」ではない! 報告すれば「ご理解いただける」と思っているらしい)の中で「全職員が一丸となって」という言葉を二度使っている。これはすでに組織文化を変えるつもりのないことを言明しているに等しい。「一丸となって」いたのでは、身内の不正を弾劾なんかできない。おためごかしのコンプライアンス委員会など時間とカネのムダ、単なる焼け太りである。お互いがお互いを厳しく監視し、実力トップの行動をも掣肘する実行力のある監視機関をつくらなければ、この大組織は内部牽制のシステムを持たないまま漂流を続けるだけだろう。
 三菱自動車工業の社長もお詫び会見で頭を下げつつ「全社員一丸となって」と話していたことが私の頭からは離れない。そうした考え方から逃れられないトップには辞めてもらう以外の選択肢はないだろう。ところでなにやら、NHKは人気番組「プロジェクトX」の取材チームを三菱自工の経営中枢に入れたとの噂も仄聞しているが、類は友を呼ぶということか……。


 ◎「内部告発」はやっぱり割に合わないのか

 東京慈恵会医科大学は国からの私学補助金の残金を国に返納せずに不正にプールしており、補助金1億7560万円を返還することになった。
 この事件は、内部告発から発覚したらしい。この件について朝日新聞記者は、大学内部の研究員に取材を行ったのだが、事前に「録音しないでくれ」と断られて、応諾したにもかかわらず、会話の内容を密かにMDに録音した。
 それだけならまだしも、そのMDはダビングされて、なぜか大学関係者の手に渡ってしまい、とうぜんながら取材に応じた研究員は針のムシロに座らされてしまうことになった。組織を裏切った者がどのような仕打ちにあうか、大学病院の陰湿な文化は、『白い巨塔』から30年たった『ブラックジャックによろしく』の今日でも、そんなに変わっていないだろう。
 「民主主義を支えるのはジャーナリズムだ」と言われる。社会に悪がはびこるとき、良心のある内部者が匿名で組織の悪をメディアに告発すれば、大事になる前に状況を変えることができる。だから「言論の自由」が大切なのだ。
 ところが、良心の呵責に耐えかねた内部告発者が一大決心をして、自分の所属する組織の悪を新聞記者に告発したとして、それが記者からループして組織にだだ漏れになっていたとしたら、まったくの自爆である。そんなことならだれが内部告発などするだろうか。「くわばらくわばら。やっぱり長いものには巻かれろだ」「泣く子と地頭には勝てねえわな」とみんなが思ってしまうと、それがゆくゆくは、「偉い者が言うことは正しい」「権力は自らを正当化する」という世の中をつくり出してしまうのだ。朝日新聞がお嫌いな「いつか来た道」というやつではあるまいか。
 こんなことでは、メディアがどんなに威張っていても、社会を正常化する役割は果たせない。
 内部告発者は金銭のためでなく、良心の自由に従ってリークを行う場合が少なくないだろう。そうした行為が報われるためには、記者が情報を漏らすといった杜撰なことは決して起こってはならないことなのである。


 ◎なぜ日経新聞はページ数が多いのか

 なぜ日経新聞は他の新聞よりページ数が多いのかご存じだろうか。 それは郵便のためだと言ったら、みなさんは意外に感じられるだろうか? 
 つまり、新聞は第三種郵便で送られるが、これは輸送コスト低減にすごく効果があるためだ。しかし第三種郵便として認められるための条件として、広告が編集ページの半分以下の分量でなければならないという規定がある(内国郵便約款=全体の印刷部分に占める広告の割合が100分の50を越えるものは、第三種郵便物の承認条件を満たさない)。
 一方日経新聞は、広告料金を他紙より低めに設定して、量を集める戦略を採っている。広告量が多いので、第三種郵便の条件を満たすためには、編集ページ数も増やさざるを得ないわけだ。ニュースが少なくなる連休などに、ニュース解説的な企画記事が多くなるのはこのためである。この傾向は他紙も同様だ。
 だが、広告を収容するために増えた紙代を読者が負担するというのは、適正なことなのだろうか? この点に関して、新聞社は判断基準を持っているのか、知りたいところである。


 ◎マスメディア棚卸し

 マスメデイアの通弊について、わたしの思うところを列挙しておこう。以下は、不勉強で安易なメディア人が陥りがちな傾向を列挙したものである。

・本当のことを報道しない、自粛して表現を曲げる
・報道する相手に対する的はずれな配慮
・報道する事柄についての本質の不理解
・負の方向の平等意識
・批判はするくせに持ち続けている政府・お上への依存意識
・プライバシー、スキャンダル、人事、他人の台所事情などわかりやすい特定のイシューへの覗き見趣味
・飛ばし記事
・針小棒大、羊頭狗肉、見出しは踊っているが、中身なし
・有名なものだけクローズアップする「売らんかな」的姿勢、勝ち馬に乗る姿勢
・根拠のない誹謗中傷、無理な決めつけ
・扇情主義、感情への訴えかけを重視し、原理原則を無視する
・大局を見失い、目の前の情報を面白おかしくいじることしか考えない
・価値判断ができないので、海外メディアが報じてから、初めて後追い報道する

 これらはメディアの構造に起因するものではない。各人がプロフェッショナルに徹すれば、自ずと改善されることである。メディアの宿痾、それは各メディア人の内面に由来するものではあるまいか。



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