台灣好好 日本よりも日本らしく 22

旅行土産話仲間 飯坂彰啓

歩いている人を見つけると片っ端から射殺した




運営者 ちなみに蕭さんは、3月9日の朝、警察に捕まってしまいました。逮捕の理由はデモ隊を先導したということではなくて、義父が新聞社をやっていたというのが逮捕理由でした(義父はいち早く福建省に逃げて、しばらく潜んでいて、後に全財産を引き替えにしてまた台湾に戻ったそうです)。
 そして警察署の地下室で大変な拷問を受けて死刑にされかけたそうです。目隠しをされて射殺場に連れていかれそうになったときに、その時上にいた人が「裁判なしで殺すのはまずい」と一言いって、それで命ながらえることができたらしいです。ドストエフスキーみたいですな。

飯坂  すごい話だなー。

運営者 すごいでしょう、すごい話なんですよ、これ。でも凄い話はこれからなんです。

士林夜市で兄ちゃんがヘラクレスオオカブトを売っているのを見せてくれました。3000円程度。士林夜市で兄ちゃんがヘラクレスオオカブトを売っているのを見せてくれました。3000円程度。 蕭さんは、拷問をうけて瀕死の重傷を被ったわけですが、その一方でストライキは3月1日には台湾全土に広がっていました。
 それで行政府の方は「これはヤバイ、政府側と民間との接点を作ろう」ということで処理委員会というのを作りました。委員会は政府に対する要求書をまとめて、平和理に事態を解決しようとしたわけです。それをやっている後ろで国民党政府は、大陸に連絡して、軍隊を呼び寄せるわけです。汚いもんです。

 3月8日に国民党の援軍が到着します。1個師団が基隆に、憲兵隊が高雄に上陸して挟み撃ちにするという作戦です。
 国民党軍はどういう鎮圧方法をしたかというと、すごく簡単で、道を歩いている人を見つけると片っ端から射殺したんです。

飯坂  えーっ!

運営者 屠殺という言い方をしていました。有無を言わせず、何もなしに射殺ですよ。もう完全鎮圧するしかないわけです。

飯坂  戒厳令は出ていたんですか? 戒厳令が出ていたら外には出られないわけだから、それで外に出ていたら射殺されても文句は言えないけれど。

運営者 戒厳令は一度出されたのですが、民間も含めた処理委員会が活動するのに戒厳令はないですよね。引っ込められました。
 放送があったので、全国でわかってるわけです。だから学校などを中心にして武器を集めて蜂起する準備をしていたり、国民党軍を武装解除していたわけですが、3月8日の援軍到着以降は、台湾人は逃げる側、追われる側になってしまうわけです。

 この殺りくのしかたはすさまじくて、実は2万数千人がこの時に死んでいます。しかしこの事実はずっと伏せられていたので、われわれがこの事実を知ったのは、1987年に38年間続いた戒厳令が終わってから、「悲情城市」という映画がオブラートに包んで二二八事件を描いていて、それで「へー、こんなことがあったんだ」と僕なんかは初めて知りましたよね。
 そして実はこのとき死んだ人の中で、この死体が誰の死体かわかっているのは2人しかいないのだそうです。

飯坂  ふーん。

運営者 それくらい徹底した殺りくだったということです。

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