神聖ローマ帝国とイタリアの微妙なバランス



飯坂  ドイツがイタリアを支配したというのは、東アジアでいうと日本が朝鮮や中国を支配したことにメタファーが求められるかもしれませんね。

運営者 要はね、ゲルマンというのは、今でも英語ではバイエルンをバーバリアン地方と言うように野蛮人なんですよ。そこにローマ文明が入っていったわけです。もっと言うなら、おそらくはキリスト教の名を借りたローマとして入って行ったんだと思うんです。ローマは、人類が到達した文明としては極めて高度なものだったのではないかと思います。

 野蛮人としての日本にも、明治維新以降そうした高度な文明が入ってきたんですよ、和魂洋才なんだけど。それでなんとなく、民主主義国家というシステムを表面上は取り入れたわけです。議会制度とか資本主義とか。前から話してますけど、明治時代の資本主義というのは今よりは余程まともだったかもしれないんですよ(笑)。
 それを日本は、アジア諸外国に伝える役割を、多少は果たしていたかもしれませんね。

レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチ飯坂  日韓併合のときって、イギリスの北アイルランド併合をモデルにしたらしいんだね。かなり研究していたらしいですよ。

運営者 それはおもしろい。20へぇなんだけど、「トリビアの泉」には出せないネタですね。

飯坂  衛星放送あたりなら大丈夫かもしれないんですけどね(笑)。
 それは置いておいて、それで言うと本当は神聖ローマ帝国のイタリア支配を、日韓併合のときに日本人は研究するべきだったかもしれませんね。

運営者 神聖ローマ帝国とイタリアの微妙なバランスがなぜ取れていたのかは、私もよくわかりませんね。

飯坂  イタリアって、言ってみれば中国じゃない。

運営者 さっきのアナロジーで行くと、過去の日本に文明をもたらしてくれたのは中国ですから、そういう意味ではイタリアは中国ですよ。

飯坂  それに商業の国という感じがするし。アンダーグラウンド経済や秘密結社も盛んです。

運営者 商業は特に中世のコムーネ、都市国家においてですよね。それ以前は、語るにも価しない国だったと思いますよ。

飯坂  統一がなかったからでしょう。

運営者 統一がなかったのは決定的なことだと思いますね。
 754年にフランクのピピンが領地を教皇に寄進して、教皇領がイタリア半島を分断してから、イタリアに分裂以外の道はなくなったわけです。その周りで小国が割拠したわけですが、お互いがお互いをけん制し合って、外敵が攻めてきたとき以外は一致団結するということはなかったんです。そういう意味ではドイツの方がまだまともだったのでしょうね。

飯坂  地政学的には、半島であったというのが最大のポイントでしょうね。

運営者 ああ、なるほど、そうか。まさにそうですね。 

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