「個」が確立する以前の社会



飯坂  いやいや、日本の場合はちょっと違うかもしれない。日本では、まずひとつの共同体をつくり、その中で共通体験を積んで、「そういう一緒の共通体験をつんだから仲間なんだろう」というのが友達になるやり方なんじゃないかな。

運営者 「同じ釜の飯」ということですか。「ムショ仲間」と本質的にはかわらないじゃないですか。
 しかしそれが、最近はもっと簡単になってきて、「携帯でメルアドを交換したから友達なんだ」ということですよ。「私友達200人いるもん。だってケータイにアドレスが200件入っているし-」

飯坂  ちょっと友達の定義が違うかもしれないな(笑)。

運営者 相手のことをちょっとでも知ってたら友達ということですよ。

「個」が確立する以前の社会飯坂  それは知り合いだよ。まあいいけどね、主観的なものかもしれないし。

運営者 本来はそうですよね。だけど、相手をいちいち認めるのが面倒くさいからといって、いい加減な人間関係をつくっていては困っちゃいますね。

飯坂  だいたい、自分が自分として「個」が確立していないと、相手を認めるということもできないよね。

運営者 それは鋭い。
 ということは、自分が確立していない人間が集まって成り立っている社会というのは、果たして可能なのだろうかと。

飯坂  まあ、社会は社会だからねぇ。
 集合論的な考え方になるけれど、日本の社会は、個人というのはそれぞれある共同体に属していて、その共同体として他人と向き合っているということなんでしょう。同じ共同体の中では、その共同体のルールでコミュニケートするでしょう。そして違うコミュニティに属する人とコミュニケートするときには、その属しているコミュニティの差違とか共通点を話題にしてコミュニケートするわけです。
 つまり、個人を確立させようとしているのではなくて、その人が属しているコミュニティーのレパートリーを増やしているというだけじゃないのかな。

運営者 まあやっぱり、この国のルネサンスはまだまだ遠いのかなあ。宗教改革はもっと遠いかもしれないなあ・・・。


 (この項終わり)

04年ヨーロッパ旅行

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